◆2◆ 悶々とした午前
「ヤバい、やっちゃったかもしれない……」
最近の僕は何だかもう先走って失敗してばかりだ。
どうして僕は全く推敲もせずにメッセージを送ってしまったんだ。
『ありがとう。お礼をしたいから、今日の夜お店に来れないかな? マリーさん、明日はお休みだよね?』
僕としては、明日がお休みなら、帰るのが多少遅くなっても問題ないよね? くらいの気持ちで送ったつもりだったのだ。閉店近くくらいに来てもらって、そこから一緒にご飯でもどうですか、というか。
だけど、これってもしかして「ウチに泊まっていかない?」みたいな感じに捉えられてしまうのではなかろうか。
間違えた、と気付いた時にはもう遅い。『既読』と表示されてしまったので、取り消しも出来ない。
違うよ、お泊りとかじゃないよ、と送ったら、なおさら怪しくないだろうか。えっ、これどうしたら良いのかな。詰んだ? これ、詰んだ?
どうしよう、マリーさんから返事が来ない。
僕は悶々とした気持ちで身仕度を済ませて開店準備に取り掛かった。少し頭を冷やしてから、もっとちゃんとしたメッセージを送ろう。ああ、どうして僕はまともに女の子と付き合ってこなかったんだ。
「スミスさん、今日は何だかお顔が晴れないのねぇ」
いつものように、刺繍糸を買いに来た小野田さんというおばあちゃんが、お茶を飲みながら僕をまじまじと見つめる。小野田さんはいつも開店するとすぐに来てくれる常連さんである。この店が散歩コースになっているらしく、おしゃべりだけじゃ悪いからと買っていくのは決まって刺繍糸だ。それからたまに無地の布とファスナー。刺繍入りのクッションカバーを作るのが趣味らしく、これまで作った作品の写真を見せてもらったが、どれもまぁ見事なものだった。
そして、お会計を済ませた後で、お茶を一杯飲んでいく。ウチのお店にたくさんのティーバッグを寄付してくれたのもこの小野田さんなのだ。
「顔に出ちゃってますか。接客業なのに、困ったなぁ」
「そういう日もあるさね。どしたの、恋人と喧嘩?」
「へぇっ? あれ? 僕、恋人が出来たなんて言いましたっけ?!」
マリーさんから結構きつめに口止めされているのだ。「私みたいなのが然太郎の恋人だって知られたら、確実に刺されると思う。私が」って。そんなことないと思うんだけど、幼馴染の里香ちゃんの件を思い出せば、『絶対』とは言い切れない。
「ほっほっほ。やっぱりねぇ。常連客を舐めたらいかんのよ。ぜーんぶお見通しさね」
「御見それ致しました。でも、それは常連客というより小野田さんの観察眼が優れているだけではないでしょうか」
「あら、言ってくれるわねぇ。ほっほっほ」
小野田さんは楽しそうに笑ってから、ずい、と身を乗り出してきた。「それで?」と続きを促してくる。幸いなことに、お客さんはいまのところ小野田さんしかいない。
「いや、何ていうか……、喧嘩ではないんです」
「あら、そうなの?」
「たぶん。僕が未熟なせいで、ちょっと先走ってしまったというか」
「スミスさんは奥手なのねぇ。ハンサムなのに」
「ハンサム関係ないです。僕はどちらかというと、この顔で損をしてきたタイプですから」
「そうなの? まぁ、ここは田舎だし、ガイジンさんだと思われると避けられちゃうかもしれないわねぇ」
どちらかといえば、年配の方ほどそういう傾向にある。『ガイジンさん』――外国人、というものにあまり免疫がない、といえば良いのか。日本人と比べて身体もまぁまぁ大きいし言葉も通じなくて怖い、というのがあるからだろう。年配の店員さんなんかは、僕が近付くと露骨なまでに嫌な顔をして離れて行ったりもする。たぶん、英語で話しかけられると思っているのだ。酷い時は話しかける前に「アイキャンノットスピークイングリッシュ!」と叫ばれることもある。いや、
ただ、これが若い女性となると話は違ってくるのだ。興味津々といった顔でさりげなく近付いてくる。それで僕が流暢な――ってそれしか話せないんだけど――日本語で話しかけるとそれはもう丁寧に接客してくれるのだ。さらには、自分の電話番号なんかを書き記したメモ用紙まで渡してくる。一応、その場でつき返しているけれども。
「避けられる、というよりは、好かれ過ぎる、と言いますか。女の子達は僕の顔しか見てないと言いますか……」
「あらまぁ。そういうこと。それじゃあ、その恋人はスミスさんの顔以外もちゃんと見てくれる人なのねぇ」
「それはもう。僕の好きな和菓子をいつも持ってきてくれて、僕の話もたくさん聞いてくれて、ふわっと優しくて可愛くて、でも仕事の時はきりっとしてて、素敵な人なんです」
「あらあら、スミスさんっら、その人にぞっこんじゃない」
「そうです。ぞっこんなのです。ぞっこんすぎて、焦りすぎました」
「反省ね、そこは」
そう、反省すべきだ。
僕ばっかりが好きすぎるのかもしれない。
そうだ、マリーさんは僕が好きだと言った時も、まだ『好きだと思う』だったのだ。もしかしたらまだ『好き』があやふやの状態なのかもしれない。まずは僕のことをしっかり好きになってもらうことから始めなくちゃいけないのかもしれない。
「でもねぇ、自分のために必死になって空回ってる男を見るのもまた良いものよ」
「え」
「女心って難しいのよ」
さすがは御年82歳のレディは違う。発言に深みがあるというか……。きっと恋愛経験が豊富な方なのだ。
僕が感心していると、カラン、とドアベルの音が聞こえてきた。お客さんだ。
「いらっしゃいませ」
そう声をかけるが、必要以上に話しかけたりはしない。僕自身がそういう接客があまり好きではないからだ。でも、尋ねられた時はもちろん丁寧に接するけれども。
入ってきたのは、昨日入園セットを注文してくれた田中さんだ。どうしたんだろう、キャンセルだろうか。もう布は裁断済みだし、縫い始めちゃったんだけど、まぁその場合は店に並べるだけだ。
「うっわぁー!! ガイジンさんだー!!」
耳をつんざくような大声が聞こえ、僕と小野田さんはそろってびくりと身体を震わせた。何だ何だとその声の方を見ると、田中さんの後ろに隠れていたらしい女の子が僕を指差してきゃあきゃあと笑っていた。
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