第22話 プロメテウスの出奔

 プロメテウスが、オリュンポスに馳せ参じてから一年の月日が経過していた。

 この間に、幾度もティターンとオリュンポスの間で戦いが勃発していた。ティターンからオリュンポスにやってきたプロメテウスは、オリュンポスに対する忠誠心を示すために、むしろ積極的に戦いに加わった。

 そして、とある戦いの折の事である。

 プロメテウスは、アトランティスのイアペトス一族の長で、父の跡を継いだアトラスと、プロメテウスの実子で、イアペトスが養子としたデウカリオンと、戦場にて遭遇してしまったのだ。

 プロメテウスとしては、血を分けた弟アトラスと息子デウカリオンと本気で戦う気はない。

 しかし、アトラスとデウカリオンは、プロメテウスを、イアペトス一族の裏切り者として、プロメテウスの姿を視認するや否や、むしろ、かの神に対して執拗な攻撃を加え始めたのだ。

 アトラスとデウカリオン、この二柱の神々の両の拳には<拳顎(けんつば)>が嵌められていた。

 拳鍔とは、拳による打撃力を強めるために、手の拳の部分に金属を装着する武器のことである。

 プロメテウスは、アトラスが打ち出した拳撃を、左腕に装着した円盾で防いだ。プロメテウスの盾は、アトランティスにいた時から彼が愛用している青銅製の盾で、これまでの戦いにおいて、この盾で防ぎ切れない攻撃などなかった。プロメテウスは、その最強の青銅の盾で、アトラスの攻撃をいなし、時機をみて、戦場から全速で離脱する算段であった。

 しかし、である。

 アトラスが放った一撃は重く、盾でそれを受けた瞬間、プロメテウスの左腕に痺れが走った。そして、アトラスから放たれた更なる一撃を受けた時には、円盾にひびが入った。その一瞬、プロメテウスは怯んでしまった。アトラスは、この隙に、大きく左足を踏み込み、腰を鋭く回転させ、咆哮を上げながら右腕から気合の一撃を放った。プロメテウスは何とか盾で受け止めたのだが、青銅製の盾は粉々に砕かれた。

 驚愕したプロメテウスの両目には、アトラスの拳から放たれている金属の輝きが入ってきた。 

 金属とは、銀、黄銅、青銅の順で硬度が増してゆくのだが、拳鍔の光沢は、これまでプロメテウスが見たことがない素材であった。

「見たかっ! アトランティスの技術は世界一ぃぃぃぃぃぃ。このオリハルコンの量産体制が整った時、金の時代も、銀の時代も、そして青銅の時代さえ終わりを告げ、我がアトラスの一族こそが世界を握ることになるのだ」

 アトラスは雄叫びを上げた。

「アトラス義兄上。父、否、この裏切り者への制裁は、何卒、この、私めにお任せください。その義務と権利の両方を、私は有していると思うのですが」

「わかった、デウカリオンよ。とどめは貴様に任せよう。ただし、だ。実の父だからといって、ゆめゆめ手心を加えるではないぞ」

「御冗談を。憎悪こそあれ、父子の情など、もはや毛の先ほども残ってはおりませぬ」

 かくして、一年ぶりに、戦場において敵として、父子は対峙した。

 もはや、自分に青銅の盾はなく、オリハルコン製の拳鍔の攻撃力も絶大だ。一撃たりとも攻撃を受けるわけにはいかない。

 プロメテウスは、集中力を一段階あげ、デウカリオンから放たれる拳撃を交わし続けた。そして、攻撃を、半身になって躱した際に、プロメテウスはデウカリオンの腕をとって、息子を地面に叩きつけた。プロメテウスとデウカリオンは、額と額を突き合わせ、組み合ったまま地面を転げ回った。そして回転が終わった時、デウカリオンがプロメテウスに馬乗りになっていた。

 上に乗ったデウカリオンは、口許に笑みを浮かべた。

「お覚悟」

 そう言うとデウカリオンは、オリハルコン製の拳鍔を装着した両手で、一方的にプロメテウスを殴り始めた。

 プロメテウスの顔面は見る見るうちに青黒く腫れあがっていった。

 ここに、戦場に駆け付けたステュクス一族のクラトスとビアーが割って入り、プロメテウスからデウカリオンを引き離した。もう少し到着が遅れていたとしたら、プロメテウスは、不死なる神々の中で、最初に<死>を迎えた神になっていたかもしれない。

 実は、クラトスとビアーがプロメテウスを助ける事ができたのは偶然ではない。プロメテウスがティターンのスパイである事を疑っていたゼウスから密かな指示を受け、プロメテウスを監視していたのだ。

 オリハルコンという、神々の世界に新たに生み出された金属によって半殺しにされてしまったプロメテウスは、オリュンポス山頂まで緊急搬送された。そして、プロメテウスの治癒力を活性化させるために、ゼウスは、オリュンポス一族の秘伝である神食アンブロシアと神酒ネクタルを、プロメテウスに摂取させた。

 アンブロシアとネクタルを呑み込んだ瞬間、プロメテウスの肉体的損傷は瞬く間に治癒していった。それから、ゼウスは、プロメテウスに牛を食べさせた。食べた瞬間、プロメテウスは身体の内から力が湧き出てきて、神としての格が数段階跳ね上がったのを実感していた。そして、自分の身体を見渡してみると、肉体の周りが白銀色のオーラで覆われているのが分かった。

「これは一体?」

「オリュンポスの秘術だ」

 オリュンポスに来て一年になるが、プロメテウスは、このようなものを口にしたことのは初めてであった。つまるところ、この一年、おそらくプロメテウスは、ゼウスから信用されてはいなかったのであろう。

 しかし、戦場で実の息子と本気で戦い合い、瀕死の状態になった事によって、皮肉なことに、ようやくオリュンポスの神々からの信用を勝ち得たのだ。そして同時に、プロメテウスは、オリュンポスの<力>の秘密が、神食と神酒、そして牛肉だという事を知るに至ったのである。

 それ以降――

 プロメテウスを裏切り者と謗る者は、もはやオリュンポスにはいなくなった。今や、ステュクスの子供達と共に、プロメテウスはゼウスの親衛隊の一翼をなし、ゼウスの信用を完全に勝ち得ていた。その証拠に、オリュンポスの神力の根源である牛の管理は完全にプロメテウスに一任されていたのである。

 プロメテウスが<牛役>に就くまでは、オリュンポスの神々は、牛を屠殺し、それを焼いて、切り分けて食すだけであった。だが、プロメテウスは、神力をより効果的に上げるために、牛の調理法の研究に余念がなかった。

 戦いの前には、儀式として、オリュンポスに集いし神々は、巨大牛を食し、神気を上げるのが慣例になっていたのだが、それは、とある戦い前のことである。 

 プロメテウスは、オリュンポスの神々の前で巨牛を解体し、二種類の牛肉料理を作った。

 片方は、肉と内臓を皮に包んだもので、見た目は酷く不味そうであった。

 そして、もう片方が、骨を分厚い脂肪で包んだもので、こちらの方は実に美味そうに見えた。

 この二種類の料理をゼウスに供した時、ゼウスは、見た目が良い後者の方を選んだ。ゼウスは、口に含んだ瞬間、その美味さに思わず舌鼓を打った。

「ゼウスさま、こちらの肉は、いかがいたしましょうか?」

「これを食した今、そんな不味そうなもの、もはや食う気などおきぬ。貴様が処理しておいてくれ」

 かくして、肉と内臓の方は、<くず肉>として処理しておくようにプロメテウスは命じられたのだった。


 ヘパイストスがオリュンポスにやって来た時、プロメテウスは、この若い神の世話役に任じられた。プロメテウスが元々はティターンからやって来た外様であったせいか、プロメテウスと、気難しかったヘパイストスは意気投合した。この二柱の神に、<酒神>ディオニュソスを交え、この三神は、酒杯を交わし合いながら、しばしば夜を語り明かしたものだった。

 そして、プロメテウスがゼウスに牛肉料理を供した日、プロメテウスは、ゼウスに処理を命じられたくず肉を持って、ヘパイストスの工房を訪れた。

「プロメテウス、貴公、その肉は、ゼウスさまに処理しておくように言われたはずではないか? そもそも、それ、食えるのか?」 

「ああ、巨大牛には無駄な部位は一つもないぞ。ゼウス様は、見た目が不味そうなので、食さなかったけれどな。どれ」

 プロメテウスは、既に調理済みのくず肉料理を自ら味見した後で、その肉をヘパイストスとディオニュソスにも勧めた。二柱の神は、恐る恐るその肉に口をつけた。

「な、なんだ。この美味さは。先ほどの料理の比ではない。しかも、身体の奥底から力が、こ、こみあげてくるぅぅぅぅぅぅ」

「う、うまいぞぉぉぉぉぉぉ」

 ディオニュソスも叫びを上げていた。ヘパイストスとディオニュソスは、プロメテウスが差し出した、くず肉だったはずの料理を、あっという間に平らげてしまった。

「御代わりはないのか?」

「まあ、待て、材料は山ほどある。それでは調理したいので、ヘパイストス、汝の炎を借りても構わぬか?」

「ああ。この肉がさらに食えるのならば、遠慮なく使ってくれ」

 プロメテウスは、ヘパイストスの炎で、肉を炙った後で、それを二柱に供した。

「な、なんだ、これは更に、うまいぞぉぉぉぉぉぉ。何故にだ?」

「秘密は二つ。牛の中では、骨と脂肪の部位もそれなりに美味いのだが、それよりも、一見、不味そうに見える、肉や内臓の方が、より美味いのだ。しかも、なにより栄養価も高いんだよ。さらに、だ。普通の火よりも、ヘパイストス、汝の炎を用いた方が、より美味い料理になると予想していたのだが、やはり思った通りだったな」

 ヘパイストスがディオニュソスの方に視線を送ると、その酒神は、持参した葡萄酒を飲みながら、一心に肉にかぶりついていた。

「なんだ、ディオ、俺にも葡萄酒をおくれよ」

 ヘパイストスも肉をかじりながら、赤い葡萄酒を口に含んだ。

「あっうううぅぅぅ、ものすごく合うぞおおおぉぉぉ、肉と葡萄酒」

「でしょ?」

 ディオニュソスはにやっと笑った。

「ディオニュソス、汝の葡萄酒を分けてくれないか?」

 ディオニュソスから、葡萄酒の壺を受け取ったプロメテウスは、壺の中の葡萄酒を鍋の中に入れ、さらに、その中に牛の内臓を入れ、ヘパイストスの炎で煮込み始めた。

 内臓を葡萄酒で十分に煮込むと、鍋から鼻梁を擽る香しい匂いが漂ってきた。

「ヘパイストス、残りの肉をしまっておきたいのだが、<箱>をいただけないか?」 

「ああ、必要なだけ、持って行ってくれ。この肉のお礼だ」

 ヘパイストスから、プロメテウスは<箱>を受け取った。そして、プロメテウス、ヘパイストス、ディオニュソスは、鍋を囲み、肉をつつきながら、酒杯を交わし合い、夜を語り明かしたのだった。


 三柱の神々は、すっかり酔いつぶれ、深い眠りに陥ってしまったかのようであった。だが、一柱の神だけが、眠り込んでいる他の神々を他所に起き上がった。

 その神は、一つの<箱>に、巨牛の肉と内臓の残りを全て入れた。そして、松明にヘパイストスの炎の一部を移すと、松明ごと、その炎を、もう一つの<箱>の中に封じ込めた。

 そして、眠り込んでいる神々を起こさないように注意しながら、<箱>を背嚢にしまい込み、夜陰に紛れてオリュンポス山の麓に向かって行った。

 

 かくして――

 プロメテウスはオリュンポスから出奔したのだった。 

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