闇ギルド所属の殺し屋ヨハンは不幸体質のエルフ娘を助けるようです

橋本洋一

第1話殺し屋とエルフ娘

「人を『殺す』とき、師匠は何を考えていますか?」


 これは、夢だ。

 いや――過去の記憶だ。

 まだ九才のガキだった頃の思い出。

 この問いを師匠にしたとき、既に人を殺していたはずだ。


「……別に何も考えない」


 白が混じった黒髪を後ろで束ねていた師匠は何をするでもなく、淡々と俺の問いに答えていた。


「殺した後は『ああ、殺したんだ』と思うだけで、最中は何も考えないし感じない」


 感情を込めない話し方だった。いつもそうだ。いつだってそうだった。

 俺が殺しの技術を習得する過程でも、師匠の仕事の手伝いを上手くこなしたときも。

 何一つ褒めることはなかった。無論、逆に怒られたこともなかったが。

 俺は、育ての親である師匠に、褒めてもらいたかった。

 だからきつい訓練も耐えたし、実際に人を殺したときも弱音を吐かなかった。

 今思えば、可愛げのないガキだったのだろう。


「ヨハン。お前は何のために人を殺す?」


 逆に問われたとき、俺はなんと答えただろう。

 自分のため? 師匠のため?

 それとも――


「いつか、お前は人のために人を殺すだろう。だが覚えておけ」


 師匠は無表情に無感情に、そして無意味のように言う。


「――――」




「……あのとき、師匠はなんて言ったかな」

「はあ? ヨハンちゃん、何寝ぼけてるんだい?」


 今朝の夢のことが気になって、思わず呟いてしまった。それを聞いていたのはずっくりとした体型の中年女――闇ギルドの長、ヘラだった。真っ青な目の金髪。遠い国からの舶来品である煙管きせるを自慢げに吹かしながら、いつも通りの横柄な言い草で俺に言う。


「あんたの師匠はどっか行っちまっただろう? ま、おかげさまで賭けの負け分、払わずに済んだけどさ」


 闇ギルド内での一室で仕事の依頼を聞いているときだった。相変わらず贅を尽くした趣味の悪い部屋だなと思いつつ、俺は眠気覚ましに首を振った。


「分かっているよ。もう三年前のことは引きずっちゃいない。それより煙管はやめろよ。臭いが移るだろ」

「はいはい。それで、次の仕事のことだけど、ヨハンちゃんには簡単かもねえ」


 そう言ってテーブルの上に差し出されたのはターゲットの似顔絵とその詳細。そして報酬額だった。

 ……こんな商人風情に五千セル? 世の中景気が良いのか、それとも依頼人の気前が良いのか分からねえが破格な額だった。


「平凡な商人に対して、破格な報酬だな」

「それほど殺したい相手ってことでしょ。それにそいつ、方々から恨まれているわよ」

「恨みねえ。くだらねえな」

「そのおかげでご飯食べられるじゃない。あたしとあなたは。文句言わないの」

「へっ。違えねえな」


 ヘラは紫煙を吐きながら「あなたにはもっと働いてほしいけどねえ」と愚痴る。


「その気になればAランク、もっとやる気を出せばSランクになれるわ。なのに仕事始めて三年でDランクなんて」

「Dランクでも十分に食っていける。それに冒険者ギルドと違ってランクアップしても特典は少ないだろう? 食堂の料金が半額になるとか。だからやる気が起きねえ」


 欠伸をしながらそう言ってやると「最近の若者は向上心が無くて困るわ」と睨まれた。


「そこのところの教育もしっかりと『あいつ』がしてくれたら楽できたのに」

「俺以外にも居るだろう。ゴドムとか。キリックとか」

「あいつらちょっと信用できないのよねえ。腕はいいけどさ」


 俺は依頼書を持って「そんじゃ仕事してくるわ」と立ち上がった。


「あら。もう少しお姉さんと話さない?」

「さっさと仕事終わらせたいんだよ」


 俺はヘラを置いて部屋から出て行った。

 そのまま陰気臭いのとガラの悪いのと頭がおかしい奴の横を通って、闇ギルドの外に出る。街外れの裏路地にある建物から日の当たる大通りまで歩く。


 自由都市ソロモンはこの地方一の歓楽街であり、暗黒街だ。巻き物を開けば誰でも魔法が使えるという怪しげなものから明らかに違法な薬品も売られている。唯一取引されていないのは奴隷だ。これは古くからの街の法で決まっている。この街で奴隷売買なんてした日には、五体満足で街から出ることはない。

 ま、そんな街だからこそ闇ギルドなんてもんが運営できるわけだ。しかしそれでも表に出ることができないので、街の奥深くにひっそりと存在している。


 今日は仕事を請けたその足で行こうと思っていたので、家に帰る必要はない。

 準備は万端だ。


「さーてと。さっそく灯火を消しに行くか」


 灯火を消す。これは闇ギルドの一員が仕事を開始する隠語である。




 仕事はあっさりと終わった。

 何の手ごたえも歯ごたえもなかった。いつものどおり味気ないものだった。

 しかしすっかり夜中になってしまった。夜目は利くので面倒ではないが、それでも魔物が活性化する時間帯なので、油断は大敵だった。

 危険だと分かっているが、森を抜けることにした。仕事元である王都ダビデとソロモンの間にある鬱蒼とした森だ。普通の人間なら迷うが、師匠との訓練で何度も訪れているので慣れている。それでも危険なことには変わりないので慎重に進む。


 歩いて二時間後。結局近道をしてもソロモンに帰れないと諦めて野宿の準備をする。焚き木に火を点けて、ソロモンの市で買った干し肉を齧っていると、誰かがこちらに走ってくる音がする。

 足音から若い女だと推測できる。十代か二十代。俺は火をそのままにして物陰に隠れた。


 そのまましばらくすると、若い女が息を切らしながら焚き火の傍まで来た。銀髪。田舎の村人のような服装。つまり地味で茶系統な服。耳が尖っている。エルフか。

 そのエルフの娘は俺よりも年下のように見える。三つ下ぐらいだから十六才か。そいつは焚き木の前までやってきて、膝をついてしまう。体力の限界なのだろう。


「そんな……誰か居ると思ったのに……」


 なるほど。そうだよな。誰か居なけりゃ火なんて点かないよな。

 おそらく遭難者だろうと推測した俺は、助けようか迷っていた――うん? 地味な服装かと思ったけど、随分と高価なネックレスしてるじゃないか。助けたついでに貰えるかな? 貰えねえよなあ……


「……ひいい!?」


 娘が後ろを振り向く。

 そこには野盗が三人居た。全員、抜き身の剣を持っている。


「手間をかけさせたな……おい、捕らえろ!」


 リーダー格の男が素早く指示を出す。

 娘はその場から逃げ出そうとするが野盗のほうが早かった。

 あっという間に捕らえられてしまう。


「助けて! 誰か!」

「こんなところに助けなど来るはずないだろう。おとなしくすれば危害は加えない」


 野盗らしくない台詞を吐きながら、縄で縛ろうとする。


「おいおい。何をやっているんだ?」


 いくら殺し屋でも人として捨てて置けないことぐらいある。

 たとえば人攫いとか。無意味な殺人とか。

 まったく、自分に都合良いよな。


「だ、誰だ貴様は!?」

「通りすがりの一般人だよ。あんたらここで何しているんだ?」


 剣を向ける野盗を半ば無視して、俺はまず話し合いで解決しようとする。


「あんたらがそのエルフ目的なのは分かる。でもよ、ここでそんなことされちゃソロモンの住人として見過ごせないんだわ」

「……何を言っている?」

「知らないのか? ソロモンじゃあ奴隷禁止なんだ。そしてその禁止事項には、人攫いも含まれる――」


 そこまで言った瞬間、一人の野盗が斬りかかって来た。しかし動きが見え見えだったので半身になってかわして、お返しに顎を思いっきり殴る。

 顎を殴ることで脳が揺れる――脳震盪ってやつだ。そのまま動かなくなってしまう。


「貴様! 歯向かうのか!」

「ちょっと待ってくれよ。正当防衛だって。そっちから斬りかかってきたんだろう?」


 手を挙げて害意はないことをアピールする。

 しかし残りの二人はじりじりと近づいてくる。

 よし。その隙に娘が逃げてくれれば面倒なことにならないが――


「逃げて! このまま逃げて!」


 ……今、なんて言った?

 娘は縛られてはいるが、足首までは自由だ。その気になれば逃げることもできたはずだ。

 なのにそれをせず、この俺を心配しているようだ。

 この、俺を――


「てめえ……ふざけんなよ?」


 怒りがふつふつと湧いてくる。


「……えっ?」

「誰のことを心配してやがるんだ!? ああ!?」


 思わず怒声を発してしまった。

 許せなかった。たった二人の野盗ごときに俺がやられると思われるのが、とても許せなかった。それは俺への侮辱じゃない。俺を鍛えてくれた師匠への侮辱だった。


「なんだこいつ……い、行くぞ!」


 二人の野盗が一斉に襲い掛かる――俺は一人に狙い定めた。左腕を押さえつけて、関節を捻る。ぼきりと嫌な音。あまりの激痛に叫ぶ野盗。こめかみを殴るとおとなしくなった。

 残る一人は娘の元に近寄って人質にしようとしたので、右足に仕事で使うナイフを放った。ふとももに当たったそれにはしびれ薬が塗ってあり、速効性なのでそのまま倒れて動けなくなる。


 俺は怒りを孕んだまま、縛られているエルフに近づき、縄を解いてやった。


「あ、ありがと――」

「礼なんざいい。さっさと失せろ」


 邪険に扱う。さて、こいつらにとどめを刺さないとな。


「あ、あの。これ、受け取ってください」

「ああん?」


 娘は震えながら、俺にネックレスを差し出した。


「要らねえよ。大したことじゃねえから」

「それでも、お礼をさせてください……」


 緊張の糸が解けたのか、急に倒れこんでしまった。

 思わず支えてしまった――気絶しているようだ。


「……ああもう! 面倒くせえなあ!」


 俺は娘を背負ってその場から離れた。

 まったく。ネックレスなんかに釣られるからこういうことになるんだ。

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