第23話 カウカッソスのプロメテウス

「ゆっ、ゆるさんぞおおおぉぉぉ~~~。許せるものかぁぁぁ~~~」

 ゼウスの怒号がオリュンポスに響き渡った。

 プロメテウスは、オリュンポスから姿を消し、そして同時に、ヘパイストスの<箱>が、その中身ごと全て無くなっていた。その中には、ヘパイストスが発明した武器や武具が収納されていたのだ。ゼウスは、即座に追っ手を放ったのだが、しかし、プロメテウスの行方は杳として知れなかった。

 そうこうしているうちに、ティターンからオリュンポスに対して攻撃が仕掛けられた。今回の戦いでは、アトランティスのアトラス一族が主戦力になっており、アトラスは、大多数の青銅の種族の人間を従えていた。

 戦場で目にした<青銅>の人間達の中には、不思議な色彩を放つ金属製の武具を身に着けている者の姿が認められた。その武具は、太陽の輝きを受けると、角度によって、黄、赤、青、銀、金などに次々と色彩を変え、こうした輝きを放つ金属は、アトランティスでは<オリハルコン>と呼ばれていた。

 ティタノ・マキアの初期において、アトラスの一族は、オリハルコンを、拳鍔のような武器として利用していた。しかし、オリハルコンは希少性の高い金属で、アトランティスでは量産はできなかった。だが、その硬度の高さを活かして、武器としてよりも、防御用の武具として用いる事にしたのだった。そして今回の戦いにおいて、<青銅>の人間が身に纏う防具の形状が、ヘパイストスの武具と酷似している事に、オリュンポスの神々の中に気付いた者もいた。

 さらに、攻撃用の武器として、<青銅>の人間の手にあった物も、ヘパイストスの武器に酷似していた。

 また、<青銅>の者達の身体の周囲は、うっすらとした白銀色の膜のようなもので覆われているようにも見えた。それは、オリュンポスの神々が<神牛>を口にした時に起こるのと類似した現象であった。

 オリュンポスの神々と対峙した、アトランティスの<青銅>達は、戦いに対する高揚感で、まるで我を忘れたような精神状態になっていた。

 かくして、戦闘が始まった。

 <青銅>のその狂った戦いぶりは、まさに、<アトランティスの狂戦士>と呼ぶに相応しいものであった。

 アトランティスの狂戦士達は、オリュンポスの神々の攻撃を、オリハルコンの武具で弾き返し、手にした武器で、オリュンポス側に会心の一撃を次々に打ち込んでいったのだ。

 オリュンポスの軍勢は、戦術ではなく、<青銅>の数と力による強引さで押し込まれていった。そうした劣勢状況の中、ゼウスは、アトランティス軍の後方に控える神々の中に、プロメテウスの姿を見止めたのだ。

 行方知れずになっていたプロメテウスへのゼウスの疑心暗鬼は完全なる確信へと変わった。

「クラトス、ビアー、ヘパイストス」

 ゼウスは、自らの傍らに控えていた親衛隊の二柱の神、ステュクス一族の<武力>の神クラトスと<暴力>の女神ビアーを呼び寄せ、小声で指示を与えた。そして、ヘパイストスに目で合図すると、かの<炎と鍛冶>の神は、<箱>から布を取り出した。

 その布を纏った瞬間、クラトスとビアーの姿は、一瞬、朧気になったかと思うと、ゼウスの目からは完全に見えなくなったのだった。

 ヘパイストスは、自分の顔を他者に見えないようにするために、見る者の認識を阻害する帽子を被っていた。ゼウスは、その機能に着目し、ヘパイストスに外套を作らせていたのだ。それが、ようやく二枚まで完成していたのだが、外套をクラトスとビアーに貸し与えたのであった。 


 プロメテウスの姿は、ティターン一族の一派、イアペトス一族の陣営にあった。だが、プロメテウスは、他の神々達とは少し距離を置き、独り、戦況を見詰めながら、少し前の出来事を回想していた。


 アトランティスに戻ったプロメテウスは、父イアペトスに謁見し、オリュンポスから持ち出した三種の品を献上した。

 一つ目は、ヘパイストスの<火>であった。

 二つ目は、ヘパイストスの<箱>であった。

 その<箱>の一つ一つには、ヘパイストスが発明した武器や武具が収納されていた。それらを、神々や<青銅>の人間の中でも、強く猛き者に優先的に配り、その後で、イアペトスは、アトランティスの鍛冶師に銘じて、ヘパイストスの武器や武具を模倣させ、ヘパイストスの<火>を用いて、青銅で武器を、希少金属のオリハルコンで武具を製造させたのだった。

 そして三つ目が、オリュンポスの神々が口にしていた<神牛>の肉と内臓であった。これこそが、かつて存在したオリュンポスの<白銀>の戦士の戦闘力と、その身体の周囲を覆っていた神気の理由だったのだ。

 プロメテウスは、オリュンポスにて、<神牛>の研究に携わり、効率的な肉の調理法を編み出していた。そして、オリュンポス出奔直前の儀式で、牛の中で、見た目だけが良い部位をゼウスに提供し、一見、不味そうだが栄養価の高い部分を、くず肉としてゼウスから譲り受け、それを<箱>に詰めて、オリュンポスから持ち出して、<青銅>に摂取させたのだ。

 かつて、ゼウス達が<白銀>に牛を食べさせた時には、<神牛>に対する研究が不十分で、不死ではない人間に過剰摂取させてしまったため、<白銀>の肉体はその神力に耐える事ができなかったのだった。しかし、<神牛>の研究に従事したプロメテウスによって、アトランティスの<青銅>は適量を摂取し、さらに、肉をヘパイストスの<火>で調理する事によって、その効果は何倍にも跳ね上がっていたのだ。

 かくのごとく、オリュンポスに間諜として潜入していたプロメテウスの功績は絶大だったのだが、つい先日まで、プロメテウスを裏切り者だと思い込んでいたアトランティスとの神々との間には、やはり、感情的な軋轢が残っており、それが、陣営での<対神>距離として表われていたのだった。


「まあ、仕方ないかな……」

 そうプロメテウスは独りごちた。

 その瞬間である。

 プロメテウスに気配を気付かせることなく、背後から、プロメテウスを羽交い絞めにする者がいた。その力は凄まじく抵抗すべくもなかった。そして、もう一つの見えざる手によって、薬でも嗅がされたのか、プロメテウスの意識は一瞬で飛んでしまった。


 意識を取り戻した時、プロメテウスは、両手両足を鎖で縛られ、地面に転がされていた。

 そのプロメテウスを、ゼウス、ゼウスの親衛隊で、認識阻害の外套を纏ってアトランティスの陣に潜入し、プロメテウスを連れ去ったクレアスとビアー、そして、プロメテウスを捕縛するための様々な道具、認識阻害の外套、意識を一瞬にして奪う麻酔薬、いかなる力でも決して断ち切ることができない鎖などを制作したヘパイストスと、その従者のディオニュソスが取り囲んでいた。

「何故だ、何故にオリュンポスを裏切った。答えぬかっ、プロメテウス!」 

 ゼウスがプロメテウスに怒号を放った。

「ゼウスさま、わたしはイアペトスの子、ティターンの眷属なのです」

 クレイアスとビアーは視線を逸らさず、プロメテウスを険しい表情で睨みつけていた。

「プロメテウス。我々の友情は偽り、嘘だったのかい?」

 ヘパイストスは、声を荒げることなく、プロメテウスに寂しそうにそう問うた。

 プロメテウスは何も応えなかった。

 ヘパイストス、ディオニュソス、君達と酒杯を交わし合った夜は本当に楽しかった。あと時の友情に嘘偽りはなかったよ。

 

 ヘパイストスの鎖でがんじがらめにされたプロメテウスを、クラトスとビアーは、世界の東端カウカーソスにまで連れて行った。

 イアペトス一族の領地であるアトランティス大陸は、ギリシア世界西端の、さらに先に位置している。つまり、世界の西側のアトランティスと東端のカウカーソスは、イアペトス一族の手が最も届きにくい場所だったのだ。 

 カウカーソスとは、<白い雪>という意味で、黒海のタマン半島から、カスピ海のアブシェロン半島に連なる山脈で、この地こそが、ギリシア世界の東端であった。そして、そのカウカーソス山脈の東に広がっているのは未開の地で、<アジア>と呼ばれていた。

 そのカウカーソス山脈に連なる、とある山の頂にプロメテウスは、ヘパイストスが作った鎖で磔にされたのだ。そして、ゼウスは、そのプロメテウスの監視を一羽の鷲に一任し、監視に対する報酬として、鷲に、捕縛されたプロメテウスの肝臓をついばむ権利を与えていた。プロメテウスの内臓は、たとえ昼の間に鷲に食べられても、夜の間に、不死なる神であるプロメテウスの肉体は再生してしまう。そして、また翌日には、昼の間に鷲が肝臓をついばむ、といったように、この無限に繰り返される責め苦こそが、プロメテウスへの罰であった。


 プロメテウスは、天空の神ウラノスと大地の女神ガイアの三男イアペトスと、同じく三女で、掟の女神テミス、この兄妹の夫婦神の間に誕生した。プロメテウスが誕生した後、イアペトスとテミスは離縁し、テミスは、パルナッソス山の南の山麓に位置しているデルポイに居を構える事になった。元々、デルポイは、ガイアの直轄地の一つで、ガイアはここに託宣所を構えていたのだが。後に、イアペトスと離別したテミスにこの地を譲ったのだった。

 だが、掟の神テミスは、ある日、竜ピュートンに、自分の代理としてデルポイの管理を委ねると、実の息子であるプロメテウスの減刑を嘆願するために、オリュンポスを訪れたのだった。

 ゼウスは、ティターン神族の一柱で、血縁的には自分の伯母に当たるテミスの美しさに心奪われたのだが、姉ヘラの鋭い嫉妬の眼差しが突き刺さっているように感じられたので、なるべく感情の変化を表に出さないように気を遣いながらテミスに対した。

 テミスの美しさよりも、ゼウスが着目したのは、その神託と予言の能力である。そして、オリュンポスの勝利のために尽くす事を条件に、プロメテウスの生命だけは奪わない事を、母たるテミスにゼウスは約束したのだった。


 ある日、テミスに二つの神託が降りてきた。

 一つは、アトランティス側に、人間の女を送り込む事、そして、もう一つは、タルタロスに下って、そこに囚われているヘカトンケイルとキュクロプスを救出する事、この二つであった。

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