live someone's time 06

「――きて、ほら、起きて、希実花」


 肩を揺すられて、私の意識はぼんやりと仄温かい場所から連れ戻される。


 目の前、テーブルの上では具材の切り方が雑な焼きそばと、コンソメスープが湯気を立てている。


「……あれ? 私、寝てた?」


「それはもう見事なまでに、起こすのが申し訳ないくらい……」


「ん、ごめん、それで……ああ、ご飯作ってくれたんだ」


「一応、ね。食べられる?」


「まあ、それは大丈夫だと思うけど……」


 目の前に並ぶ食事に視線を向ける。

 それは香ばしい匂いがして、具材の切り口にも、麺の焦げ付きにも人間らしさが溢れていて。


「……うん、美味しいよ」


 他人ひとはそれを拙さと呼ぶのだろうけど、当人わたしには味にも栄養価にも関わらない痕跡こそが尊かった。


「それはよかったけど……それなら、もう少し美味しそうに食べてくれないかな?」


「えっ、ああ、ごめん……」


 表情がこわばっていることに気付いて口角を上げようとするけれど、表情筋は固まったように動かなくて、ただ舌の上だけがジンジンと痺れていた。


「ううん、気にしないでいいよ、少しならお代わりもあるから」


「……そう、あの、これ、美味しいね」


「わかったから、もういいよ、そんなに褒められる料理じゃないと思うんだけど……」


 そうなの? なら私はおかしいのかな。

 こんな美味しい料理が、目の前で作られたことに驚いてるんだけど。

 まあ、私の料理経験といえば家庭科の授業がすべてだから、何がわかるのかって話なんだろうけど。


「今日のお昼は何食べたの?」


「ん? ……何も食べてない」


「今日の朝は?」


「コンビニ弁当かな」


「昨夜」


「ゼリーと、サラダ」


「昨日の昼間」


「えーと、……やっぱ食べてないかも」 


「健康的だね」


 驚いて顔を上げると、満面の笑みが浮かんでいた。

 

 思わずにやけてしまう。

 私はなんか彼女のことを気に入り始めている。


「それで、デザートは?」


「……そんなのないよ、って普段なら答えるところだけど、ケーキがあるよ」


「へぇー、今日は特別なの?」


「誕生日だからね、一応」


「――そうなんだ。それならお祝いしようか、プレゼントはないけど……」


「いらない、……なんとなく実感が欲しいだけだから」


「そう、じゃあせめて乾杯はしよう。ジュースでも何でもいいから」


「え…………どうして、そういうのはいらないって」


「ほら、少なくとも一人はあなたの誕生を祝福してるんだから、そのくらいは付き合いなよ」


「ほとんど今日が初対面でしょ」


「でも、あんたがいなかったら今日もご飯食べられなかったから」


「……そっか、確かに私はあなたの食事情を救ったんだもんね」


 お代わりの最後の一口を飲み下してから、小学校の給食の時間を思い出して手を合わせる。


「ごちそうさま」


「はい、ごちそうさまでした」


 立ち上がろうとした私の手から皿が奪い取られる。


 また椅子に沈み込む私。手持ち無沙汰であたりをキョロキョロしたり、特に目的もなくスマホの画面を覗き込んだり。


 おかげで今の時刻を知ることができた。それと明日は雨らしい。


 食器を片付けると、彼女は言葉通りにケーキを持ってきた。


 シンプルで上品な苺のロールケーキ。そこにナイフが差し入れられる。

 スポンジが凹んで、反発して、刃が台紙にとどくと途端にハタッと倒れる。

 小さい洒落たフォークが添えられて、さらにはコーヒーを湛えたカップが差し出される。


「ショートケーキじゃないんだ」


「てっぺんの苺のいかにも自分が主役です、っていう主張の強さが苦手なんだ」


「ははっ、なんだそれ、少しだけわかる気がする」


 おそるおそるカップに口を付けると、予想以上に熱い液体が喉の奥へと流れ込んでいく。


 普段ならシュガーを要求するその苦さが、今はケーキの甘さに馴染んでいくみたいで心地いい。


 フォークが皿に当たって音を立てる。

 たまに視線が交わってもそこに言葉はなく、ただカップの中身と皿の上の円形だけが体積を変えていく。


 おめでとう、甘い欠片を苦い液体で流し込むたび、心の中でつぶやく。


 誰に向けての言葉なのかはわからない。

 

 それは目の前の彼女かもしれないし、その彼女の目に映る少女かもしれなかった。

 

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