第36話 海王ポセイドンの海底神殿の建造

 神々の世界の中心たる<テッサリア>は、山に囲まれた平原で、その西に連なっているのはピンドス山脈である。この山脈は、ズメルカ山(現在の度量衡で二三九三メートル)、ラクモス山(二二九五メートル)など、標高の高さを誇る山岳によって構成されている。このラクモス山の麓からは、大河アヘロス川の源流があり、この川はイオニア海に注がれている。つまり、四方が山に囲まれている天然の要害テッサリア地方からの海への西の出口は、このアヘロス川だけなのである。

 このテッサリアの北に聳え立っている、神々の世界ギリシア世界最高峰の山こそが、ゼウスたちオリュンポス神族の本拠地である<オリュンポス山(二九一七メートル)>である。

 そして、テッサリアの東側、すなわち、オリュンポス山の南東側にあるのが、<オサ山(一九七八メートル)>で、この山の東側には、エーゲ海の<セルメイコス湾>が位置し、オサ山の南西側にはラリサ平原が広がっている。

 このオサ山の南側に聳え立っているのが、<ピリオ山>で、このピリオ山を、人と馬との半獣神の一族である<ケンタウロス>がその住処にしていた。そして、このピサ山の南西、テッサリアの南部には、かつて、ティターンの本拠地であった<オトリュス山>が聳え立っており、一方で、ピリオ山の南東の麓に位置しているのが<パガサイ湾>である。

 パガサイ湾と言えば、かつて、ティタノ・マキアの折に、ティターン神族のクロノスの水城が建てられた場所なのだが、戦いの後、ここは、ゼウスたちオリュンポス神族の所有地となり、<ヴァロス>という名の都市が作られた。このパガサイ湾最奥部の町ヴァロスこそが、テッサリアから、エーゲ海方面への唯一の出入り口になっており、それゆえに、この港町ヴァロスは、ティタノ・マキアの後、海の覇者となったポセイドンの直轄地となっていたのだった。

 

 ヴァロスというエーゲ海の出入口を押さえた、海王ポセイドンは、エーゲ海からパガサイ湾への海峡の南東すぐ近くに位置している<エウボイア>地方を、ポセイドン一族の陸の本拠地に定めた。

 そのエウボイア地方中央部の西は、アッティカ地方の北東部と隣接し、エウボイア地方の南西部とアッティカ地方の東部の間には<ペタリオン湾>が存在していた。

 ポセイドンの本拠地であるエウボイアと隣接しているアッティカ地方とは、主神ゼウスによって、その長子であるアテナの封土とされた地であり、つまるところ、ゼウスの長子女神アテナと、ゼウスの次兄ポセイドンの本拠地は、ペタリオン湾を間に挟んで隣り合っていたのである。

 そもそもの話、ポセイドンが、エウボイア地方を領有したのは、ここが、オリュンポスの本拠地であるテッサリアに近接し、さらに、テッサリアとエーゲ海を繋ぐパガサイ湾にも近く、つまるところ、オリュンポスの本拠地から遠くなく、かつ、エウボイアの東部に広がっているエーゲ海を支配する上で、エウボイアこそが利便性の高い地だったからである。そういった理由から、ポセイドンは、エウボイア地方の東部に位置する<デルフィス山>の頂に、宮殿を築き、この山の頂から、眼下に広がるエーゲ海の状況を一望していたのであった。


 そして、ある日のことである。

 海神ポセイドンは、突然、その本拠地を、デルフィス山から海底に移し、そこに宮殿の建造する事を発表した。

 しかも、その建設予定地とは、エウボイア地方の東部、広大なエーゲ海方面ではなく――

 エウボイア地方の西とアッティカ地方との間に位置している、狭きペタリオン湾の海の底とのことであった。

 公表と同時に、ポセイドンは建造に着手し、そして瞬く間に、ポセイドンの海底宮殿は完成した。

 新築されたばかりの海底宮殿に到着したポセイドンは、ヘパイストスと単眼の三巨人キュクロペスのが作り出した神器<三叉矛>の柄を右手で握ると、その柄の底で、海底を力強く突いた。

 すると、そこがひび割れ、その隙間から海馬が現れた。さらに、ポセイドンが突いた数だけ、海馬は数を増やしてゆき、たちまち、海底神殿に併設した厩舎は海馬で一杯になった。

 ポセイドンが生じさせた海馬は、黄金のたてがみと青銅の蹄を持つ白馬で、これらの白馬は戦車用のものであった。

 海洋の覇者ポセイドンは、自らが召喚した白馬一頭一頭の青い目を見詰め、選び出した数頭の白き毛並みを一撫ですると、すぐにでも試し乗りをしたい、という気持ちを抑えきれなくなっていた。

 そして、選出した白馬数頭を、海神専用の黄金の戦車に取り付けると、海底宮殿を飛び出していった。

 ペタリオン湾を出発したポセイドンは、エウボイアの海岸線に沿って左回りに海底を進んでいった後で、エーゲ海で水面に浮き出ると、縦横無尽に気の赴くままに黄金の馬車を走らせていった。

 エーゲ海の中で波が荒れていた海域も、この黄金の馬車が近づくと、たちまち穏やかになった。そして、いつの間にか波間から姿を現した、魚人や人魚といった海の半獣神たちが、黄金の戦車を取り囲み、踊り戯れながら、海王ポセイドンの海の行進に付き従っていた。

 エーゲ海に住む海の眷属達を下がらせ、白馬に引かせた黄金の馬車の試乗を終えたポセイドンは、ペタリオン湾方面に戻っていった。

 しかし、である。

 ポセイドンは、そのまま黄金の馬車を海底宮殿には向けず、アッティカ地方東部の沖合に馬車を寄せた。そこで、ポセイドンは馬車を止めると、ヘパイストス制作の三叉の矛に似せて、自身の配下の鍛冶師に作らせた黄金製の三叉矛を手に取ると、その武器をアッティカ方面に向かって、いきなり投擲したのだ。

 ポセイドンの右手から放たれた黄金の三叉矛は、アッティカ地方の上空で放物線を描き、やがて、アッティカ地方西部の小高い丘に突き刺さった。刺さるや否や、この黄金製の三叉矛が突き立った地面からは海水が湧き出した。

「まあまあ飛んだかな」

 手をぶらぶらさせながら、そう独り言ちたポセイドンは、胸いっぱいに空気を吸い込むと、アッティカ方面に向かって、こう言い放ったのだ。

「ペタリオン湾の海底に宮殿を築きし海神ポセイドンは、湾に隣接する地、アッティカ地方の領有をここに主張し、ペタリオン湾と、我が矛から溢れ出た海水が流れている間をその支配範囲とする」

 かくして、海神ポセイドンは、アテナの領土であるアッティカ地方の大部分の領有を一方的に主張してきたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る