live someone's time 08
袖を通すまでもなくサイズが不相応であることはわかっていた。
きっと一昔前に流行ったんだろう英語の歌詞がプリントされたTシャツは、私の趣味ではないけど、それでも仄かな洗剤の香りで安堵感をもたらしてくれる。
「うん、やっぱり似合ってる……ちょっと胸元が空いてるけど」
「うるさい、不可抗力でしょ、あんたの方が色々と大きいんだから」
とっくに着替えを済ませた詩乃は、脱ぎっぱなしの私の制服を畳んでいる。
「そんなこと、しなくていいのに」
「畳まないとシワになるよ」
「そういうことじゃなくて、私がやるから」
「いいよ、怪我人にやらせると時間かかるから、まだ着替えも終わってないのに」
「……なんかジーンズのサイズちょうどいいんだけど」
「そう? 裾が少し余計な気がするけど、そういうのが好きなら……」
もう余計なことは口にするまい。
怪我している左手のおかげで、トップボタンをかけてファスナーを上げる動作にすら手間取ってしまう。
ようやく支度が終わって振り向くと、彼女も二人分の服が入ったビニールバッグを手にベンチから立ち上がる。
更衣室からフロントに出ても、あいかわらず客の姿は見えない。
寂れた空気は、それでも不思議と温かさが残っている。
詩乃は色褪せたソファに沈み込んで、心地よさそうに扇風機に当たっている。
私は、数十分前と同じ姿勢のままのおばあさんを横目に、年季の入ったガラス戸の冷蔵ケースから瓶コーラを2本取り出す。
「……これ、もらいます」
「はいはい……そうねぇ、1本はおまけでええよ」
冷蔵ケースの貼り紙のとおり二百円を番台に差し出すと、おばあさんは手のひらから硬貨を1枚だけつまみ取った。
「あ、ありがとうございます」
「ええの、ええのよ」
歳月の刻まれた顔に人を安心させるような笑みを浮かべて、栓抜きを手渡してくる。
そこには余裕があった。
実際、彼女は私の何倍も生きているんだろうけど。
それとは別に経験を重ねる以上に大切なことを知っている、そんな気がする。
ぎこちない会釈を置き去りにして、詩乃がくつろいでいる方へと歩み寄る。
声をかけようとして背後から肩ごしに顔を覗くと、彼女は目蓋を閉じていた。
眠ってるわけではなさそうだけど、弛緩した表情がなんだか悪戯心を起こさせて、その上気した頬に水滴の付いた瓶を当ててみる。
「――ぅ、へぇあ、な、何?」
予想以上の慌てっぷりで、水滴に濡れた頬をぬぐう様子に思わずにやけてしまう。
「……何かな、希実花?」
不満げにジッと睨まれる私は、きっと相当に意地悪な表情をしてたんだろう。
「はい、私のおごり」
そういって栓を抜いた瓶を差し出す。
「あ、くれるの? ありがとう……」
「ほら、乾杯しよう、誕生日のお祝い」
「……あぁ、そういえば、そんなこといってたっけ」
私が瓶を揺らすと、彼女も渋々とそれに応じる。
「……どうする、歌った方がいい?」
「だから、そういうのいらないって」
「じゃあ、ええと…………誕生日おめでとう、乾杯ッ!」
二人の中間点で思ったより鈍い音が響く。
瓶を呷ると、甘露が刺激的に弾けながら口腔内を犯し尽くして、火照った身体を冷ましてくれる。
喉奥に絡みつくカラメルの甘ったるさすら、今は心地いい。
なんか久しぶりだな、こういうの。
それが誰かと同じ時間を共有することを指してるのか。
あるいは落ち着いた時間を過ごすことをいうのか、自分でもはっきりしない。
けれど、この時間は嫌いじゃない。できるなら、今という瞬間がずっと続いてもいいとすら思う。
彼女の方を向くと視線が合って、こっちが恥ずかしくなるくらい嬉しそうに微笑まれたので、気付かなかったふりして顔を逸らす。
そして、一人だったのは私だけじゃなかったんだと漠然と実感する。
私に料理を作ってくれる人が誰もいなかったように、彼女にも誕生日を祝ってくれる人はいなかった。
本来ならそれで完結する話。
ところが何の偶然か私たちが出会ってしまった。
神様の気紛れのおかげで、一人のままじゃ望むべくもない経験が叶ってしまった。
願ったわけじゃないけど、今なら出会えてよかったと素直に思える。
彼女もそう思ってくれてたらいい。
そんな甘い妄想を誤魔化すように、瓶の内容物を喉に流し込んでいく。
この穏やかな時間がせめて一分一秒でも長く続くようにと、歯が浮きそうなことを期待しながら。
displacement activity 埜上襤褸 @otonasiQ
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