第16話 いまだに恋を知らないんです、ぼく。
当番制のタウン誌のコラムに、飼い犬にまつわるエピソードを書くのは、編集長はじめ編集部全員の暗黙の了解になっていた。で、今回は、俳句の季語にもなっている猫の恋ならぬ犬の恋もどきのお粗末。
*
朝、いつものように庭へ出すと、まぶしい陽光のシャワーを浴びながら、小首をかしげて無心にこちらを見ている。
少し弛んだ口もとのあたりに白が増えたようで、はっと胸を突かれる。
人間なら高齢者と言われる年齢に入っているのに、心は仔犬のまんま。
愛しい末っ子である。
この子の行動半径は、どんなに多めに見ても数キロ4方であろう。
その狭いエリアで生きている証しとして、人や犬の知り合いがたくさんできた。
どこへ連れて行っても、
――あらあら。
――まあまあ。
みなさんから声をかけていただける幸せな子である。
しかし、一方で不憫に思われてならないのは、あたら若い季節を、恋のひとつも知らずに過ごさせてしまったこと。生来がぼんやりなので、おそらく本人(犬)も知らぬ間に過ぎてしまい、気づけば、シニアと呼ばれる年代にさしかかっている。
――ごめんね、クル。
黙って頭を撫でてやるばかり。
だが、この子とて、その手のこととまんざら無縁だったというわけではない。
もらわれてきて数か月後、細い首におもちゃのような首輪をつけ、チョコチョコ歩きの散歩ができるようになると、まず気に入ってもらったのが御年10数歳、人間ならとうに80歳は過ぎていようかという、ミックスのおばあちゃん犬だった。
萎んだ顔にシワを刻んだ老犬と、ふわふわのぬいぐるみのような幼犬が、仲良く頬を寄せ合っている図というのはなかなかいいもので、1日中日の当たらない北側(いま思えば、ひどい扱いだが)の路地裏の軒下に住むおばあちゃん犬は、格段に年の離れた幼い恋人が愛しくてならない様子だった。半年後、老犬は天に召され、仔犬の初恋(?)は終わった。
そして、現在、わが犬を気に入ってくれているのはウメちゃんとモモちゃん。
どちらも茶の小型犬で、黒目がちの瞳と小刻みに動く尻尾がとてもキュート。
と言っても、あくまで飼い主の感想であるらしく、肝心のわが犬は、レディの前で喉の奥まで見せる大あくびなどしちゃって、まるで関心がなさそうなのである。
――せっかくのチャンスなのに。
恋のひとつも叶えてやれない飼い主としては、気が揉めてならないのだけれど。
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