水墨画の音楽

ネコ エレクトゥス

第1話

 最近お気に入りの音楽に『ユダヤのシャンソン』なるCDがある。それがいったいどういうものなのかを説明する前に、ユダヤのシャンソンなるものが出来上がった時代背景をご説明したい。

 このユダヤのシャンソンを歌い継いできたユダヤ人というのはもとはと言えばスペインに長く暮らしていた。それが有名なカトリック教徒による国土統一、レコンキスタの後、善良なカトリック教徒を堕落させるという理由でスペインから追放されたのだった。つまりこのユダヤのシャンソンにはレコンキスタ以前のスペイン文化の影響が色濃く残っているということができる。そしてこのレコンキスタ以前というのは芸術史的に言うところのロマネスク、ゴシック時代、当時の建築物にも残るように何か得体のしれないドロドロとしたものが空気の中をうごめいていた時代だった。

 その一方でスペインの南部はいまだイスラム勢力の支配下にあった。当時のスペインのイスラム世界は大哲学者アヴェロエス、ユダヤ哲学界の最高峰マイモニデスが活躍するなど世界の学芸の一大中心地であり、ユダヤ資本を基にした金融の中心であり、そして今日まで残る人類が生み出した最高の建築物の一つアルハンブラ宮殿もこの時代に建てられた。一言で言うならこの時代の世界の中心だった。

「後の時代にスペインが日の沈まぬ帝国を築いたのはこの時代の遺産があったからであり、この時代の遺産を使い切った時スペインは没落した。」

 こんなことを書いた人がいたがそれはあながち嘘ではない。

 ユダヤのシャンソンなるものはそんなスペインを舞台として形作られていった。


 だいぶ前置きが長くなってしまったがそのシャンソンとはいったいどんなものなのか?

 それに答えるのにはルネサンス以降のヨーロッパ音楽と比較してみるのが分かりやすいと思う。

 近代のヨーロッパ音楽は音を積みかさねていくことによって形成された。シンプルなカノン形式などに始まって最終的には交響曲や巨大なオペラまで。それは絵の具を積みかさねて陰影を表現したレンブラントや神の栄光を際立たせるために描かれた巨大な宗教画の歴史と一致している。また0と1のコンビネーションを積みかさねていくことによって何が表現できるのかというデジタル思考もこの時代に始まっている。

 これに対してユダヤのシャンソンは0と1の間にはいったい何が揺らいでいるのかを表現するのに特化した音楽である。同時代のダンテの『神曲』が最高天と地獄の両極の間で織りなされる物語の記述だったのと同様である。そしてそれは僕らに近いところで言えば白い紙に墨のみで世界を表現していく水墨画の世界に近似していると言ってもいいのだろう。それならユダヤのシャンソンの世界は「もののあはれ」や「幽玄」の世界と近いところにあるとも言えそうだ。日本人にはスペイン音楽の魅力に取りつかれる人が結構いる。それにはこんな理由もあるのかもしれない。そしてそのユダヤのシャンソンに宿る精気は今なおスペイン音楽に流れている。

 考えてみると文章を書くという作業も白と黒という二色で世界を表現しようという試みに他ならない。それならその二色の間に何かを読み取り、宿らせようとしている皆さんもきっとスペイン音楽が気に入ってくれるはず。ぜひ一度お試しを!

 

 

 

 

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