第3章 一年戦争

第21話 ヘパイストスのオリュンポス帰還

 クロノス王が率いるティターン神族と、ゼウス率いるオリュンポス神族との戦いが始まってから九年の月日が経過していた。

 開戦当初こそ、ティターン神族の方が圧倒的に神数は多かったのだが、やがて、大洋の神オケアノスのように、中立の立場を取って戦いに参加しない一族、あるいは、オケアノスの長女たる<勝利と栄光>の女神ステュクスの一族のように、オリュンポス側に与した一族、初戦での人間を使った代理戦争における敗戦の後、冥界に引き籠ってしまった<不和と争い>の女神エリスの一族や、そして、プロメテウスのように、一族を裏切って、単神でオリュンポス側に味方した者、理由や事情は神それぞれであったが、クロノスに味方しない一族や神も現れ始めて、この九年に渡るティターンとオリュンポスとの神間戦争のあいだに、戦力差という観点では数に大差なくなっていた。

 そして、不死なる存在たる神々は、たとえ、肉体が損傷したとしても、その傷は、やがては癒えてしまうため、ひとたび戦いを始めると、相手を徹底的に打ちのめし、行動不能な状態にするまで戦い合う。こうした巨人たる神々の激しい戦闘に巻き込まれて、大地も海も地形が変わる程までに乱れに乱れていた。

 戦力が拮抗し、神は不死なる存在でもある。マキアの勝敗を喫する上で、ティターンもオリュンポスも互いに決め手がかけていたのだった。

 ゼウスは、その打開策の一つとして、千里眼と速き脚を有する半獣神パーンに世界を巡らせ、自分達の勢力に取り込むために、ティターンにまだ与していない有能な神を探させることにした。

 そしてある日、パーンは、とある一柱の若き神を、その山羊の背に乗せて、オリュンポスの山の背を登ってきた。

 その若き神は、やや痩身ながら逞しい身体つきをし、衣類を片肌脱ぎにしていた。そこから見える右腕の筋肉は太く隆起していた。

 若い神は、パーンの背から降りると、ゼウス達、オリュンポスの神々の前まで、片脚を引き摺りながら進み出た。

 若神は、小さな丸い帽子を被っているだけだったのだが、帽子の影が顔にかかっているせいなのか、どのような容貌をしているか、オリュンポスの神々にははっきりと分からない。

「エーゲ海東のレムノス島出身のヘパイストスと申します」

「余がゼウスだ。ヘパイストスと申す者よ、その……、何故か、お主の顔がはっきりと見えないのだが」

「その件ですか。それは、この帽子のせいです。見る者に認識阻害をさせる技術を用いているので」

「何故に、顔を隠す?」

「これは失礼をば。鍛冶仕事で炎を扱った際に、顔に酷い火傷を負ってしまったので」

 ゼウスは、ヘパイストスの背後に立つパーンに声をかけた。

「パーンよ、お前がレムレスとかいう島から連れてきた若者、その……、戦いにおいて力になるとは思えないのだが?」

「ゼウス様、この子の真骨頂は、戦闘力じゃないよ」

「それでは、いったい何ができるというのだ?」

「もの作りだよ。ティターンを打ち倒すための武器や武具を、ヘパイストスに作らせるのさ。エーゲ海の東では、この子の作る品々は音に聞こえる程だったんだよ」

「それ程までの技術があるというのか? にわかには信じられないのだが」

 パーンは、ヘパイストスの方に顔を向けた。 

「ヘパイストス、ゼウスさまに何か見せてあげなよ」

 ヘパイストスは背負っていた背嚢を開けた。そこから同じ大きさの小さな箱を次々に取り出し、すべて地面に置くと、何かぶつぶつ呟いた後で、「よし、これに決めた」と小声で言うと、箱を一つ選び出し、その蓋を開けた。それから、箱の中に指を差し入れ、何か黄金色の物体を取り出した。

 ヘパイストスが地面にその黄金色の物体を置いた、その数瞬後に、それは拡大し、一脚の椅子になった。

 その収容箱に、ゼウス達、オリュンポスの神々は目を見張ってしまった。

「そ、その箱は、一体っ!」

「ただ単に、箱に物を収納するだけの代物ですよ」

「どんな大きな物でも、その小さな箱に入るのか!?」

「ええ、まあ、お恥ずかしながら、まだ改良の余地がある未完成品で、一つの箱に一つしか物が入れられないのですよ」

 いやいや、これはとんでもない発明品だぞ。この箱さえ用いれば、戦場への物資の輸送がどれほど容易になることか。

 ゼウスや男神達が、その箱の機能に目を見張っているその一方で、オリュンポスの女神達は、箱から取り出された<黄金の椅子>の方に目を奪われているようであった。

 その黄金製の椅子には、宝石が散りばめられ、その装飾も実に豪奢であった。

 ゼウスの傍らに控えていた女神ヘラが、その黄金製の物体に羨望の眼差しを注いていた。

「それでは、この黄金の物は、そちらの女神様に献上することにいたしましょう」

 ヘパイストスは、ヘラを指差した。

「まあ、本当? 嬉しいぃ」

 ゼウスに黄金の椅子を強請ろうとしていたヘラは、手を叩いて喜び、上機嫌になっり、さっそく、椅子の座り心地を試してみることにした。

 ヘラが椅子に座った瞬間、椅子の大きさが自動的に伸縮し、背凭れの角度までもが勝手に微調整され、その椅子はヘラの身体に完全に適合した。

「これは一体?」

 ゼウスは再び驚愕することになった。

「自動的に、座った人間の身体に合うように設計しているのですよ」

 そうヘパイストスはゼウスの問いに応じた。  

「座り心地も、至上の快適さよ、ゼウス。もう二度と立ちたくないって思えるほどよ。あらっ! あれっ、あれっ、あれぇぇぇぇぇぇ! 動かない、動けないわ、動けないのよ、ゼ、ゼウスゥゥゥゥゥ~~~~~、アプロ、アプロティィィィィテェェェェェ~~~~、助けてぇぇぇぇぇぇ~~~~~。」

 ヘラは自分の侍女を務めている女神の名を呼び、侍女に手伝わせて椅子から立ち上がろうとした。しかし、まるで、椅子は完全にヘラの身体と一体化してしまったかのようになっていて、他の神々の力を借りても、黄金の椅子からヘラの身体を引き剥がすことができなかった。

「こ、これは!?」

 ゼウスが、椅子の制作者であるヘパイストスの方に顔を向けた。

「へへ、これ凄いでしょう。ここ最近では、最高の傑作かな」

「な、何なんだ、これは!?」

「ただの拘束具ですよ」

「椅子ではないのか!?」

「見た目と、座り心地にもこだわった、最高の一品です」

 ヘパイストスは宝物を褒められた子供のような表情をさせた。

「そんな事はどうでもよい。早く、ヘラ姉を解放せんかっ!」

「ちぇっ! 僕の発明品の機能を見たがったの、ゼウスさまじゃないか」

 ヘパイストスが、椅子型の黄金製の拘束具に近付くと、ヘラが鋭い眼つきで、ヘパイストスを睨みつけながら、唸っていた。

「わ、わたくしをこんな目に合わせて。あなた、わかっているのでしょうね。け、けっして許しませんことよ」

 ヘパイストスが、背凭れにある解除ボタンを押すために、拘束具の背後に回ろうとした。その時、ヘパイストスは、ヘラの耳元で、かの女神にしか聞こえない程度の声量で、こう囁いた。

「お久しぶりですね、お母さま」

 そう言って帽子を少しずらしたヘパイストスの顔は、ヘラが九年前に独りで産み落としたものの、その容貌の醜さゆえに、エーゲ海に投げ捨てた赤子の成長した容貌であった。 

「産みの母、ヘラよ、あなたが、赤子の僕にした冷たい仕打ちを、忘れた日は一日もありません。ただ、その時の事は、これで水に流しましょう。僕には、島に本当の母が二人もおりますので。実の子であることを認知し、神々に、あなたの子として紹介して欲しいと望んでいるわけでもないのですよ。むしろ、母でもなければ、子でもないという関係こそが望ましい」

「わ、わかりました。わかりました。赤子の時の事は謝りますから、一刻も早く、わたくしを、この黄金の椅子から解放しなさい」

「母ヘラよ。その言葉が心からの謝罪でないことは明らかですよ。なんか、拘束を解きたくなくなってきたなぁぁぁ~~~」

「何でも、何でも、あなたの望みを叶えさせますから」

「それならば、そこに控えているあなたの侍女と、僕を結婚させていただけないでしょうかね? ほらっ、出来ないでしょう。心にもない口から出まかせの軽い謝罪なんかじゃ心に響かないんですよね」

「アプロディーテをですか? わ、分かりました。分かりましたから。疾く、疾く、拘束を解いてぇぇぇ~~~」

 思い付きで述べた提案だったが、驚いた事に、ヘラは、自分の筆頭侍女であるアプロディーテを、ヘパイストスの妻とすることを即座に了承したのだった。

 ヘパイストスは拘束具を解除し、そして、約束通りにアプロディーテと結婚する事になった。

「それじゃ、ヘラ様、何かの折には声をかけてくださいね」

 解放した直後に、ヘパイストスは再度ヘラに耳打ちし、新妻となった<美の女神>アプロディーテに、頭を掻きながら近づき、彼女にこう告げた。

「それじゃ、結婚すっか」

 かくして、妻を娶ったヘパイストスは、椅子型の黄金製の拘束具を<箱>に戻し、再びゼウスの前に片脚を引き摺りながら進み出た。

 今や、ゼウスは、完全にヘパイストスの発明品の虜になっていた。 

「ヘパイストスよ。汝のために、早速、鍛冶場を用意させよう。何か入用なものはあるか? 可能な限り、そなたの要望に応えよう」

「よき鍛冶場に必要なのは火です。このオリュンポスの中で、最も強き炎を得られる所に、作業場を作っていただきたく存じます」

「そうだな……。それならば、神殿中央部、ヘスティア姉上の<炉>、あの場こそが相応しかろう」

「ありがたき幸せ。それと、ロバを一頭いただきたく思います」

「ロバだと? 何故にだ」

「いつまでもパーン様の背に乗っているわけにもいかないので」

「よし、分かった」

 ゼウスは、一人の神童を、ヘパイストスに引き合わせた。ゼウスが目で合図を送ると、その神童はロバに姿を変えた。

「この童を、汝の小姓にするがよい。その神獣がロバで、このようにロバに変化することもできるし、ロバを自由自在に使役することもできる。ほれ、挨拶せんか、ディオニュソス」

 これが、<炎と鍛冶の神>ヘパイストスと、やがて、その莫逆の友となる<酒神>ディオニュソスとの邂逅であった。

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