第25話 奈落に囚われし巨人達

 <掟>の女神テミスの神託に基づいて、ゼウスは、ヘパイストスが創った人間の女、パンドラをアトランティスに送り出した。計略通りに、パンドラはエピメテウスの妻となったのだが、パンドラは好奇心に負け、<箱>を開け、そこに封じ込めていた怪物達を解き放ってしまった。怪物達に襲撃され、アトランティス軍の拠点、ジブラルタル海峡の要塞で戦闘待機中であった<青銅>の戦士達は完全に戦闘不能状態に陥ってしまった。その結果、最前線でオリュンポスとの戦闘継続中であったアトラス軍への戦力と補給の供給が停滞してしまい、かくして、オリュンポスとティターンとの戦いは、一時的に休戦せざるを得なくなってしまった。

 このオリュンポス側の策略によって生み出された束の間の休戦状態を利用して、ゼウスは、テミスから下されたもう一つの神託に基づいて、タルタロス(奈落)に、兄ハーデスとポセイドン、そして、ヘパイストスとディオニュソスを派遣する事にした。


 タルタロスとは、たとえば、大地から青銅の金敷を落とした場合、九昼九夜の間落下し続け、十日目にようやく到着する、そのような、地下世界の中でも最奥に位置する完全なる深き闇黒の世界、それがタルタロスであった。タルタロスは、深い霧が立ち込め、淀んだ空気が漂っている、そんな空間で、この地を支配していたのは、世界の創世から存在していた原初の四柱の神々の一柱、<タルタロス>であった。

 かつて、旧王ウラノス(天空)は、子を厭い、ガイア(大地)との間に誕生した十八柱の子供達全てをタルタロス(奈落)へと投げ捨ててしまった。

 子を奪われたガイアのウラノスへの憎悪は闇よりも深く、ある時、ガイアは奈落を訪れると、子供達にウラノス打倒を呼び掛けた。母の懇願に応じ、奈落から這い出でて、父ウラノスを打倒したのが、ガイアの末子たるクロノスであった。クロノスは、ウラノスを追放後、自らが王位に就くと、囚われの兄弟姉妹達皆を、闇黒の奈落から救い出したのだった。

 地上にて、太陽の光に照らし出された兄弟姉妹のうち、十一柱の神々は、クロノスと同じ姿形をしていたのだが、キュクロペス(単数形キュクロプス)と、ヘカトンケイレス(単数形ヘカトンケイル)の姿を目にした瞬間、クロノスは、我知らず顔を歪めてしまった。

 深い霧が立ち込めている、闇黒の奈落に閉じ込められていた時には、その姿は判然とはしなかったのだが、光の下にあって初めて、六柱の巨魁達は、ティターンの十二柱とは全く異なる風貌をしていた事が分かった。

 キュクロプスの三兄弟は、顔の半分以上を目が占めている一つ目の巨人であった。

 ヘカトンケイルの三兄弟は、隆起した左右の肩から五十本ずつ、計百本の腕が生えている巨人だったのだ。

 クロノス以外の、ティターンの神々もまた、その奇怪さに生理的嫌悪感を覚えているようだった。

 そしてさらに、キュクロペスとヘカトンケイレスの六柱の巨人のその腕は、クロノス達、ティターン神族達よりも何回りも太く、その腕力は、自分達ティターンの力を遥かに凌駕している事が容易に想像でき、その怪力にクロノスは本能的な恐怖を覚えた。いつか、自分の地位を脅かすかもしれない。

 そこで、クロノスは一計を案じる事にした。

 クロノスは、ウラノスを追放し、タルタロスから脱出できた事を祝って、宴を催す事にした。

 この時、大喰らい、大酒飲みの巨人達が口にする飲食物に、クロノスは、遅効性だが強力な眠り薬を混ぜ込んでおいたのだ。

 一つ目の巨人も、百腕の巨人も、一柱、また一柱と、次々に眠り込んでいった。薬の効き目には個体差があったのだが、先に横になってゆく兄弟達を、他の巨人達は、泥酔の結果だとしか考えていなかったようだ。だが遂に、全ての巨人たちが、地面に倒れ伏し、咆哮のような鼾をたて始めた。

 その睡眠剤の効き目は、短く見積もっても一か月は継続する強力な代物であった。

 巨人達は完全に意識を失っていたようだったが、クロノス達ティターンは、念のために、巨人達の身体を激しく揺り動かしたり、身体をくすぐってみたりし、さらに、全力で殴ったり蹴ったりさえした。しかし、何をしても、巨人が目を覚ます様子がない事を確信すると、ティターンの神々一人一人は、巨人一柱の脚を一本ずつ掴むと、巨人一柱につきティターン二柱が協力して、奈落への出入り口がある世界の西端まで、六柱の巨人達を引き摺っていったのだった。

 そして、世界の西端に走っている大地の裂け目から、六柱の巨人達一体一体を投げ落としていった。

 それから、ティターンの神々はその身体に丈夫な縄を巻きつけると、自らもまたタルタロスへと飛び込んでいった。

 十日かけて、奈落にまで到着すると、そこで、眠り込んだまま目覚める気配のない六柱の巨人達を発見した。そして、闇の中、手探りで巨人の手足を掴むと、その四肢に、持参した枷を嵌めていった。さらに、両手両足を短い鎖で繋いで、巨人の動きの自由を制限した。さらに、両足の枷には、もう一本鎖を取り付けた。その先端には鉄球が付けられており、その鉄球の重さによって、巨人達が容易に動けないようにさえしたのだ。

 このように巨人達の束縛をし終えると、今度は、タルタロスの遥か上層に、十日かけて<冥界>を創造した。そして、奈落から冥界への境界に一つだけ門を作った。それから、門の周りに壁を築き、かくして、タルタロスへの侵入も、タルタロスからの脱出も困難な状況にした。

 さらに、その冥界の管理を、神々の中でも、並外れた戦闘力を誇る<夜>の女神ニュクスの一族に委ねた。それからティターンの神々は、地下世界の暗闇の中、腰に巻いた綱を辿って、光指す地上に戻っていった。


 三柱のキュクロペスと、三柱のヘカトンケイレスが意識を取り戻した時、自分達は闇黒の中にいる事が分かった。この霧の濃い深き闇には既視感があった。それは誕生直後に父ウラノスによって投げ落とされたタルタロスの霧や闇と同質の物であった。しかし、自分達は、ウラノスを倒した弟クロノスによって、光溢れる地上の世界へと救い出されたはずだ。それに、宴で味わった食い物と酒の味が、未だ口の中に残っている。あれは夢なのか、それとも今が夢なのだろうか。

 巨人は手足を動かしてみようとした。だが、手も足も、何故か自由には動かせない。さらに身体も重くて動かしずらい。 

 目が闇に慣れてきたところで、遥か上空を見上げてみると、そこに壁のようなものが見えた。その天井の中央部には小さな窓のようなものがあった。

 軋みを上げながら、窓が開くと、そこから飲食物が落下してきた。

 窓からは、一柱の神の顔が見えているように思えた。

 巨人達は大声を張り上げ、天井の窓から見える顔に話し掛けた。しかし、何度、呼び掛けても応えは返ってこない。

 天井の窓は定期的に開き、飲食物を落としてくる。その度に、天井に向けて巨人達は声を放った。

 やがてようやく、巨人達の叫びに応える者が現れた。 

「くっくっくっ、お前たちは奈落から決して出る事はできぬ」

「「「「「「どういうことだ!?」」」」」」

 六柱の巨人達は異口同音の叫びをあげた。

「クロノスが支配するティターンの世が続く限り、貴様らは永遠に奈落の底で悶え苦しむしかないのだよ」

 そして窓は閉じられた。

 キュクロペスとヘカトンケイレスは全員が事態を察した。自分達は、兄弟姉妹達、否、忌々しきティターンどもに、再びタルタロスに落とされたのだ。

「ゆ、ゆ、ゆるせるものかぁぁぁ~~~」

 それ以来、奈落から冥界にまで届いてくる、憎悪に満ちた巨人達の呻きが途絶えることはない。タルタロスに飲食物を落とすために、冥界と奈落を仕切る床に備え付けられた窓を開けるたびに、その巨人達の怨嗟の声か冥界に入り込んでくるのだ。冥界に住むニュクスの一族の者達さえ、奈落への恐怖から最低限の仕事をするだけで、タルタロスの巨人達に話しかける者は、もはや存在しなくなっていた。


 しかし、ついに――

 冥界の門が大きく開き、そこを通って、奈落にまで降りてくる者が現れた。

 それは、ハーデスとヘパイストスという名の二柱のオリュンポスの神であった。

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