第2章 神間戦争の幕開け

第11話 オトリュス山への緊急招集

 テッサリア地方を挟んで、その南に聳えているのがオトリュス山である。この山頂に宮殿を構え、世界を統べていた神こそがティターン神族の長クロノスであった。

 クロノスは、自分の侍童の奸計に嵌って、己の体内に封じ込めていた六柱の子供達全てを吐き出させられてしまった。この侍童は、実は、クロノスとレイアの間に生まれた末の子ゼウスであった。たしかに、ゼウスも生後すぐに呑み込んだはずだ。しかし、吐き出した六柱のうちの一つは赤子大の石であった。つまり、自分の知らぬ間に、赤子と石が取り換えられていたのだ。

 そのすり替えの実行犯として、先ず最初にクロノスが疑ったのは妻レイアであった。状況を鑑みても、赤子を産んだレイア以外には行い得ない犯行だからだ。

 クロノスは、ゼウスによるクロノス襲撃事件の後、レイアに事情を問い質そうとした。しかし、折り悪く、レイアは、クレタ島の母ガイアの許を訪れていた。そのため、妻をオトリュス山に呼び戻そうと、クロノスは配下の者をクレタ島に派遣した。だが、部下達は、島を取り囲む波の障壁のせいで、クレタ島への渡航ができなかったらしい。 

 クレタ島周囲の海は荒れに荒れていた。この荒海が自然現象であるはずはない。クロノスは、これを<神為>的なものだと疑った。そして、こうした事象を引き起こせるのはポントスだけである。

 ポントス(荒海)は、ガイア(大地)が他のいかなる神とも性交せずに自力で生んだ神の一柱で、ウラノス(天空)の弟に当たる、クロノスよりも一世代上の神である。

 ウラノスと別離した後、ガイアは、子であるポントスと契りを交わした。

 母にして妻であるガイアのために、ポントスが、島の周囲に荒海による結界を張り、クレタ島への海からの侵入を阻んでいるのであろう。

 そのような報告を受けたクロノスは、それならば上空からとばかりに、飛行能力に長けた配下をクレタ島に派遣した。しかしながら、島全体の上空を小さな<天空>が覆うようになっていた。その強力な透明の分厚い空気の幕が結界の役割を果たし、空からのクレタ島への侵入もまた叶わなかったそうだ。この報告を受けたクロノスは、とある一柱の神の存在を想起していた。

 天空の神、父ウラノスである。

 不壊金剛の大鎌アダマスによってクロノスにペニスを刈り取られた後、ウラノスは王宮から追放され、その後は行方知れずのままであった。

 もっとも、玉座につき、世界に君臨することになったクロノスにとって、陰茎を失い、能力が弱まった男神のことなど、もはや眼中にはなく、ウラノスの所在には無頓着であった。だがしかし、世界全体を覆う程の<天空>の力は既に失っていても、島一つを覆う程度の力は今なお残っていたらしい。

 このような事態になるのならば、追放ではなく、アダマスの大鎌によって、その肉体をバラバラに斬り刻んで、復活できないように、その断片を世界の各地に封印しておくべきであった。しかし、悔やんでみても、それは詮無きことだ。考えるべきは今後のことである。

 今ある情報から推測できるのは、一世代上の神々、ガイア、ウラノス、ポントスが、今回の事件と無関係ではないという事だ。つまり、父ウラノスと叔父ポントスが空と海に結界を張って、母ガイアが居るクレタ島への接近を阻止しているのだ。その母は、ゼウスの件で、クロノスを裏切った妻レイアを島に匿っているのだろう。

 クロノスは、そのゼウスを含めた、六柱の子供達の行方を捜させていたのだが、その消息は杳として知れなかった。ここに、父母の世代の神々の影が見え隠れする。

 全く忌々しい。

 父母に妻と子……。自分と関係や血が濃い神々ほど、余に反意を示してくる。<一神等>の神は消滅させなければならない。そして、<二神等>に当たるティターン神族の兄姉達は、このクロノスの玉座を狙っているように思えてならない。

 それでは、いかにすれば、自分以外の、ウラノスの血脈を断つことができるのか?

 ここでクロノスの脳裏に一つ妙案が浮かんだ。 

 かくして、クロノスは、世界中の全ての神々に対して、オトリュス山への緊急招集を発令したのだった。

 集まった主だった神は、次兄コイオスと五姉ポイペの夫婦神とその眷属達、三兄クレイオスと、ガイアとポントスの子エウリュビアの夫婦神とその眷属達、四兄ピュペリオンと次姉テイアとその眷属達、五兄イアペトスと、オケアノス一族のクリュメネの夫婦神とその眷属達、そして四姉のテミスと、五姉のムネモシュネである。

 これらクロノスの兄姉とその子達は、クロノスから見て二神等と三神等に当たる血の繋がりが濃い神達で、これらが<ティターン神族>と呼ばれる一族である。

 しかし、長兄オケアノスと六姉テテュスの夫婦神とその眷属達の大半は、クロノスの招集に応じなかった。

 そして、ティターン以外の神々のほとんど全てもオトリュス山に集っていたのだが、そこには、ポントスを始祖とする海の一族の大半の姿もなかった。

 ポントスは、ウラノスと別れた後のガイアと母子婚し、この二柱の間には、ネレウス、タウマス、ポルキュスという男神、ケト、エウリュビアという女神が誕生していた。ポントスは、既に、一族の長としての地位を長男ネレウスに譲っていた。

 ネレウスは、オケアノスの娘ドリアを妻に娶り、この二柱の神の間には、五十柱の娘が誕生し、この姫神達は、ネレウスの娘たち<ネレイデス>と呼ばれている。ネレウスには変身と予言の力が備わっており、その変身能力によってネレウスは、普段は老人の姿をとっていた。それは、老人に変化した方が予言の精度が上がったからで、その強化された予言によって、父ポントスにクレタ島の周囲に荒海の結界を張るように忠告したのが、実はネレウスだったのだ。

 そして、ポントスの次男タウマスもまた、オケアノスの娘エレクトラを娶っていた。

 このようにポントスとオケアノスの一族は、海の一族同士、婚姻などを通じて互いに深く結び付いているのだ。

 ちなみに、三男ポルキュスと長女ケトは兄妹婚をし、末の娘のエウリュビアに関しては、クロノスの三兄クレイオスに嫁いでいた。

 だから、エウリュビアを通して、ポントス一族の真意を探ろうとしたのだが、エウリュビアにも父や兄との連絡はできない状況らしい。

 五男のイアペトスと結婚していた、オケアノスの娘クリュメネも事情は同じで、この女神もまた、父オケアノスとは連絡不通であるようだった。

 とまれ、招集に応じなかった二つの海の一族への対応は一先ず置いておくことにして、クロノスは、オトリュス山に集まった神々の前で、今回の緊急招集の目的を語り出そうとした。まさに、その瞬間のことである。

 テッサリア地方を挟んで、オトリュス山と正対した北に聳えているオリュンポス山の方から、ゼウスからクロノスへの宣戦布告が為されたのだ。

 クロノスが神々を集めたのは、ティターン神族を初めとし、神々の力を集結し、自らに反旗を翻した<一神等>の神々に宣戦布告をするためで、結局の所、ゼウスと目的は同じだったのだ。実は、クロノスの裏の意図は、ゼウス達と、ティターン神族、自分と血が濃い神々を共倒れにすることであった。

 これで状況は整った。つまるところ最終的に、このクロノスだけが世界に残ればそれでよいのだ。

 自らの計算通りに進んでいる事態に、表情には出さず、心の中で独りほくそ笑んでいたクロノスの思考を、オリュンポス山からのゼウスの第二声が断ち切った。

「神々よ。聞くがよい。我々オリュンポスに味方し、ティターン神族と戦う神からは、それがたとえティターンの眷属であったとしても、決してその特権を奪うことはしない。そして、その名誉を尊重することもまた約束しよう。そして、かの悪逆なる憎っくきクロノスから、その名誉と特権を奪われた者には、当然のことながら、それを復権させることをここに約束しよう」

 オトリュス山に集った神々の間に、目に見えず、音にもならない動揺が走ったのを、王クロノスは感じ取っていた。

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