live someone's time 05
「落ち着いた?」
ティーカップの中身がなくなるタイミングで彼女がそう聞いてくる。
私が曖昧に頷くと、しかたなさそうに右手を差し出してくる。
その態度が少しムカついて、少し嬉しい。
「ほら、手、出して」
「へっ? 握手ってこと?」
右手を伸ばすと、手の甲をペチッと叩かれる。
「何やってんの、わざと? それとも天然なのかな。そうじゃなくて左手、最初からずっと庇ってるでしょ?」
「あぁ、いや、これはちょっと怪我して」
右手で覆い隠そうとするけど、もうバレてるのは確実だから、しかたなく素直に指示にしたがう。
「――うわっ! 何、これ、どうしたの? なんでこんな怪我ずっと――ううん、火遊びでも……いや、これは酸性の薬品だよね」
「ちゃんと水で洗い流したから」
「はいはい、いいからそのままでいてよ、ワセリンあったかな……」
そういうと彼女は立ち上がって、全体的に汚れているものの重厚で安定感のある本棚から、両手で抱えるサイズの救急箱を取ってくる。
「そんなの置いてるんだ」
「一応、何かあるかもしれないから。ごめん、痛いだろうけどもう一回洗うね」
「……うん、まかせた」
プラスチックの洗面器にミネラルウォーターが満たされて、そこに手首をつかまれた左手が沈む。
「……っ、た」
そのまま左手が洗われ、水分がシートで拭われる。
私はどこか他人事のような気分で、淡々と医療用のポリエステル手袋をはめている彼女を眺めている。
「それじゃあ、ワセリン塗るから」
私の返事が必要な場面でもないようで、やがて手の甲に冷たい感覚があってからすぐにそれも体温に馴染んだ。
手袋越しでも彼女の体温は私のそれより温かくて、なんか不思議な気分になる。
「大丈夫、痛くない?」
「そんなの痛いに決まってるよ、いやごめん、そうことじゃないよね」
「ふふっ、希実花は捻くれてるね、でも私は別にそういうので怒ったりしないから」
「なんか……こう、あんたと話してると変な感覚なんだけど、調子が狂うっていうか」
「希実花も十分変だけどね。普通そういうこと本人に言わないよ――はい、塗り終わった」
「……えっと、このままでいいの」
「そんなわけないよ、はい、これはめて。それと基本的に左手は使っちゃダメだからね」
そういって彼女は自分がはめてるのと同じ手袋を手渡してくる。
私がおそるおそる傷口に触らないよう手袋をすると、手首のところを輪ゴムで止められる。
「どうする、吊る?」
「ううん、このままでいい、その……ありがと、う、ございます」
「ん、はい、どういたしまして」
救急箱を元あった棚に押し込むと、紅茶のお代わりを持ってきてくれる。
「夜ご飯、焼きそば作るけど希実花も食べる?」
「インスタント?」
「ううん、私が作るの、まあ、適当だけど」
「ここって調理用具もあるの? 本当に暮らしてるんだ」
「んー、そんな大したものじゃないけど、二人分作っていいのかな?」
「あ、ぅん、私はどうすればいい」
「あなたは絶対安静……とりあえず今日は。そんな時間かかるものじゃないし」
「それじゃ、お願いする」
彼女は早速、部屋の北側にある長机に置かれたビニール袋をガサゴソとあさっている。
そのうち包丁がまな板を叩く音が連続的に聞こえるようになって。
私は全身の倦怠感と、容赦のない眠気に耐えながら、少しずつカップの中身を減らしていく。
ここは私にとって初めての場所だけど、ここには通い慣れた屋上とはまた別の、でも同じくらい落ち着いた、もっと温かい時間が流れている。
そのことが素直に嬉しかった。
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