第27話 クロノスの浮城とアトランティス船団
軍略面から言うと、<山城>は高地というその立地的特性によって、まず第一に、高い位置からの視界の確保が可能になる。そして第二に、敵の移動や攻撃の阻害も容易になる。そして、山頂部に城を置くことの最大の利点は、籠城する場合に、ここが難攻不落の城となる点であろう。
そして――
テッサリア平原最南部のオトリュス山の頂には、ティターン神族を統べる王クロノスの居城が聳え立っていた。否、聳え立っていたはずであった。しかし今、その山頂部を仰ぎ見ても、そこに、クロノスの山城は存在しない。
ある夜、クロノスの空城は忽然と消え去ってしまったのだ。
実は――
怪力自慢のイアペトス一族の現当主のアトラスが、その肉体を超巨大化させ、クロノスの城を<パガサイ湾>の南西の畔にまで運んだのだった。
パガサイ湾は、オトリュス山の北東に位置している入り江である。たしかに、オトリュス山とパガサイ湾が近接した場所とはいえども、城一つを肩に担いで下山したアトラスは、しばらくの間、超巨大化が不可能になる程までに、精も魂も使い果たしてしまったかのようであった。
このように、クロノスの城の移設決断には理由がある。
しばらく前から、地中海西部を管轄するイアペトス一族の一派、<アトランティス>からの連絡と補給が途絶えてしまっていたのだ。その結果、地中海西部からの通信と補給をし易い沿岸部に城を移設するべきではないか、という意見が、ティターンの神々の間から上がったのだ。実は、これまでの間、オトリュス山までの道中において幾度も、オリュンポスからの妨害が入っていた。したがって、城を海辺に移設する事によって、城に補給船を直接迎え入れ、補給を安定させるために、ティターンの拠点を、オトリュス山からパガサイ湾へと移動させる事になったのだった。
エーゲ海からテッサリア平原への入口となっている円形の入り江であるパガサイ湾の湾口の幅は二十二スタディア(一スタディオンは百八十五メートルなので、現在の度量衡で約四キロ)と、実に狭く、縄張りにし易い。それゆえに、仮に、この海峡をオリュンポス側に抑えられてしまった場合、地中海方面からティターンへの補給線が完全に断ち切られてしまう。それゆえに、物質の輸送の安定のためにも、パガサイ湾の死守はティターンの急務であった。そして、アトラスの助力もあって、ティターンは、オリュンポスに先んじて、パガサイ湾の領海化に成功したのだった。
そしてさらに、山から海への城の移設は、補給線の確保に加え、攻守両面をも考慮に入れた上でのクロノスの判断であった。
すなわち、オリュンポス神族との決戦を前にして、守備に特化した山頂部よりも平野部に城があった方が、攻撃に打って出る場合、速効性という観点から都合がよかったからである。
また、クロノス城の移設地として選ばれたパガサイ湾南西部とは、西はオトリュス山、東はパガサイ湾に面してしてる天然の要害を備えた地であり、少ない数で、城を守備する上でも適切な地だったのだ。
つまり、クロノス城をパガサイ湾に隣接した<水城>にした事によって、たとえ、戦闘の真っ最中に、陸に面した城の前門を守備固めのために閉門していたとしても、海に面した城の後門からの物資の搬入が可能という補給面での利点があったのだ。また、いざという事態が生じた場合には、湾に面した水門からエーゲ海方面への脱出も可能になる、つまり、パガサイ湾とは、そのような立地であったのだ。
そのために、クロノスは、パガサイ湾の岸辺に城を築城する際に、その構成に苦心した。
パガサイ湾には、海に突き出た土地があったのだが、クロノスは、この岬の先端に本城を配置させた。その結果として、湾という天然の要害が城壁の代わりとなるので、本城の後背の守りは薄めにし、その分、前方部の守備を厚くする事ができた。そして、本城のすぐ外側の内廓は、二方向が海に面しているので、本城の前方に、二辺のみ壁を築くだけで済み、その分、一枚一枚の壁を分厚くすることができた。また、その本城と内郭の外側をぐるっと取り囲む最も外側の、半円形の城壁の長さも短くて済み、同じように、壁幅に厚みを加える事ができた。ちなみに、この外郭部だけが陸続きになっていた。
つまるところ、水城の特性を活かし、天然の要害と城壁に守備を任せることによって、ティターンは、攻撃面に<神的>資源を割くことが可能になったのだ。
このクロノスの新たな城は、湾に突き出たようになっている水城であったため、<クロノスの浮城>と呼ばれ、水面に映るその城の姿は実に映えるものであった。
そしてついに――
パガサイ湾の湾岸に、クロノスの浮城が築城されてから程なくして、地中海西部を管轄するイアペトス一族の一派、<アトランティス>からの補給船団が間もなく到着するという先触れが届いた。
元々、オリュンポスとの最終決戦に備えて、ジブラルタル要塞は、飲食物だけではなく、戦力として<青銅>の種族の人間の戦士や、アトランティスで製造された武器や武具を積んだ補給船団を、ティターンに派遣する予定であった。
しかしながら、突如、ジブラルタル要塞を襲った謎の感染症の流行によって、要塞に控えていた<青銅>の種族の人間の戦士達は皆、病に倒れ戦力外になってしまい、戦える状態にあるのは、不死なる存在の神々だけになってしまっていた。
そして、イアペトス一族は、ジブラルタルの守護代として、デウカリオンだけを要塞に残して、一族総出でテッサリア地方に向かう事になった。
実は、デウカリオンは、密かに、実母であるアシアと連絡を取りながら、世界の東端に位置するカウカッソス山に囚われている実父プロメテウスの救出を画策しており、このテッサリアへの派遣を、その好機と捉えていた。
しかし、この救出計画を察した叔父エピメテウスによって、デウカリオンは要塞への居残りを命じられてしまったのだ。
イアペトス一族の地中海西部総司令に任じられていたエピメテウスは、神童の頃から常に、母違いの兄であるプロメテウスに対して劣等感を抱いてきた。そもそもプロメテウスの「プロ」は「先」という意味で、これに対して、エピメテウスの「エピ」とは「後」という意味であり、名前を端緒に、何かと比較されてきたのだ。その兄プロメテウスは、一度は一族を裏切り、オリュンポスに寝返る事によって自分の目の前から消え失せた。この時ほど至上の喜びを覚えたことはない。しかし、実はそれは父イアペトスの命令による偽りの裏切りで、オリュンポスでの間諜活動を終えて、プロメテウスがアトランティスに戻ってきた時の絶望感は底が見えないほど深いものであった。しかし、その裏切りのプロメテウスは、オリュンポスに捕らえられ、ようやく完全に自分の目の前から完全に消え去ってくれたのだ。そんなエピメテウスにとって、プロメテウスの救出ほど面白くない事はない。だから、エピメテウスは、デウカリオンのプロメテウス救出の機会を潰したかったのだ。
そしてさらに、デウカリオンは、日に日に兄プロメテウスに似てきていた。この事も、全くもってエピメテウスの気にいらなかった。さらに、あろうことか、父イアペトスは、ジブラルタル要塞の副司令として、自分の下にデウカリオンを就けたのだ。この時には腸が煮えくり返った。
跡目を息子アトラスに譲ったとはいえ、一族の事実上の長であるイアペトスが、デウカリオンに最も大きな期待を寄せているのは周知の事実であった。だからこそ、エピメテウスは、これ以上、デウカリオンに武勲をあげさせないために、イアペトス一族・地中海方面総司令官の権限で、デウカリオンをジブラルタル要塞に置いてゆく事にし、さらに、病苦の<青銅>の戦士の看護もデウカリオンに丸投げしたのだった。
そのエピメテウスと妻パンドラの間には女児が誕生し、その娘は<ピュラー>と名付けられた。エピメテウスは、一日たりとも妻パンドラと離れて暮らす事はできない程までに、彼女に耽溺しており、そのため、妻であるパンドラを同伴して、オトリュスに向けて船出し、その一方で、生まれたばかりの赤子であるピュラ―はジブラルタルに残していってしまった。それゆえに、パンドラの娘ピュラ―の世話もまた、ジブラルタルに残ったデウカリオンが負う事になったのだった。
イアペトス一族の神々達を乗せ、そして、アトランティス製の数々の武器や武具を載せた船団は、エーゲ海に入る前に、地中海からエーゲ海の入口に位置しているいる<キュテーラ島>に寄港し、そこで飲食物を補給し、さらに、実際の荷物の運搬といった力仕事に従事させるための<神足(じんそく)>として、何柱かの下級神や半獣神を雇い入れた。
かくして、キュテーラ島にて補給と神員の補充を済ませた、アトランティス船団は、パガサイ湾の海峡を抜け、水門を通って、クロノスの浮城への入城を果たしたのであった。
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