第29話 前門のハーデス、後門のポセイドン
テッサリア平原の中央部に、突如、出現した三体の<百足の巨人>を討伐すべく、ティターンは、イアペトス一族のアトラス、メノイティオス、そしてエピメテウスを送り出すために、それまで固く閉じていた城の前門を開けざるを得なくなってしまった。とは言えでも、即座に城門は再び閉じられたわけなのだが。
しかし――
その開門の僅かな隙に、城の門を潜り抜けていった者が実は存在していた。だがしかし、ティターンのいかなる神も、その者を認識できた神は一柱もいなかったのである。
不可視の兜を被ることによって、誰にも気取られず、城門への侵入を果たしたハーデスは、周囲にティターンがいない事を確信すると、兜を後頭部にずらした。その瞬間、ハーデスの身体は可視化した。
この兜を被れば、それだけで、姿は誰にも見えなくなる、たしかに、たしかにだ。この点に関しては、便利は便利なのだが、実を言うと、この兜、用法が本当に限定的なのだ。
まず、何かに触れる場合には、いったん兜を脱いでから接触しなければならない。兜を被ったままだと、触れようとしても身体が物体をすり抜けてしまうのだ。これは生物でも事物でも同様であった。当然、敵を攻撃する場合も同様で、いったん兜を脱がないと、とてもじゃないが闘いにはならない。
製作者のヘパイストスの説明による、兜による不可視化というのは、単に相手から見えなくなる<透明化>というよりも、「存在の位相をズラす事によって、他者から存在が認識されなくなる」ということらしいのだ。そのヘパイストスの作り手の理屈は全くもってちんぷんかんぷんなのだが、要するに、使い手の立場で言わせてもらえば、兜を被れば、敵から見えなくなり、さらに、敵の攻撃も受けなくなる。だがしかし、逆に、兜を被ったままだと、攻撃もできないということで、全くもって、不可視の兜は隠密に特化した武具で、戦闘向きではないのである。
また、敵を攻撃する時以外に、何か道具を用いる時にも兜を取らなければならなかった。それは、ヘパイストスの<箱>を開閉する場合も同様だった。兜を被った状態のハーデスが接触したものは、兜がハーデスの身体の一部と認識するのか、その物体も透明化の影響を被る。しかし、そのままでは、<箱>を開閉した際に、その中身も、ハーデスと同じ位相で具現化してしまう。だから、<箱>を使う場合には、一度、ハーデスが兜を脱ぎ、透明化を解除してから、開閉する必要がある。だからこそ、テッサリア平原で、<百足の巨人>を具現化する際に、ハーデスは姿を現さざるを得なかったのである。じゃなければ、奇襲を仕掛けている。
ハーデスは兜を脱ぐと、背嚢から三つの<箱>を取り出した。そして、蓋を開け、解呪の呪文を唱え、指弾した。すると、今度は、その<箱>から出てきたのは、ブロンテス(雷鳴)、ステロペス(雷光)、アルゲス(閃光)という三柱の単眼のキュクロペス(単数形キュクロプス)であった。
ブロンデスとアルゲス、この二柱の巨人は、ステロペスの左右の肩に手を添えると、その途端、左右の巨人の顔から、たった一つの目が巨人の顔面を移動し始めた。その目は、ブロンデスとアルゲスの各々の肩から腕へと移動し、真ん中のステロペスの肩へと移動し、ついには、その顔に入り、左右の肩に手を添えられた単眼の巨人ステロペスは、かくして、三つ目の巨人に変貌した。
三つ目となった巨人ステロペスにハーデスが声を掛けた。
「それで、クロノスの居所が<見える>か?」
「今探っておる。しばし待て。ちっ、認識阻害の<結界>でも張っているのか! 能力を高めたこの三つ眼でも正確な位置が掴めんっ! ちょ、ちょっと待ってよ。今、パーンの姿を捉えたぞ。ここから遠くない所だ」
山羊の半獣神パーンは、イアペトス一族がキュテーラ島に立ち寄って、飲食物の補給と、下級神や半獣神を雇い入れた時に、<神足>の中に紛れ込み、クロノス城の内側から切り崩すべく、内偵を続けていた。そして、外側からの不可視の侵入者からの合図をただひたすらに待っていた。
「て、敵が侵入しております。三体の単眼の巨人です。で、でも、いったいどこから!?」
外壁と内壁の間に控えていたティターン兵に動揺が走っていた。再び、一つ目ずつに戻ったキュクロペスが場内で暴れまくっていた。三柱の単眼の巨人は、まず、アルゲスが閃光を放ち、ついでブロンテスが雷鳴を轟かせ、そして最後にステロペスが雷光を落とす。その三位一体の攻撃を受けると、ほとんどの神は驚愕で一瞬身体が硬直する。その瞬間を見過ごす事無く、単眼の巨人は、固まった神々に、手ずから作った武器を叩きこむのだ。その武器には雷の性質が付与されており、この攻撃を受けると全身が痺れ、行動不能に陥る。その間に、ティターン一柱一柱を<箱>に封印してゆくのだ。
かくの如く激化してゆく戦闘区域を他所に、ハーデスは、三つ目になったステロペスがパーンを発見した所まで、不可視の兜を被って、難なく移動していた。
ハーデスの到着とほとんど同時に、内壁の一部に空間があき、そこからパーンが姿を現した。
ハーデスは、一つの<箱>と、テッサリサ平原で拾ったオリハルコン製の一対の<拳鍔>をパーンに手渡した。
パーンは、<箱>と武器を受け取ると、黙ったまま、再び内壁の内側へと消えて行った。
敵兵侵入の報告を受けてクロノスは、城の後門たる水門から脱出を図ろうとした。
万が一の場合に備えていた脱出路を、かくも早い段階において利用する事になろうとは想起していなかったのだが、まあよい。この<神体>さえ無事ならば、いくらでも再起する事できよう。
だがしかし――
突如、城の後方に何かが衝突する巨大な音が響き、本城が大きく揺れた。そして、その衝撃は立て続けに何度も何度も起こった。
「何事かっ!」
「なんと申し上げれば、水の衝撃波によって、水門が破壊されてしまい、さらに、海が荒れに荒れ、とてもではありませんが船を出せるような状況にはありません」
クロノスは、ほとんどの神兵を、後門の浸水の処置に割かねばならなくなってしまった。
時は少し遡る。
ポセイドンは、エーゲ海からパガサイ湾への出入り口にあたる海峡の入口手前に自らの巨船を停泊させていた。そして、甲板に立ったポセイドンは、三叉の矛の柄を右手で握ると、まずは柄の端で甲板を強く打ち突けた。すると、水面が大きく揺れ、数多の海馬と海豚がどこからどもなく現れた。その圧倒的な数の力が、海峡のティターンの警備兵を瞬く間に駆逐した。
それから、ポセイドンが口笛を一吹きすると、一体の巨大な海豚が現れ、ポセイドンは、その背に跨って、まず、海峡左の陸地まで行くと、三叉の矛の矛先を一本取り外して、そこに打ち付けた。そして今度は、海峡の右の陸地に達すると、同じように、二本目の矛先を打ち込んだ。そして、海豚に乗って、海峡中央に錨を下ろしておいた巨船に戻ると、矛先が残り一つになった矛の柄を両手で握り、それを船の看板に突き立てた。
海峡の左右の大地と、巨船に突き立てられた矛の三点で、ちょうど逆三角形のような形になっていた。
こうした逆三角形が完成すると、左の大地の矛先から大風が起こり、右の大地の矛先からは大水が沸き上がった。風と水の強大な力の波動は、海峡入口手前に停留している巨船の方に猛烈な勢いで向かってきた。ポセイドンは、甲板に突き立てた矛の柄を両手で強く握ったまま、全体重を後にかけ、矛の柄を限界までしならせた。そして、左右から風と水が巨船に達した瞬間に、反り返った柄を解き放った。
その瞬間――
凄まじい地響きが起こって、ポセイドンの巨船の頭から、暴力的な水の衝撃が、パガサイ湾内のクロノスの水城へと向かってゆき、一波目で水門をひしゃげさせた。ポセイドンは攻撃の手を緩める事無く、第二波、第三波を水門に対して打ち続けていった。
前門からも後門からも激烈な攻撃を受けたティターンはその対処に掛かり切りになり、かくして、王クロノスは独り玉座の間に残る事になった。
その時――
王の間の扉が開き、そこに、片手に<箱>を持った一柱の半獣神が姿を現したのだった。
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