第9話 犬のコラムに反響が寄せられました。
朝、外に出された犬は、せっせと穴を掘る。
わが労働の成果をたしかめるように、ぐいっと鼻を突っ込む。
尻を高く突き上げ、自分が掘った穴の底の匂いを嗅ぎに嗅ぐ。
こうして一心不乱に掘った穴に、大切な宝ものを丁寧に埋める。
ピヨピヨ鳴るおもちゃ、サンダルやスリッパの片方、タオルや靴下、だれのものかわからない野球のボール、隣家のおじいさんがこっそりくれたと思われる餡パンや饅頭、おやつのジャーキー、犬用ガム、骨など、なんでもかんでも隠しておく。
だが、秘密はすぐにばれる。
真っ黒な鼻がカピカピに乾いている事実を、知らぬは本人(犬)ばかりなり。
素知らぬ顔で穴のあたりをウロウロしてやると、おかしいほど慌てふためく。
上目づかいにオドオドしながら、
――な、なんでもありませんよ。
と言わんばかりに脚にまとわりつき、なんとか穴から注意をそらせようとする。
そんな無邪気がたまらなく愛おしい。
むすめたちとドドドドドと廊下を走りまわり、勢いあまって壁に穴をあけたり、得意のジャンプで服を汚したり、散歩時にはキープレフトもなんのその、先立ってグイグイ走ったり、さすがは男子といういたずらっ子ぶりが遺憾なく発揮された。
真っ赤な首輪に花柄リード。
それが真っ黒な雄犬の散歩スタイルだった。
ところで。
タウン誌の巻末に、記者が交替で執筆するコラム欄が設けられている。
振り分けられた取材先がたとえ意に染まなくても、雑誌に取り上げる以上は評価した記事を書かなければいけない宿命を負った記者たちが、唯一本音を吐露できる場だが、なるべく読者を楽しませる内容を求められていることは言うまでもない。
ある日、その欄に、犬にまつわるエピソードを書いた。
*
犬の散歩が日課である。
雨の日、合羽がわりのナイロン風呂敷を着せて歩いていると、「大変ねえ」同情されるが、わたし自身は大変だとも億劫だとも思ったことがない。愛らしく折れた耳をピロピロ揺らせて歩いて行く、そのすがたを見ているだけで幸せなのだ。
犬がいると、おちおち旅行にも出かけられないが、犬を置いてまで出かけたいとは思わない。だって、犬は大切な家族の一員であり、ひとり息子なのだから。
むすめたちがどこかで聞いて来たところによると、犬や猫など人間に馴染みやすい小動物には「かわいいの法則」というのが備わっていて、自力では生きていかれない弱い動物は、神さまがかわいらしく見えるすがたにお作りになったのだとか。
ビー玉のようにまん丸な目も、こんもりと盛り上がった4つの手足も、くるんと巻きあがったキュートな尻尾も、みんなその法則にのっとってできているらしい。
存在自体が慰めとして生まれついているのだろう。
犬の散歩の楽しみのひとつは、ご近所の方々との出会いである。
犬を介して交流の輪が広がり、ときには小さなドラマが生まれることもある。
ある日、ひとりの少年と出会った。
半ズボンから出た脚が痛々しいような、小学校低学年の男の子だった。
自転車でやって来た少年は、犬を見ると慌ててUターンして走り去った。
犬は全身真っ黒のコワモテなので、そういう目にあうことも珍しくない。
その先の角を曲がって驚いた。
さっきの少年が待っていた。
少年はかぶっていたヘルメットを脱ぐと、ぺこりと頭を下げた。
「おばちゃん、さっきはごめんなさい。この犬、なんにもわるいことをしていないのに、ぼく、逃げた」
翌日から少年は犬の行く先々に現われるようになった。
東京からの転校生であること。両親は共働きで一人っ子であること。まだ友だちができないので、いつもひとりで遊んでいること。少年はぽつぽつ話してくれた。
「ねえ、見て、見て」
少年は図画の授業で描いたクレヨンの絵を、花丸の漢字帳を、100点を取った算数のテストを自転車の籠に入れて来ては、犬の顔の前に開いて見せるのだった。
季節は過ぎ、いつの間にか少年を見かけなくなった。
――あの子、元気に学校へ行っているかな? 友だちはできたかな?
犬の散歩のとき、いまでもときどき思い出している。
*
このコラムに、珍しく読者から反響が相次いだというので「やっぱりあれよね、動物ものは強いね。うん」自身が大の犬好きの編集長はそう言って豪快に笑った。
ずっとあとのことになるが、このささやかなエピソードには後日談がある。
久しぶりに会った少年は中学生になっており、数人の友だちと一緒だった。
紺のブレザーの制服は、わたしの背丈をはるかに越していた。
「おばちゃん、あのときはありがとう。人も犬も、信頼関係が大切ですよね」
この春高校へ進むという少年は、そんな大人っぽい言葉を残して立ち去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます