◆4◆ 厄介な正午
何でこんなことになってるんだ。
そう思いながら、本来は第3水曜日にだけ出している長テーブルに座っている女の子を見た。
その女の子――
僕の店、スミスミシンは基本的にそんなに繁盛しているわけではない。手芸店なんてそんなものだろう、と思われるかもしれないが、都会にある大きな手芸店に行けば、その認識を改めざるを得ないと思う。こんなに手芸する人がいるのか!? と驚くくらいにいつも賑わっているからだ。
だけれども、僕の店はそうではない。
まずそもそもの話として、都会に比べて人口が少ないということ。
それから、品揃えだろうか。大手に比べると、やはり品揃えはよろしくない。
僕のお店の商品はメーター切り売りの布地と糸、ボタンやファスナー、アップリケ等の小物と、針やハサミ等々の手芸道具。ミシンも一応置いてるけど、それはあんまり売れない。あとは、僕が作った小物類くらい。気軽に挑戦出来るようなキットの類もあれば良いかと、試しに刺し子のコースターを作れるキットを置いてみたのだが、いまのところあんまり売れていない。
ちなみに売り上げの大半を占めるのはミシンの修理や、個別注文。あと意外に大きいのが月に1度(稀に2度)の手芸教室だ。
とはいえ、全く暇なわけではない。
小野田さんのような常連さんもいるし、こういうものを作りたいんだけど、何が必要かしらと尋ねてくるお客さんも多いのだ。ただ、その接客の長さと売り上げが比例していないだけで。
この子が母親とこの店に来た時、お店の中には僕と小野田さんくらいしかいなかった。莉競ちゃんは僕に対してさんざん「ガイジンさん! ガイジンさん!」と叫んだ後、キャラクターの布地コーナーで、自分の好きなキャラがどれだとか、そういうことを母親と話していた。はずだった。
そのうちにお客さんがぽつぽつと来て、僕は布地の裁断をしたり、お客さんの相談に乗ったりしていた。小野田さんが「そろそろ帰るわね」と僕に会釈をして、それに応えて、で、何かがおかしいなと思ったのだ。
何かがおかしい。
何かが足りない、と。
何だろう何だろうと店内をぐるぐる見回して気が付いた。
莉競ちゃんのお母さんがいない。
生地コーナーの影だろうか、それとも端切れコーナーとか。ウチは基本的に長居するタイプのお店ではないので、手芸教室の日以外はトイレを開放していない。だけど、店内を見渡しても莉競ちゃんのお母さんはどこにもいないのである。不思議なのは、莉競ちゃん自身がそれについて、例えば不安そうにしているとか、泣いてるとか、そういうことがない点だ。母親がいないことに気が付いていないのだろうか。
「もしもし、こんにちは」
腰を落として声をかける。
「あーっ、ガイジンさん! りぃに何の用?」
とても元気のよろしい子だ。よろしすぎてちょっと耳が痛い。あと、『ガイジンさん』って地味にダメージが……。いや、これくらいの子からすれば僕は『ガイジンさん』か。
「お母さん、どこにいるのかな」
「えーっ? ママ? あのねぇ、あそこ!」
そう言って指差したのは店の外である。ああ、何だ、電話をしていただけか。
よく見ると、どうやらタバコも吸っているらしい。どうしよう、灰皿なんて設置してないんだけど、ポイ捨てなんてしないよね? あぁ良かった、携帯灰皿持ってるみたいだ。
しかし、いつからかけているんだろう。
まぁ、この店は出入り口もひとつしかないから、あそこにいれば莉競ちゃんがここを抜け出そうとしてもすぐにわかるから良いんだろうけど。
でもまぁ、いるなら良いか。
そう思ってカウンターに戻ろうとUターンした時。
くい、とエプロンの端を掴まれた。何だ? とそちらを見てみれば、莉競ちゃんである。何やら不敵な笑みを浮かべてエプロンをくいくいと引っ張っているのだ。
「どうしたの? トイレ?」
いくら子どもとはいえ、ちょっとデリカシーがないかなとも思いつつそう尋ねると、やはりニヤニヤと笑いながら首を振るのだ。
「やっぱりね」
「――うん? 何が?」
「ガイジンさんも、そうなのね」
「いや、だから何が? ていうか、出来ればその『ガイジンさん』やめてほしいなぁ」
「だって、名前知らないもん。ガイジンさん、名前なんていうのよ」
「僕は、然太郎・スミス。お客さんはだいたい『スミスさん』って呼ぶかな」
「ふうん、スミスさん、ね。わかった」
「それで、僕の何が『やっぱり』なの?」
「スミスさんも、ママが好きなのね?」
「は? はい?」
「男の人ってみーんなママのことが好きなの。それでね、みーんな私に聞くの、ママのこと」
言われてみれば確かにきれいな人だったかもしれない。成る程、直接色々聞くんじゃなくて、子どもから情報を聞き出そうとするわけか。いや、でもそれはどうなんだろう。
「ま、あなたなら良いかな」
「え?」
「こないだの人はぜーんぜんかっこよくなかったの。おなかも出てたし、なぁーんか、おじさんって感じで。私だって一緒に歩くなら、かっこいいパパがいいし」
「いや、僕は違うよ」
「えぇ?」
「僕にはね、ちゃんと素敵な恋人がいるんだ」
「うっそぉ、絶対ママの方がきれいだよ。ママにしなよ。りぃもいるし!」
莉競ちゃんはどうやら『自分もつく』というのを、特典のように思っているらしい。たぶん、連れ子ありの方が尻込みする男性は多いと思うんだけど……。
「あのね、僕にとってはママより僕の恋人の方がきれいだし、素敵なんだ。だからね――って、ええぇ?!」
そう答えるや否や、莉競ちゃんは店の入り口に向かってだっと駆け出した。そして、いつの間にか通話を終えていた母親から何やら耳打ちされると、彼女はこくんと頷いてビニールの袋を受け取った。それからその母親は、というと――、僕に会釈をして、そそくさとその場を立ち去ってしまったのである。
「え? ちょっと! ――うわぁ」
慌てて追いかけようとする僕を阻んだのは莉競ちゃんだ。足にしっかりしがみついて離れない。
「ママ、急に用事が出来たみたいなの! すぐ戻ってくるから、ここで待っててもいいでしょ! ご飯もちゃんとあるから!!」
「え? えええ?」
「じゃないと私、この辺ひとりでうろうろして知らないおじさんについていったりとかして、道路にとびだしちゃったりして、それからそれから――」
「わ、わかったよ。すぐ戻ってくるんだね?」
「うん!」
……で、長テーブルと椅子を出した、というわけである。
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