第45話 セイレーンの罪と罰

 新たな大地母神デ・メーテルは、初代の大地母神ガイアと、先代のゲ・レイアの指導を受けながら、豊穣を祈る儀式を執り行うために世界各地を巡っていた。

 そして、この大地母神の三女神が、オリュンポス山のお膝元である、テッサリア平原で儀式を執行していた時、大地母神たちに向かって、翼を激しく羽ばたかせながら、空から急降下してくる三つの影があった。

 それらは、大地母神が、コレーの世話を委ねていたセイレネス(単数形セイレーン)だったのだ。


 ティターン神族の大洋神オケアノスとテテュス、この兄妹神の息子に<アケローオス>という名の河神がいる。

 アケローオスは変化の術を得意としていたのだが、その真の姿は、上半身は、長髪に濃い髭を蓄えた人だったのだが、その頭には、牡牛の角が生えており、そして、下半身は、蛇のような魚の形であった。そのため、アケローオスは、牡牛や大蛇に変化することを得意としていた。

 そのアケローオスの領土は、自らの名から採った<アケロース川>であり、これは、ギリシア北西部から、パトライコス湾、地中海へと流れる、この地では最大の大河であった。

 ある時、河神アケローオスは、<ステロペー>という女神に求婚したことがあった。

 ステロペーは、プレイアデス(単数形はプレイアス)七姉妹の一柱である。

 プレイアデス七姉妹は、ティタノ・マキアの戦犯であるアトラスの娘であった。アトラスは、娘たちの助命のために、ゼウスから重罰を課され、プレイアデスは、いわば、神質として、オリュンポス山に預けられていたのだった。

 アケローオスは、オリュンポス山を訪れた際、給仕を務めていたステロぺーの姿を目にして、たちまち恋におちてしまい、主神ゼウスに、ステロペーとの結婚を願い出たのだ。

 だがしかし、ちょうどその時、ゼウスに、ステロペーとの結婚を願い出ている別の求婚者もいた。その神は、神格も、アケローオスと同格で、結果、アケローオスは、ステロペーを巡って、その男神と争うことになったのだった。

 その戦いにおいて、アケローオスは、得意の変化の術を使って、次々に変態してゆき、競争相手を翻弄した。だが、雄牛の姿になった時、相手が、苦し紛れに角を捕んできた。そして、まさに偶然の結果だったのだが、てこの原理で、アケローオスの片方の角は、へし折られてしまった。しかし、アケローオスは、片角になりながらも、その男神に勝利し、かくして、ステロペーを妻にすることが叶ったのだった。

 戦いの後、大地に大の字になって、仰向けに寝転んだ満身創痍のアケローオスの折れた角の傷口からは血が噴き出していた。そのアケローオスの頭を、ステロペーは自分の膝の上にのせた。

 アケローオスの頭から流れ出た血は、河となって、ステロペーの膝、そして、太腿を通って、股の間にまで流れ出込んでゆき、その血の河は、ステロペーの体内にまで入り込んでいった。そうして、誕生したのが、<セイレネス(単数形セイレーン)>だったのだ。

 セイレネスは、上半身が人の女、下半身が鳥の姿の半獣神であった。

 アケローオスは、娘たちを立派な女神にするために、クレタ島の祖母ガイアと叔母レイアに預けることにした。クレタ島の大地母神に幼き女神を預けることは、神々の世界における女児育成の定番であった。そして、大地母神のお眼鏡にかなうことは、神として、これ以上に栄誉なことはないのだ。

 セイレーン三姉妹は、大地母神の目の止まり、ガイアとレイアは、クレタ島にやって来たデメテルの世話を、セイレネスに託した。さらに、新たな大地母神となったデ・メーテルも含め、三代の大地母神は、その厚い信頼を置いているセイレネスに、デ・メーテルの娘コレーの養育という大役を任せさえしたのだった。


 その、クレタ島にいるはずのセイレーン三姉妹が、慌てふためいた様子で、突然、空から出現したのだ。 

 大地母神たちは、そこに尋常ならざる事態が発生したことを感じ取っていた。

 セイレネスは、クレタ島の大地が突然割れ、そこから出現した黒馬に乗った謎の男が、コレーを連れ去って行ったことを、三柱の大地母神たちに告げた。

 セイレーンたちから、話を聞いた直後、現・大地母神のデ・メーテルは、一瞬にして、その身を牝馬に変化させると、現在進行形で行なっていた豊穣の儀式を途中で放り出し、ガイアとレイアが止める間もなく、全速力で駆け出していってしまった。

 デ・メーテルが、大地母神のお役目を放り出してしまったため、大地母神の加護力が付与されなかった、テッサリアからは、徐々に大地の力は失われていったのだった。

 

 そして、その場には、ガイアとレイア、そして、報告のために飛来したセイレーンたちだけが残された。

 初代と先代の大地母神たちの怒りを反映し、地面は烈しく鳴動していた。

「わたくしたちの期待を裏切り、コレーを守り切れなかったあなたたちには罰を与えます」

「「「申し訳ないありません、申し訳ありません、申し訳ありません」」」

 セイレーンたちは、振動止まない地面に額をつけたま、謝罪の言葉を繰り返し続けていた。

 そのように平伏するセイレーンたちを、ガイアとレイアは、一言も言葉を発さないまま、見下ろし続けていた。大地母神たちの怒りをはらんだ鋭い眼差しは、セイレーンたちの、その美しき翼に注がれていた。

 ガイアは、レイアにそっと耳打ちすると、レイアは、平伏したままのセイレーンたちの背後に回った。

 セイレーンたちの正面に立ったままのガイアの胴体からは、さらに二対の腕が生え、合計六本になった腕は、セイレネス三姉妹の一柱一柱、それぞれの両脇に差し入れられ、セイレーンたちの身体を抱え上げた。

 そのセイレーンのたち両足は大地から浮き上がっていた。

 大地母神に抱え上げられたセイレーンたちは、許された、と思い込み、その顔を上げた。

 そして、ガイアと目と目が合った瞬間、セイレーンたちは、己が背中に激しい痛みを覚え、たまらず苦痛で顔を歪めてしまった。宙にある両足をばたつかせ、ガイアの腕から逃れようと試みたが、足が地に触れていないため、踏ん張りが効かず、逃げることは叶わない。

 一方、セイレーンたちの背後に回ったレイアは、身動できないセイレーンたちの羽の一枚一枚をゆっくりと引き抜いていたのだった。

 地面が、セイレーンたちの白き羽で埋められた時、ガイアは、彼女たちをようやく地面に降ろした。

 セイレーンは、そのまま大地に倒れ伏してしまった。

 ようやく、苦痛が消えたセイレーンたちの背中からは、全ての羽は失われていた。

「セイレーンよ、これが、あなたたちへの罰です。あなたたちからは、美しき白い翼は永久に失われ、もはや二度と空を飛ぶことはできません。そして、命を下します。下半身を魚に変えなさい」

 ガイアに言葉の強制力が、セイレーンたちを、上半身は人、下半身は魚の姿に変化させた。

「魚の姿になったあなたたちは、海原にて、コレーの捜索に当たりなさい。私たちは、あなたたちから、その歌声は奪いません。あなたたちが歌えば、その歌が及ぶ範囲を通った者は、抗うこと叶わず、いかなるものであれ、必ずその歌の魅力に吸い寄せられることでしょう。その者たちから、コレーの情報を集めるのです。いいですか。コレーがデメテルの許に戻り、かの親子が、ずっと一緒に暮らせる日が訪れるまでは、セイレーンよ、あなたたちを、その海での役目から解放せぬことを、この原初の神が一柱ガイアの名において命じます」

 かくして、ガイアの言霊の力が、セイレーンたちを、海に永遠に縛り続けることになったのだった。

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