天暦一五三三年七月 オスナブリュック事件

オスナブリュック事件 1

「末期だな。」

缶コーヒーをすすりながら汎人類星間帝国軍所属のユリウス・フォン・バーゼンクレーバー幹部候補生はそうつぶやいた。

彼は何に対して末期だといったのか。それは現在彼がまさに乗っている練習艦隊所属の快速巡洋艦「オスナブリュック」の置かれている状況について、である。

練習艦オスナブリュックは当初ユリウスら帝立士官学校の生徒らを乗せ同校の存在するスモレンスク星系からペルセウス腕方面の要地クールラント星系に存在するテオーデリヒスハーフェン要塞まで練習航海を行う予定であった。

ところがその道中、アントファガスタ星系にて不運なことに軍用スクーナー艦に砲撃されるという事態が発生した。いうまでもなく宇宙海賊である。

一発、二発、三発と行われる砲撃を艦長役であるエリザベータ・フォン・ヴァイクセルの指揮の下で回避していくが、四発目の砲撃が艦後方部に存在する機関部をかすめ、航行に多大とは程遠いが支障が生じることとなった。

さらに不運は続いた。その砲撃で生じた揺れによって監督役の教官がバランスを崩して後頭部を壁に強打、帰らぬ人となってしまったのである。

突然訪れた頼るべき引率者の突然の死に乗組員たる生徒たちはたちまち恐慌状態に襲われた。海賊に対して艦丸ごと降伏を提案したものもあらわれる始末である。

天暦一五三三年七月一〇日現在、オスナブリュックの状況は絶望的と言わざるを得なかった。

機関が損傷したおかげで超光速航行に移れる状態になるには常時の三倍ほどの時間である九日かかるとみられた。応急修理の時間を考慮するともう少しかかるだろう。

食料や水については練習航海の期間である一か月分がオスナブリュックに積み込まれていた。アンドファガスタ星系にて海賊と交戦した時点で半月が過ぎたばかり。艦内に残された水、食料の類は十四日分しか存在しなかった。順調にいけば応急修理とクールラントへのワープ準備の時点で尽きてしまうのは間違いない事実であった。

乗組員のメンタル面も艦首脳部の面々を悩ませる事態となった。引率者である教官の死はまだ未熟なものが多い乗組員にとって多大な悪影響を及ぼすものであった。放っておけば死人が増えかねない現状、精神的に追い込まれる乗組員が増加すると予想される。その結果いったい何が起こるかも。

いまだに海賊のスクーナー船がアントファガスタに存在するのも悩みの種であった。そのまま満足して去ってくれればいいが反転して攻撃となったら最悪の事態である。接舷されて陸戦隊を送り込まれるようならば実践経験が浅い乗組員は一蹴されるだろう。

そういった意味で、オスナブリュックの置かれた状況はまさしく末期的と言わざるを得なかった。このままいけばデプリに変化するか棺桶に変化するかのどちらかだろう。

「バーゼンクレーバー候補生、会議中にコーヒーを飲むのはやめてくれますか?貴重な食料品の私的消費です。」

バーゼンクレーバーの対角線上に座る銀縁眼鏡をかけた、切りそろえた黒髪の女性候補生、アデライート・ハウプトマン艦内保安長が彼に注意した。

「ハウプトマン保安長、これは自動販売機の商品です。艦内の水は十四日分存在しますが自動販売機の飲料水はそれに計上されていません。しかもこれは兵站課より許可をもらったものです。これくらいは認めてもいいでしょう。」

「艦内資源の勝手な使用には変わりありません。今後は慎むようにしてください。」

「購入してしまったものは仕方ないでしょう。許可をもらった兵站課に言ってください。」

「ならば兵站課に資源の利用の許可に関しては厳重にするように勧告しておきましょう。兵站課長はそのようでよろしいですか?」

ハウプトマン保安長の左隣の席の、いかにも眠たそうな顔をした短い髪の男、ウーゴ・パストーレ兵站課長は机に寝かせていた上半身をゆっくりと起こした。

「ああ、それでいいよ。財布のひもを締めるタイミングは早ければ早いほどいい。ましてや今のような孤立無援の状況ならね。ところで、テオーデリヒスハーフェン駐留軍との連絡はついたかい?通信課長?」

気の抜けたような表情をした若者はこちらの方向にその表情を向けた。

「ん、ああ。駐留軍への連絡自体はついた。すでにこちらに救援部隊をよこしているんだとさ。」

室内に歓喜の声が響いた。やっとこのような状況から抜け出せるという事実に、室内の人間はただただ喜ぶばかりであった。

「ここからが問題だ。救援部隊は五日後にこの星域に到着する予定らしい。しかし展開位置が厄介だ。航海長、データを頼む。」

バーゼンクレーバーは自分の席から右に二席ほど離れた位置に陣取る黒髪のフィリップ・シャルダン航海長にデータを開示するよう要求した。

「了解。みんな、とりあえずこのデータを見てくれ。」

シャルダンは机上の端末を操作すると、アントファガスタ星域の星域図を立体映像上に移した。

立体映像上の星域は恒星アントファガスタを中心にアルファー、ベータ、ガンマ、デルタの四宙域に区切られ、一目でわかるようになっていた。由緒ある帝国軍式の戦域の区切り方であった。

「本艦、オスナブリュックの現在地がベータ宙域。同宙域に存在するアントファガスタ恒星系の四番惑星の軌道上に存在していることになる。」

ベータ宙域に存在する大型ガス惑星、アントファガスタⅣに一同の目が行く。確かにここにオスナブリュックを表す小さな光点が、力なく重力バランスをとって漂っているのが確認できる。

「テオーデリヒスハーフェン駐留軍救援部隊が展開するのがアントファガスタの八番惑星付近。すなわち反対側の宙域、デルタ宙域に展開するというわけだ。俺たちは足を怪我した巡洋艦を操ってこの宙域まで行かなきゃならんということさ。」

黒髪の異端児が吐き捨てるように言う。それと同時に場内にどよめきが沸き起こった。

「そんな・・・今のこの船が出せる最高速度は通常の三分の一だぞ!海賊に捕捉される!」

機関長を務めるジョシュア・チェスタートン候補生が絶叫に近い声を上げる。現在のオスナブリュックは往時の三分の一の速力しか出せない。高速艇であるスクーナーにはすぐさま捕まるものであるとは初等学校を入学した子供でも分かることだった。

「この船に積み込まれた弾薬は砲撃演習に使う演習用弾薬がほとんどだ。補足されたとして満足に応戦できるかどうか…」

砲雷長を務めるカール・エリクセン候補生がそう呻く。演習用の弾薬はその性質上低威力に抑えられているものが多いので彼の言はもっともである。

「そもそも駐留軍がなんでそんなところに展開するんだ?派閥関係とは考えにくいし…」

艦橋に詰め込んでいる艦長に代わる会議のまとめ役である副長のチェザーレ・ボルティエリ候補生がそうつぶやく。テオーデリヒスハーフェン駐留軍司令官カール・フォン・リウドルフィンガー上将と練習艦隊司令官マーチャーシュ・ラースロー少将の派閥はとりわけこれといった対立を起こしていない。そもそも将来の構成員の一端たる幹部候補生をわざわざ見殺しに行くとは到底考えられないことである。

「まあ、とにかくだ。俺たちが今やれることは無事にこの艦をデルタ宙域の指定ポイントまで運び込むことだ。そうすればテオーデリヒスハーフェン駐留軍の庇護下に入ることができる。急いで航行計画を立てる必要があるな。」

シャルダン候補生はそう言ってから端末を操作し、状況見取り図を端末内に収納した。

「ならば航海長、速やかに指定宙域までの航行計画を策定してくれ。砲雷長は火器類をいつでも使用可能な状態にしてくれ。海賊への脅しぐらいにはなるだろう。機関長は応急修理を可能な限り急ぐように。通信長はデルタ宙域突入まで無線封鎖を徹底、保安長はこれまで通り船内の治安活動を継続してくれ。医療班には負傷者に備えさせ、電信班には警戒を怠らないように努めてくれ。」

チェザーレ副長は速やかに各班にこれからの指針を速やかに伝える。兵は拙速を尊ぶというように部隊行動には素早い決断と行動が求められる。デルタ宙域到達という当面の指針ができた以上、オスナブリュックは素早い判断とそれに基づく素早い判断が必要であった。

「本会議の決定事項は俺が責任をもって艦長に伝える。各員は責任をもって事に当たるように。いいな!」

チェザーレの言に異論をはさむ者はいなかった。オスナブリュックの乗組員六百五十五名の命がかかっているのである。速やかに行動を始めないと税員の命が吹き飛びかねない。

「では、解散!皇帝陛下に栄光あれ!」

副長が帝国人が話の最後に着ける決まり文句を言うのを皮切りに、各部署の代表者敬礼を行ってからすかさず会議室から退室した。

(さて、これからが勝負どころだな。果たして吉と出るか凶と出るか。)

会議室から環境に向かう途中、バーゼングレーバーはそう思ったという。

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