第26話 キュケオーンと四種の神器
ハーデスとヘパイストスが目にした一つ目の巨人キュクロペスと、百足の巨人ヘカトンケイレスは、すっかりやせ細っていた。
まず、鍛冶の神ヘパイストスは、巨人達の手足に取り付けられていた枷を手に取って、その構造を入念に調べ上げると、持参した<箱>を開け、適切な道具を取り出すと、即席で鍵を作成し、巨人達の拘束具を外して回った。
その間、ハーデスは、<箱>の中から、大量の食材や巨大な鍋を取り出していった。そして、ハーデスが器具と食材準備を終え所に、巨人達たちを解放し終えたヘパイストスが戻ってきた。
ハーデスとヘパイストスが、タルタロスに赴く前のことである。
単眼の巨人達と百足の巨人達は、長年、奈落に囚われたままになっている。そこで、まずは巨人達の体力を回復させるために、神食アムプロシアと神酒ネクタル、そして神牛の肉を摂らせるべきでは、という話を、ゼウス達、オリュンポスの神々はしていた。
そこに意見を差し挟んできた神がいた。
この者は、キルケ―という名の女神で、ティターン神族のヘリオスの一族に連なる神である。
太陽神ヘリオスは、クロノスの兄ヒュペリオンと姉テイアの息子で、同じく、ティターン神族であるオケアノスとテテュスの娘ペルセイスと結婚し、この従兄妹婚をしたヘリオスとペルセイスというティターン神族の神々の間には、アイエーテス、キルケー、パーシパエ、ペルセースという四柱の子が誕生した。しかし、ヘリオスとペルセイスは、ティターン神族と袂を分かち、父母とも絶縁し、子供達を連れて、オリュンポス側に加わっていた。
そのヘリオスとペルセイスの娘キルケーは薬学や薬草学について膨大な知識を持っていたのだった。
「ゼウスさま、長年、ほとんど飲食をせず、弱った内臓にとって、急激な飲食は、特に胃に多大なる負担をかけることになって、かえって体力を奪う事になります。神食と神酒を取らせる前に、通常の飲食に耐え得るだけの体力を回復させる事が肝要です。そのために、まず最初に<粥>を食させるべきと進言いたします」
「粥? 粥とは何ぞ?」
「たとえば、穀物や豆類、あるいは芋類などを、多めの水で柔らかく煮た料理です。粥は消化にも良く、胃や腸など内臓が弱っている時や、病気の際に食べるのが適切です」
「そうか……、水で煮ただけの代物か。たしかに、内臓には優しそうだが、あまり美味そうには思えんな」
「私共の一族では、水粥に一手間加えています。よろしければ、わたくしが作って進ぜましょうか」
こう言ってキルケーは、ゼウス達オリュンポスの神々の前で麦粥を作り始めた。
まず、麦粉に、これを覆う位に水に入れて十五分程度浸した。麦粉が柔らかくなった所で、水気を取って鍋に入れ、葡萄酒、山羊のチーズと、琥珀色のハチミツ、さらに卵を溶いて加えていった。それから、鍋に火にかけて、煮立たないように、とろ火でゆっくりと熱していった。
「わたしく共、ヘリオスの一族では、これを、わたくしキルケ―の名をとって、『キュケオーン』と呼んでいます」
そうキルケーは照れながら言った。
「一族だけで、キュケオーンを食す時には、もう少しハチミツを多めにして、甘く仕上げるのですが、今回は一族以外の方にお出しするので、ハチミツを少めにして甘さを抑えました。熱いうちに召しあがってくだい」
ゼウス達、オリュンポスの神々は、出来立ての熱々のキュケオーンに、フーフーと息を吹きかけ、熱を冷ましながら匙で口に運んだ。
「ぁ、ぁ、あっつ。あっつ。ふっふぅ~~。…………。お、なかなか、美味いではないか。ただし、口が、ちと、熱すぎるな」
「冷めても栄養価は変わらないのですが、ただし、冷め切ってしまうと、穀物が糊状になってしまい、途端に食感が悪くなってしまうのです。粥は熱々のうちに召し上がるのが美味しく食すコツなのです。一族には、『神は待たせても粥は待たすな』って格言があるほどで」
「そうか。あいや分かった、キルケーよ。だが、この料理は、お前にしか作れないのではないか?」
「いえ、ゼウスさま。麦粥は、穀物と水と熱、それと鍋さえあれば簡単に調理できるのです」
「それでは、キルケ―よ、そのキュケオーンの作り方を、ヘパイストスに伝えてくれ」
「かしこまりました」
かくして、タルタロスにて、麦粥を作る事になったヘパイストスなのだが、長年、奈落に囚われたままの巨人に食させるために、キルケーのレシピに多少修正を加えていた。ハチミツは栄養価が高いのでこれを多めにし、そして、水分は、葡萄酒ではなく、水で薄めた神酒ネクターを用いた。そして、豊穣の女神デメテルが自ら栽培した麦を、ヘパイストスが作った巨大鍋に入れ、ヘスティアの火で十分煮たのだ。そして、完成した所で、自ら味見してみた。
「俺には、甘すぎて、ネクタルは薄くて少し物足りないが、弱った巨人に食させるにはちょうどよいかもな」
こう言ったヘパイストスは、オリュンポスの神々の総力で改良したオリュンポス風のキュケオーンを、ハーデスと協力して、巨人一柱一柱に順繰りに一口ずつ食べさせていった。これは、麦粥を巨人達に一気食いさせなようにするための配慮だったのだが、「巨人と粥を待たせても粥は逃げない」って格言でもできそうだなとヘパイストスはふと思った。
粥を食べさせてもらった巨人達は皆、目には涙を浮かべ、口は熱さではハフハフさせながら、粥を一口一口ゆっくりと呑み込んでいった。
すると、ハーデス達が一巡するたびに、巨人達の身体は、みるみる、一回りずつ大きくなっていき、巨人六柱分の麦粥を煮たてた鍋が空になる頃には、巨人達の血色はよくなり、体力は一気に回復したように見えた。
巨人の状態を確認したヘパイストスは、今度は、神食アムプロシアと、原液のままの神酒ネクタル、さらには、神牛の肉をディオニュソスの葡萄酒で煮込んだものを供すると、六柱の巨人はそれらを次々にたいらげてゆき、ヘパイストス達がタルタロスに持参した飲食物や食材が完全に底をついた時には、巨人達の身体は、全盛期の大きさを遥かに凌駕する程にまで膨張していたのだった。
それから、ハーデスとヘパイストスは、冥界にてポセイドンとディオニュソスと合流すると、体力が回復し、巨大化した六柱の巨人達を連れて、地上に戻っていったのだった。
地上に連れ出された六柱の巨人達は、ゼウス達、オリュンポスの神々に拝謁した。
百足の巨人ヘカトンケイレス(単数形ヘカトンケイル)の名は、コットス、ブリアレオス、そしてギュゲスといった。
そして、単眼の巨人キュクロペス(単数形キュクロプス)の名は、ブロンテス(雷鳴)、ステロペス(雷光)、そしてアルゲス(閃光)といい、この三柱の巨人は、その名が表わしているように雷神で、さらに製鉄の神で、卓越した鍛冶技術を有していた。それ故に、キュクロプス三兄弟は、自らの枷を外してくれた鍛冶の神ヘパイストスとは実に話が合った。
そして――
ブロンテス、ステロペス、そしてアルゲスは、ヘパイストスの工房に何日も籠った。そして、この四柱のもの作りの神は、力を結集し、四種の神器を創り上げた。
その一つは、隠れ兜で、この兜を被った者は、完全にその姿が見えなくなる。単なる認識阻害ではなく、完全に気配が消え去るのだ。
さらにもう一つは、三叉の矛であった。柄の先で地を突くとそこから馬が生じた。矛先の左の刃で地を突くと風が立ち、右の刃で地を突くと水が溢れ出す。そして、真ん中の刃で地を突くと地鳴り起こった。そして、地を同時に突く刃の組み合わせ次第で、地震や大波、あるいは嵐や竜巻を引き起こすことさえできた。
そして一つが、雷霆(らいてい)であった。これは片手に握る杵のような形状で、握る部分には三つの突起が付いていた。第一の突起を押すと、瞬間的に強い光を発され、第二の突起を押すと、空気を震わす雷鳴が轟き、第三の突起を押すと、空間を切り裂くような稲光が放たれた。すなわち、この雷霆には、雷神たる三柱の巨人が有していた閃光、雷鳴、そして雷光という力が付与されていたのだ。
そして最後の一つが、金剛の盾であった。この盾は、ティターンの長クロノス持つ、万物を切り裂く鎌<アダマス>に対抗するために、ゼウスの命を受けたヘパイストスがその作成に取り掛かっていた武具であった。しかし、満足のゆく盾を作り上げることはできずにいた。しかし、そんな折に、製鉄の神のキュクロプス三兄弟を通して、これまでの自分の発想にはなかった鍛冶の知識と技術を知ることができ、ついに、最硬度を誇る堅固な金剛の盾を完成させることができ、ヘパイストスはこれを<アイギス>と名付けた。
かくして、これらの神器は、オリュンポスの三柱の男神一柱一柱に渡された。隠れ兜はハーデスが、三叉矛はポセイドンが、そして、雷霆と金剛盾<アイギス>はゼウスが所有する事になった。
以降――
キュクロプス三兄弟とヘパイストスは工房に引き籠り続け、きたるべき、ティターンとの最終決戦に備えて、オリュンポスの為に、武器や武具を次々と創出していったのだった。
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