第30話 天と地と
「そこの山羊の半獣神、どこかで見た顔だな。たしか、アトランティスが雇い入れた<神足>だったな。なんだ、報告か? ならば、手短に申せ」
それでは、現王の下知がくだったので、いきましょか。
パーンは、黙したまま、手にしていた<箱>の蓋を開き、解呪の呪文を唱えると、四つの足で床を小刻みに叩いた。
<箱>から閃光が放たれると、そこには、ゼウスが姿を現していた。
「ほう、久しいな。ゼウス。十年になるか。どれっ、この父クロノスが、ちと躾でもしてやろうか」
クロノスは、金剛の鎌<アダマス>を右手に持つと、玉座から飛び降り、猛烈な勢いで大鎌を縦に振り下ろした。
虚をつかれたゼウスの脳天がかち割られたかのようにパーンには思えた。
同時に、金属同士がぶつかり合った音が広間に響き渡った。
ゼウスは、反射的に左腕をあげて、金剛の盾<アイギス>で、クロノスの不壊金剛の鎌<アダマス>の攻撃を受け止めていた。
アダマスは、大地母神ガイア自身が錬成した、神の身体に治癒不可能な傷を付け得る魔力を帯びた灰色の金属で、クロノスは、かつて、このアダマスをもってして、ウラノスを去勢したという。この大鎌の攻撃は、一撃たりとも受けるわけにはいかない。
「ほう、アダマスの一撃を受け止めるとは、良い盾を持っているな。どれ、もう少し遊んでやるとするか」
クロノスは、攻撃の速度と強度を少しあげたようだが、ゼウスは、その全てを盾で防ぎ切っていた。
「ほれっ、受けるだけでは勝てんぞ」
「最硬の盾と最鋭の鎌、げに強きは、いずれになるか」
パーンが独り言ちた。パーンもゼウスに助力したくはあったのだが、戦闘の次元が違い過ぎて、入ってゆく事ができない。下手に介入しては、ゼウスの防御のリズムを狂わせかねないからだ。
「それにしても、これだけアダマスの攻撃を受けても破壊できんとは、本当に良い盾だな。ますます欲しくなったわ。いや、欲するは、これを作った者の方か」
クロノスは攻撃を止める事無く、鎌を振るい続けてくる。ゼウスは、たまらずに、クロノスとの距離をとった。
この時、クロノスも一息ついたようにゼウスには思えた。
いまだっ!
ゼウスは、アイギスの盾の後に装着し、クロノスの目に触れないようにしていた<雷霆(らいてい)>を操作した。
第一の突起によって、閃光が放たれ、瞬間的な強い光によって相手の視力を奪い、第二の突起によって、空気を震わすような轟音が鳴り響き、爆音による驚愕で敵の動きを一瞬止める。そして第三の突起による、空間を切り裂くような稲光で敵の身体を貫く。雷神たる単眼の巨人たち一柱一柱の力、閃光・雷鳴・雷光が、<雷霆>一つには凝縮されていた。それを発動する一連の流れを、ゼウスは淀みなく実行した。そして、狙い通りに、ゼウスの雷撃はクロノスの身体に貫いた。
だがしかし――
「君ぃぃぃ、何かしましたぁぁぁ? そのピカピカ、もしかして、君の<奥の手>だったのかな? まったくきかないんでけどおおおぉぉぉ~~~」
不死身の神の倒す方法は、相手を精神的に屈服させる事である。
クロノスとの圧倒的な力の差による恐怖によって、ゼウスは、精神的にねじ伏せられたかのように見えた。
後退ってゆくゼウスとの間合いを、クロノスは徐々に詰めていった。
ゼウスは、苦し紛れなのか、もう一度、<雷撃>を放った。
しかし、ゼウスは、慌てて狙いを外してしまったのか、雷撃は、あろうことか、ゼウス自身に向かって落ちていった。
「きぃみ、ば~~~か?」
クロノスは勝利を確認し、自らが放った雷撃をその身で受け、硬直したゼウスの頭を狙って、草でも刈るかのように、大雑把に大鎌を横薙ぎに振った。
だが、アダマスの大振りな一撃が刈り取ったのは、その実、空だけであった。
「油断で、動きが単純になる、この好機を、待っていたんだよ」
ゼウスが放った手刀の一撃によって、アダマスの柄は真っ二つになり、空中をくるくると舞っていった大鎌の刃はパーンの足元に突き刺さった。
「閃光・雷鳴・雷光」
ゼウスは、左手で<雷霆>を巧みに操作し、一方の天高く突き出した右手で、自らが放った雷撃を受け止めた。ゼウスの拳には、パーンから渡された<拳鍔>が嵌められており、稲妻を直接受け止めたオリハルコンは雷の性質を帯びて、七色の光輝に幾つもの小さな稲妻が混じえていた。
「<雷迅(らいじん)>」
そして――
雷の属性を帯びたオリハルコン製の<拳鍔>によるゼウスの右拳による最強最大の一撃がクロノスに身体に沈み込んだのだった。
かくして、十年にも及んだティターン神族との戦いは終結し、後の世において、この神間戦争は、<ティタノ・マキア>と呼ばれるようになった。
この最終決戦における<テッサリアの戦い>において、百足の巨人に敗れたイアペトス一族の三柱の息子達は、<箱>に封じられたまま、世界の西の端にまで連れていかれた。そして、アトラスだけが<箱>から解放された。
アトラスは、ティターン神族の長兄オケアノスの娘たるプレイオネとの間に、数多の姫神を儲けており、娘達の中でも、マイア、エレクトラー、ターユゲテー、アルキュオネー、ケライノー、ステロペー、メロペーの七柱の姉妹は特に、妻プレイオネに名を取って、<プレイアデス(単数形プレイアス)>と呼ばれており、それ以外の娘達は、<ヒュアデス>と呼ばれていた。
ゼウスは、アトラスの娘達プレイアデスやヒュアデスの助命と引き換えに、アトラスを世界の西端に位置する冥界の門番としての役目に就けた。娘達を<神質>にとられたアトラスには、ゼウスに逆らうべくはなかった。
この冥界の門は<天の蒼穹>と命名された。
冥界の門を開ける時、門衛のアトラスが、その超重量の門を押し上げ、開門している間、その頭や双肩、両腕、あるいは背中、その肉体を駆使して、<天の蒼穹>を支えなければならなかった。それは、アトラスにとって多大なる苦痛を伴うものであったが、娘達のためにも、アトラスはこれに耐えなければならなかった。
さらに、アトラスには、側室であるヘスペリスとの間に、七柱の娘<ヘスペリダス(単数形ヘスペリデス)>を儲けていたのだが、プレイアデスやヒュアデスの異母姉妹であるヘスペリダスは、<天の蒼穹>の近くに、<ヘスペリデスの園>を築き、父アトラスの世話をする事が、ゼウスに許されたという。
アトラスの弟であるメノイティオスとエピメテウスは、他のティターンの男神と共に、タルタロス(奈落)に閉じ込められる事になった。奈落と冥界の境界には、ポセイドンが、堅固なる青銅の門を築いていたのだが、さらに、ここを、三柱のヘカントンケイレスが守護する事によって、タルタロスからの脱出はほとんど不可能に近かった。
後に、タルタロスには、アトランティスで隠居していた一族の前長イアペトスも送られた。イアペトスは自身の身と引き換えに、孫であり、プロメテウスの息子であるデウカリオンを一族の惣領の地位に就け、アトランティスのオリュンポスに対する服従の意を示させた。
ゼウスに敗れ、世界の王の地位から追われたティターン神族のクロノスは、自身の武器である<アイギス>によって、その肉体を十三に分断された上で、各々の部位は<箱>に封じられ、オリュンポスの神々に渡された。不死なる存在たるクロノスを殺す事はできなくても、これら十三の<箱>が揃えない限り、クロノスの復活する事はあリえない。
ティタノ・マキアでは、ゼウスが指導的・統括的立場にあったのだが、末弟であるゼウスは、いったんその地位を白紙に戻した。
その上で改めて、<世界>を、天空、大海、冥界に三分割し、ハーデス、ポセイドン、ゼウスのオリュンポスの三柱の男神達で分割統治する事にし、<掟>の女神テテュスによって作られたくじによって、それぞれが何処を統治するか選ぶ事になった。
くじは、ゼウスの提言によって、生まれた順、長兄ハーデス、次兄ポセイドン、末弟ゼウスの順で引く事になった。
その結果――
ハーデスは、<冥界>を統治する事になった。同時に、タルタロスの管理もハーデスに委ねられた。
ポセイドンは、<海原>を統治する事になった。
クロノスの時代、海を支配していたのは、オケアノスとポントスの両一族だったのだが、ティタノ・マキアの後、両一族共に、海の支配権をオリュンポスに委ねた。ポセイドンは、旧・海の統治者であるオケアノス一族とポントス一族との結束を強固にするために、ポントスの息子たるネレウスと、オケアノスの娘ドーリスの娘である<アムピトリーテー>を正妻として迎え、オケアノスやネレウスと協力体制と取りながら、広大な海原を統治してゆく事となった。
最後に、余りくじを手にしたゼウスが統治する事になったのが、世界の中心たる天空と大地であった。分割統治とは言えでも、事実上、<世界>をゼウスが統べ、その居城はオリュンポスの山頂に置かれる事になった。
ほどなくして、長兄ハーデスと次兄ポセイドンは、それぞれの支配領域の統治のために、それぞれ、冥界と海原に向かってオリュンポスを出立した。
ゼウスは、兄達を見送った後、副官たちも全て下がらせ、オリュンポスの山端に独り立った。その背後には、乳兄弟であるパーンだけが控えていた。
一言も発さなかったゼウスが、おもむろに,天空に向けて右の拳を突き上げた。
「天も」
そして、ゼウスは腕を下げ、眼下の広がる大地を左手で指さした。
「地も」
それから、ゼウスは両腕を拡げながら、振り返って、パーンに目を向けた。
「見よっ! 世界は、ついに、我らの物だっ!」
「いつまでも付いていきますよ、ゼウス様、この命尽きるまで。もっとも、自分、不死身ですけどね」
ゼウスとパーンは、右腕と右腕を交差させると、しばしの間、視線を交わし合ったまま笑い合った。
「戻るぞ、パーン。仕事が山積みだ」
「やるべき事をやるだけですよ。だからうまくゆくんですよ、ゼウス様」
肩を組み合いながら、ゼウスとパーンは、オリュンポス山頂中央のヘスティア神殿に戻っていったのだった。
『オリュンポス・マキア』、第一部『ティタノ・マキア』 <了>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます