◆6◆ 不穏な午後
もしかしたら
寂しくないのかな。
そういえば田中さん――莉競ちゃんのママから入園セットを注文されているのである。ということは、この春から幼稚園、あるいは保育園に入園するのだろう。保育園なのだとすれば、もしかしたら求職中なのかもしれない。この『急な用事』というのももしかしたらそれに関することかもしれない。そう考えれば、ちょっと仕方がないかな、なんて思ってしまう。よく言うじゃないか、助け合いって。
それからぽつぽつとお客さんが来て、接客をしたり、レジを打ったりする。この時期に相談されるのは、やはり入園入学絡みのものが多い。どういう布地を選べば良いのか、なんてものもあれば、型紙はどうやって作ったら良いのか、といった相談もあったりする。小学生の場合はランドセルの上から背負えるタイプのナップザックが流行っているようで、それの作り方を聞かれたりもする。まぁ、大きな巾着を作るのとほぼ同じ作り方なんだけど。
今日もやっぱり、レジを打つことよりも接客の方が長い。けれども、僕はこの時間が好きなのだ。
もともと手芸が好きな人はもちろんだが、「ちょっとやってみようかな」と足を踏み入れてくれた人が、これなら頑張れそうって思ってくれたら嬉しい。別に手作りじゃないと愛情が感じられないとか、そこまで極端に考えているわけじゃないけど、それでも『手作り』ってやつはちょっと特別な感じがするから。
ありがとうございましたとお客さんを見送って振り返ると、店のコンセントで充電しながら動画を見ていた莉競ちゃんが何やらつまらなそうな顔をしてこっちを見ていた。
「どうしたの? トイレ?」
さすがに今日はトイレを開放することにした。掃除は毎日行っているので問題はない。
「ちがう」
「じゃあ、どうしたの?」
「あの人、お金払ってない」
「え? ああ、うん。何も買ってないからね」
「お店に来たのに、なにも買わないで帰るの? おしゃべりだけで?」
まぁ、それも言うなら君もだけどね、とはまさか言えないけど。
でも確かに子どもにはそう映るのかもしれない。
お店というのは、お金を払って商品を買うなり何かしらのサービスを受けるものだと、母親からそう教育されているのだろう。
「僕のお店はね、ものを買うだけのお店じゃないんだ」
「なにそれ」
「例えばここにあるバッグを作りたいとするでしょ」
「うん」
「でも、さぁこれと同じものを作ってごらん、って言われて、すぐに作れる? 何がどれだけ必要かとか、わかるかな?」
「わかんないかも」
「そうでしょう? 慣れてる人にはわかるんだけどね、初めて作る人にはちょっと難しいんだ。僕は、皆よりちょっとだけそれが上手だから、こうしたら良いですよって、アドバイスしたりするんだよ」
「お金いらないの?」
「えぇとね、お金をもらう時もある。学校みたいに皆で集まって教える日があるんだけど、その日はお金をもらう。だけど、今日みたいにちょこっとだけアドバイスするんだったら、お金はいらない。材料を買って行ってくれることもあるしね」
莉競ちゃんはあまり納得がいっていないような顔をしている。子どもにはわからないかな。でも確かに、手芸教室は有料で、今日みたいなのは無料、というのは子どもにしたら線引きが難しいのかもしれない。
「このお店、つぶれたりしない?」
「え? ううん、大丈夫だよ」
たぶん、というのは心の中にしまっておく。
このお店は余程のことがない限り、あと、僕がおかしな欲を出さない限りは大丈夫なのだ。細々と、つつましくやっていれば、まず大丈夫だろう。
「私、あんまり貧乏なのはやだなぁ」
「え?」
「こんなんじゃ、ちょっといいところでデートとかさぁ、できないんじゃない?」
「そ、そんなことないよ」
まぁ、高級なお店に連れていくとか、高価なアクセサリーは無理かもしれないけど……。でも、そうか。そうだよなぁ。マリーさんだってきっと素敵な夜景が見られるレストランとか、そういうのに憧れてるかもしれないし……。ああでも、そもそも
「ちょっと、何ぼーっとしてんのよ!」
「うわぁ、ごめん」
「まったくもう、大人のくせにちゃんとしなさいよ」
「は、はい……」
「とりあえず、今日の夜はゆるしてあげるけど」
「うん? 今日の夜?」
「そ。今日の夜。仕方ないからファミレスでいいわ」
「ええ? 何のこと?」
「ここ、何時に終わるの?」
「えっと、7時だけど。いや、ちょっと待って。ご飯とか行かないからね? 僕、恋人と約束があるんだから」
……まぁ、まだ返事は来てないんだけど。
「えー、いいじゃん。そんなの。りぃとりぃのママとご飯食べようよ」
「駄目駄目!」
「けち!」
「ケチとかじゃなくて!!」
と、口論(?)していると、常連客の安田さんがやって来た。先日注文したスタイを取りに来たのだろう。
「あらあら、田中さんところの」
顔見知りなのか、莉競ちゃんは「うげぇ」と言って、テーブルの端に移動し、きちんと座り直して動画視聴を再開した。安田さんに苦手意識でもあるのか、口を尖らせてちらちらとこちらを気にしている。
「スタイ、出来てますよ」
「ありがとうね」
「いえ。いまお持ちしますね」
店の奥の鍵付きの戸棚から紙袋を取り出し、それをカウンターの上に置いて申込書を差し出す。常連さんだから間違うことはないとは思うものの、一応受領のサインはしてもらうことになっているのだ。
「スミスさん、こんなこと言うのはあれだけどね」
サイン済みの申込書とペンをこちらに渡して、安田さんは声を落とした。
「はい?」
「あそこの
「え?」
いや、まぁ、莉競ちゃんについては僕の中で確実に『要注意人物』になっているけれども。
「あのお母さん、いろんなお店でこうやってあの子を預けて遊びに行っちゃうの」
「ええ?」
「近所じゃ有名なのよ。スミスさんも目をつけられないうちに逃げた方が良いわ」
「と、言われましても……」
「大丈夫、私、あそこの姑さんと仲が良いから、いま回収してもらうわね」
「え?」
母子家庭じゃないの?! だって莉競ちゃん、新しいパパがどうとかって言ってたじゃないか。
その数分後、鬼のような顔をしたおばあちゃん(本当にお姑さんだった)が莉競ちゃんを回収しにやってきた。ウチの馬鹿嫁がすみません、と僕に何度も頭を下げて。その間、莉競ちゃんは僕と目を合わせずにずっとそっぽを向いていたが、去り際にキッとこちらを睨みつけ「あんたなんか大嫌い」とあっかんべぇをされてしまった。
何だかもうどっと疲れた。
ああ、マリーさんに会いたい。
でも、返事が来ない。
どうしよう。
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