第2話エリスとネックレス

 結局、ソロモンの自宅に帰ったのは、明け方近くになっちまった。

 ソロモンの住人は二つに分かれている。昼に起きてる奴と夜に起きてる奴だ。

 夜起きてる奴は行儀が悪い馬鹿が多いが、大抵は無関心だ。だから背中に娘を背負っていても怪訝に思われるだけで何も言わないし、自警団に報告もしない。


「あっはは。珍しいじゃねえか。ヨハンが女連れ込むなんてよ!」

「悪趣味なことすんなよ!」


 しかし中には悪い意味でおせっかいな馬鹿も居る。たとえば自分の幸せを他人に振りまく迷惑者――酔っ払いとかだ。娘が居なければ五体満足で居させねえんだけどよ。

 娘は俺の背中ですやすや寝ている――いや、うなされている。ま、野盗に追われてたんだ。悪夢を見るのも当然だな。


 目抜き通りを外れた小さな自宅――元々は師匠の家だが、失踪する前に権利は俺に移っている――の寝室に娘を寝かせる。起こすと面倒だからなるべく丁寧に置くと、ようやくホッと一息つけた。

 これからのことを考えると頭が痛い。あの野盗共――野盗らしくなかった。どちらかと言うと訓練を受けた兵士のような動きと太刀筋だった。

 最近、どこかの領主が死んで、兵士が解雇された話は聞かない。まあ素行不良で解雇される場合もあるし、一概には言えないがあまり良い予感はしない。

 ていうか見くびられただけでキレるって、そんなに俺は短気だったか? ピンポイントで俺の弱いところを突かれたってこともあるけど……


「……うう」


 うなされている娘の寝顔を眺める。エルフという種族は美形が多いとされているが、その中でもとびっきりの美少女だ。まるでどこぞの姫のような端整な顔。それが村娘の格好をしているので、どこかアンバランスな感じがする。

 さて。娘が起きたらそのまま村に帰ってもらうのは当然だが、その際俺はどうすれば良いのだろう? 親切に村まで送り届けるのか。それともこのまま追い出すか。

 コインで決めても良かったが、まずは事情を聞かないといけないなと思う……殺し屋のくせに変に常識的な判断だが、こういうケースは自分でも初めてだったので戸惑っていた。

 つまり一周回ってまともな思考をしていたわけだ。この俺が。

 とりあえず起きるまで待とう。

 俺は寝室を出て、いつも飯を食っている部屋の椅子に座って、薄暗い部屋が徐々に白み始めるまで、何をするでもなく娘が起きるのを待っていた。




 きいっと扉の音を立てて寝室から娘が出てきた。警戒しているようで寝室から完全には身体を出さない。辺りをきょろきょろ見渡して、俺と目が合うと「きゃあ!」と小さく悲鳴を上げた。


「……ようやく起きたか。もうすぐ昼頃だぜ?」

「あ、その、ご、ごめんなさい……」

「いいよ別に。とりあえず部屋から出ろ。パンと牛乳でもごちそうしてやるから」


 恐る恐る寝室から出て、俺の真向かいに座る娘。

 俺は立ち上がり棚からパンと牛乳ビンを取り出した。パンを皿にのせて、牛乳とコップに注ぐ。

 目の前に置くと娘は震える手でパンを取って、ゆっくりと齧る。


「……美味しい」

「まあな。口は悪いけど腕は良いパン屋から買っているから……って泣くなよ!」


 ぽろぽろと涙を流す娘。俺が泣かせたみたいで、ガラにも無くおろおろしてしまう。


「泣くなって! 何かあったのか知らねえけど――」

「ご、ごめんなさい……」


 ますます泣いてしまう娘。

 あーもう、どうすっかな……


「……ごめんなさい。もう、大丈夫だから」


 しばらく泣いた後、娘は少しだけ笑った。ほっと一安心した俺は「ゆっくり食べろよ」と薦める。

 娘が食べ終えるまで会話はなかった。手持ち無沙汰になった俺は窓の外を見ていた。小さな庭には師匠が育ててた花が咲いている。三年間、面倒を見ていないのに毎年律儀に咲く名も知らない花。


「……美味しかったです」

「そうか。良かったな」


 娘の顔色が少しだけ赤みを増した。体調は良くなったみたいだ。


「そんで、単刀直入に聞くけど。お前はどうして森の中で野盗に追われていたんだ?」

「……分かりません」


 分からない? それこそ分からねえ。

 なんでこの街の住人じゃねえこいつが森の中に居たのか。

 そもそもこいつと野盗の会話もおかしかった。『捕らえろ』とか『おとなしくすれば危害を加えない』とか。野盗はそんなこと言わない。奴らの目的は殺すか奪うかだ。考えられるとするのなら、人質にしてこいつの家族から金をせしめるんだが……


「お前は貴族じゃないよな?」

「えっ? ち、違います……セム村のエルフです……」


 セム村……行ったことはないが聞いたことはある。田舎の小さな村だ。あそこに貴族が住んでる訳はない。

 ますます分からねえ。こいつの事情が分からねえといくら考えても無駄に思えるぜ。


「なあお前――」

「え、エリス、です」

「ああ?」

「わ、私の名前、エリスって言います……」


 目の前の娘――エリスは精一杯の勇気を振り絞って、そう言ったみたいだった。


「そうか。エリスって言うのか」

「はい……その、あなたは?」


 名乗るのは久々だ。殺す相手に名乗っても意味はないからな。


「ヨハンだ」

「ヨハンさん……」

「さんは要らねえよ。さて、自己紹介も済んだし、本格的にいろいろ話してもらおうか」


 エリスの目を見て、俺は言う。


「どうして追われたのか。それはエリスにも分からねえんだろ? じゃあ訊かねえ。俺も厄介事に巻き込まれたくねえしよ」

「…………」

「でも、セム村が故郷なら、連れてってやってもいいぜ」


 その言葉に曇っていた顔が明るくなる。


「ほ、本当ですか!?」

「ああ。その代わり、そのネックレスを貰おうか」


 俺はネックレスを指差した。おそらくルビーであろう赤い宝石が中心となっている。

 エリスは「ええ。いいですよ」とネックレスを外して俺に手渡す。

 ……こいつ自分が騙されているとか考えないのか?

 まあ騙すつもりはねえけどよ。


「そんじゃあちょっと出かけてくるぜ。すぐに戻るからここで待ってろ」

「えっ……どこに行くんですか?」

「ネックレスの鑑定だよ。明らかに高価だから、ただセム村に送るだけじゃあ釣り合わないかもしれないからな」


 エリスは「しっかりしていますね……」と感心したように言う。


「もしも釣り合わなければ、余分な金は返すよ」

「そ、そこまでしてもらわなくても――」

「お前のためじゃねえ。俺のためだ。こういう金はクリーンで無いと気分が悪いんだ……仕事柄な」


 俺は「お腹空いたら棚から好きなもん取って食え」と言いつつ、家から出ようとする。


「あ、あの!」

「ああん?」


 大声で呼び止められて振り向くとエリスは頭を下げていた。


「本当に、ありがとうございます!」

「…………」


 それには答えずに手を振るだけに留めた。

 人から感謝されるってどのくらいだ?




「……お人よしねえ。『あいつ』に似てきたわよ」

「うるせえな。それよりネックレスの鑑定してくれよ」


 俺は闇ギルドに訪れていた。仕事が完了したことの報告も兼ねて、ヘラにネックレスの鑑定を頼むためだ。事情を話すとヘラは煙管を吸うのを止めて迷惑そうな顔をした。


「そういうの質屋のじいさんに頼みなさいよ」

「さっき行ったら休業の看板が立ててたよ。あいつ朝から酒吞みに行きやがった」

「……鑑定料取るわよ?」

「ネックレスもついでに買い取ってくれ。その分から引いてもらえばいい」


 ヘラは面倒そうに溜息を吐く。


「さっさとネックレス出しなさいよ」

「ああ。これがそのネックレスだ」


 俺は懐からネックレスを取り出した。

 ヘラは見るなり「へえ……」と感心したように呟く。


「えらく豪華じゃない。田舎娘の持ち物だって聞いてたから、期待してなかったけど」

「俺には審美眼がねえから分からねえけど、そんなに凄いのか?」

「まず中心のルビーは本物ね。一目で分かるわ。それから――」


 手に取って調べていたヘラだったが、ネックレスの裏側を見て動きを止めた。

 そしてまじまじと眺める。


「うん? どうした?」

「ごめん。ちょっと魔法使うわね」


 そう言って何やら呪文と唱えるとネックレスが緑色の光に包まれた。

 注意深くヘラは見ていたが、もう一回呪文を唱えると光が消えた。


「……これ持っている女の子、どこに居るの?」

「俺の家だけど」


 ヘラは椅子から立ち上がり「その子に会うわ」と短く言う。


「おいおい。どうしたんだよ?」

「その子が追われている理由が分かったわ」


 ヘラは「あんたも来なさいよ」と甲高い声で言う。

 何がどうしたって言うんだ?




「お、おかえりなさい……その人は?」


 俺と一緒に帰ってきたヘラを見て怯えるエリス。

 ヘラはエリスに「あんた何者なの?」と詰問する。


「な、何者って――」

「どうしてこんなものを持っているの!」


 ネックレスをばあんとテーブルに叩きつけるヘラにますます怯えるエリス。

 流石に闇ギルドの長をしているだけあって迫力が凄い。


「おい待てよヘラ。説明しろよ」

「……このネックレスの裏の紋章。これは王家の紋章よ」


 ネックレスをひっくり返して見せるヘラ。

 馴染みはないが、見覚えがあった。二頭のライオンが剣を対称に向かい合っている。


「この紋章は王家のものである証よ。つまりアムンセン王国の! なんで一介の村娘のエルフが持っているのよ!」

「そ、それは……」

「しかも追跡魔法がかけられていたわ! 盗まれないためと王族にもしものことがあった場合のための魔法! つまりこれは――盗品よ!」


 じゃあエリスは――


「あなたは、王家からネックレスを盗んだの?」


 それは疑問でありながら断定する物言いだった。

 せっかく赤みを増したエリスの顔色はすっかり青ざめてしまった――

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