第28話 巨人達の戦闘

 クロノスの浮城は、パガサイ湾の水城で、城の左右と後方は、海によって護られているため、見張りは、前方のテッサリア平原に集中するだけで済む。さらに、平原には視界を遮る物など何一つとして存在してはおらず、それゆえに、城の外壁上の見張りの神兵が、敵兵の姿を見落とす事などあり得ないはずであった。

 しかし――

 平原に、突然、一つの神影が現れたのだ。

 城の外壁からその神が佇んでいる位置までは、投槍も弓矢も投石も、いかなる投擲武器も届くような距離ではない。それは、敵方も同様であろう。そのため、開戦まで、時間的余地があるように見張りには思えた。それより何より、平原上に確認できた神の姿はたった一つで、他の神の影はその気配すら感じられない。そういった次第で、敵兵の出現の報告を本城に遣わせた見張り役には、まだ心理的に余裕があり、平原の神の所作を悠然と眺めやっていた。

 

 テッサリア平原に独り立っていたのは、ハーデスであった。

 被っていた兜を脱いで、それを後頭部にずらしたハーデスは、背負っていた背嚢を地面に下ろすと、その中から三つ箱を取り出した。そして、十分な距離をとって、箱の一つ一つを地面に置き、それらの蓋を開けていった。その一連の作業をし終えると、ハーデスは何か小さく呟やき、パチンと指を一つ鳴らした。

 その指弾音と同時に、突然、大地から砂埃が舞い上がり、城の見張り役の神々の視界は塞がれてしまった。

 そして、視界が晴れた時、そこに在ったのは――

 三つの巨大な姿であった。

 三柱の巨人の両肩からは、左右五十本ずつ計百本の腕が生えていた。

 そして、その百足の巨人達の背後に、ハーデスが控えていた。

 ハーデスは、背嚢からさらに三つの<箱>を取り出すと、百足の巨人一柱一柱の主たる手に<箱>を一つ一つを手渡していった。

 百足の巨人、ヘカトンケイレス(単数形ヘカトンケイル)が、<箱>の蓋を開け、それを逆さにし、軽く振ると、そこから、石で出来た無数の丸い球が地面に零れ落ちていった。一体一体のヘカトンケイルは、その両肩から生えている百本の腕で、地面から石球を拾い上げ、計三百本の手全てに球が行き渡った。

 それを確認したハーデスは兜を被り直しながら、同時に、ゆっくりと右腕を振り下ろした。

 ハーデスの合図と当時に、ヘカトンケイレスの三百の腕は、クロノス城の外壁に向かって、石の球の投擲を開始した。

 戦闘の常識から言えば、三柱の巨人達の位置からはクロノス城の外壁までは、いかなる投擲武器も到達できないはずであった。だが、射程外から、石の砲弾が、次から次へと城の外壁に衝突してきたのだ。ただ、肩から生えた腕による投擲は、腰が入っていない手投げで、体重が乗ってはいないため、その威力は壁を破壊できる程、強力なものではなかった。だが、それでも、石球の衝突音は、本城に控えているティターンの神々を驚かせるにたるものであった。

「この音は、いったい何事かっ!」

 クロノスの驚愕の叫びと同時に、外壁の見張りから報告が届いた。

「肩から何十本もの腕が生やしている三柱の百足の巨人が石の球を抛ってきています」

 ウラノスの子供達、クロノスの兄姉であるティターン第一世代の神々には、思い当たる節があった。

「クロノス王、もしかして、それって、タルタロスに閉じ込めているはずの我らの兄弟達なのでは?」

「口を慎め。ティターン以外は、我の兄弟ではない」

 その間にも、ヘカトンケイレスの計三百本の腕から繰り出される砲弾は、間歇的に壁にぶつかってくる。

「たしかに、威力は大した事はないが、ええい、うざったい。こう、引っ切り無しではたまったものではない。投げているのは、わずか三柱の巨人だけだ。誰か、城外の百足共を、黙らせてこいっ!」

「王よ、我々にお任せください」

 クロノスの命に応じ、王前に進み出て来たのは、クロノスの兄たるイアペトス、その息子達、アトラス、メノイティオス、エピメテウスの三兄弟であった。


 イアペトスの一族の能力の一つは<巨大化>能力である。アトラスは、この能力を使って、オトリュス山の頂から、パガサイ湾の畔にまで王城を運搬したのだった。

 イアペトスの息子たる三柱の神々は、左腕に、武具としてオリハルコン製の小型の丸盾を、武器としては、右の拳には同じくオリハルコン製の拳鍔(けんつば)を装着すると、城の前門を通って、真っすぐ三柱の百足の巨人達に向かって飛び出していった。

 ヘカトンケイレスは、城門から出てきた神影を認めると、砲撃の的を、城の外壁から巨人達に変更した。

 飛来してきた石の砲弾を、アトラス達は、左腕に装着した丸盾で受け止めた。盾はオリハルコンで作られているため、この地上で最も硬き盾にぶつかるや、石の砲丸は粉々に砕け散ってしまった。だからこそ、イアペトスの息子達は、行進の速度を緩める事無く、巨人達に近付く事ができた。

 アトラス達は、ヘカトンケイレスに接近すると、左腕の丸盾と右手の券鍔を地面に投げ捨てた。巨大化するとサイズが合わなくなるからだ。それから、腰の物入から取り出した三粒の丸薬を口に含み、両の拳を強く打ち合わせた。

 数瞬後――

 イアペトスの息子達、アトラス、メノイティオス、エピメテウスの身体は、骨が軋み、筋が千切れる音を上げた。すると、その肉体は急激に膨張し、三柱のヘカトンケイレスと同じ大きさにまで拡大した。

 かくして、巨大化し、一糸まとわぬ姿になったティターン神族達と、オリュンポスの巨人達は面と向かう事になった。


 いつの間にか、ハーデスの姿は消え去っていて、テッサリア平原の中央の戦場にいるのは、三柱の百足の巨人達とイアペトスの三柱の息子達だけで、アトラスはコットス、メノイティオスはプリアレオス、そしてエピメテウスはギュゲスという名の百足の巨人と対峙した。

 アトラスは、コットスの両肩から生えている百本の腕は完全に無視し、コットスの主たる腕の先にある両手の一本一本の指と自分のそれを絡み合わせながら、<手四つ>でがっぷりと組み合った。

 アトラスは、この最初の攻防において、敵の両手から伝わってくる力が、思っていた程には強くないと感じ、その瞬間、己が勝利を確信した。

 やはり、だ。<巨大化>した際に一対一の戦闘において、自分達、イアペトスの眷属に敵う神などこの世に存在するはずはない。

 だが残念ながら、この巨大化は恒常的なものではない。時間的な制約があり、薬の効能が切れるまでの一時的なものなのだ。さらに、ヘカトンケイレスに匹敵する大きさにまで巨大化するために、薬を<三粒>も使って、身体に無理もさせている。巨大化の持続時間は薬の量に反比例して短くなるのだ。だから、戦闘を長引かせるわけにはいかない。だが、この程度の相手ならば、然して問題はなさそうだ。

 アトラスが、さらに両手に力を込めると、コットスの腕は徐々に下がっていった。アトラスは、左右で展開されている弟達との戦いを目端で確認すると、メノイティオスとエピメテウスも手四つの力比べで、プリアレオスやギュゲスという百足の巨人達に全くもって引けを取っていないようであった。

「メノイティオス、エピメテウス、一気に勝負を決めるぞっ!」

 アトラスは弟達に呼び掛け、さらに力を入れて、腕を自分達の身体に引き付けんとした。したのだが、全力で引っ張っているにもかかわらず、コットスの抵抗力は想像以上で、ぴくりとも動かなかった。

「百足の最後のあがきか」

 そう、アトラスが独り言ちて、敵に視線を向けると、<百足の>巨人コットスの両肩の計百本の腕は肩から消え去っていおり、その代わりに、両肩から伸びている主たる腕が何十回りも盛り上がっているように感じられた。

 アトラスの巨体は、コットスの二本の太き腕よって、上方に持ち上げられ、その後、何度も何度も何度も地面に叩きつけられた。

 たまらず、アトラスは、<手四つ>になっている両手を外そうとした。だが、先ほどまで力で優位にあったにもかかわらず外れない。コットスの両手もその指も、先ほどまでより太くなり、それに伴って力も強まっていたのだ。

「「「何故っ!?」」」

 へカトンケイレスは、その両肩から生える腕の本数を自分の思った通りの数に変える事ができた。その数、最大百本である。しかし、本数を増やせば増やす程、それに反比例して一本一本の力は弱くなってゆく。だが翻ってみると、腕の本数が減れば一本一本の力が強くなってゆく。そして、肩の腕の本数が零の時、主たる腕の膂力は最強になる。

 したがってヘカトンケイレス最大の力で、アトラスの背中は大地に叩きつけられていた。叩きつけられるごとに、イアペトスに息子の意識は遠のいてゆき、その身体は徐々に小さくなっていった。

 そして、アトラス、メノイティオス、エピメテウスの意識が完全に途切れた時、三柱のティターンの神々の身体は、巨大化の丸薬の反動もあって、戦闘開始時よりも何回りも小さくなっていたのだった。

 ヘカトンケイレスは、ぴくりとも動かなくなったティターンの神々を左手の指で摘まみ上げると、腰の物入れから、右手で<箱>を取り出した。

 小型化したとは言えども、ティターンの身体は、<箱>よりも圧倒的に大きい。

 しかし、である。

 ヘカトンケイレスが、<箱>の穴にティターンの身体の一部を入れると、その瞬間、意識無きイアペトスの息子達の巨体は、<箱>の中に吸い込まれていった。

 おそらく程なくして、不死なる存在たるティターン神族のイアペトスの息子達の、その傷付いた身体も自然に治癒してしまうことだろう。だがしかし、たとえ回復したとしても、炎と鍛冶の神ヘパイストスが発明し、単眼の巨人キュクロペスと協力して、改良を加えた<箱>からの脱出は、その蓋を開け、封じた者の解除の呪文が唱えられない限り不可能だ。その事を、自らの巨体をもってして実証していたヘカトンケイレスであった。

「とりあえず、これで、我々の任務は完了だな。後は、外壁に向かった者達の仕事だ」

 <箱>を腰の収納に入れたコットス、プリアレオス、ギュゲスの三柱の百足の巨人、ヘカトンケイレスは、クロノス城の外廓に視線を遣っていたのだった。

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