第8話 タウン誌の契約記者にも悩みがありまして。

 



 

 連休明けのパチンコ店は、まさに「兵どもが夢の跡」だった。


 店中どこもかしこも汚れきっていて、玉が出ない苛立ちを押し付けられた灰皿から無秩序にこぼれた吸殻や灰が至るところに飛散しているが、そんなことはまったく考慮されず、いつもどおりの時間内に完璧にきれいにしなければならない清掃員は、第一線の兵士のごとく目を血走らせて、広い店内を走りまわることになる。


 大入満員の大盛況だったんだから、日々の営業を支える清掃員にも金一封ぐらい出してもらってもいいところだが、そんな不満はだれひとりおくびにも出さず、


 ――ほんとにありがたいよね、お店が儲かるおかげで、こうしてうちらもごはんが食べられるんだからさあ。お店と会社に心から感謝しなきゃあ罰が当たるよね。


 自ら会社を代弁してみせる金髪ネエサンに、互いにうなずき合うばかりだった。


 

       *



 いつもの倍の大汗をかいて帰宅すると、車の中でエプロンを外す。さもないと、狂喜乱舞したクルが飛びついて来るので、パチンコのばい菌がうつりそうで怖い。


 生後間もなくやって来たときは、わずか数センチの菓子箱のへりを越えることもできなかったのに、生来の生命力に恵まれていたのか、日ごとにずくんずくんと大きくなり、いまや体調50センチ、体重15キロの立派な中型犬に成長していた。


 家族がいない昼間、犬は外にいる。

 赤い屋根の小さな小屋には、


 ――クルの家。


 むすめたち手作りの表札を掲げた。


 近所のみなさんが通りすがりに声をかけてくれたり、ときには庭に入って来て撫でてくれたりするので、部屋にひとりで置くよりさびしくないだろうと判断した。

 

 いまを盛りの若犬のあり余るパワーに押され、ひとしきり遊んでやると、

「かあさん、またお仕事に行ってくるからね。お利口に留守番していてね」

 言い聞かせておいて家に入り、さっとシャワーを浴びてスーツを着る。



 いつものことながら、清掃員からタウン誌記者に変身する瞬間は気合いが入る。


 本当は記者1本でやっていきたいのだが、地方の中堅都市のタウン誌経営も楽ではないようで、正社員は編集長以下数人の内勤者だけ、20人ほどいる外まわりの記者は、掲載記事1本につき5,000円から1万円で雇われた契約スタッフである。


 今日の取材はいささか気が重かった。相手は編集長の古い知り合いだそうだから取材も執筆も緊張するが、かと言ってあまりにも露骨な提灯記事は書きたくない。


 いくら清掃作業員で糊口を凌いでいても、いや、むしろ、であればこそと言うべきか、ライターの末席に連なる身として、最低限の矜持は確保しておきたかった。


 今回の取材を自分に割り当ててくれた編集長も、そのあたりの微妙なスタンスを買ってくれているものと思いたい。


 気が重いもうひとつの理由は、取材先がボランティア団体ということにあった。


 一見こぎれいな印象を受ける各種非営利団体は、金銭で割りきれるビジネス世界とはまた別種の、各界を渡り歩いてきた海千山千のメンバーの思惑や名誉欲が複雑に絡み合った、面倒な事情を抱えていることを、すでに何度か経験して来ている。


 取材中に思わぬ横槍を入れられたり、現会長と前会長、前々会長の不仲や派閥を知らずに書いた記事をかざしたシニア男性連に、大声でねじ込まれたこともある。


 宥めたり煽てたりして、その場を巧みに収めてくれた編集長は、「気にしなくて大丈夫よ。現役引退世代には往々にしてあることだからね」あとで慰めてくれた。

 以来、ひとまわり年上の編集長はひそかな憧れであり、はるかな目標となった。


 車に乗り込むとき、犬はつながれた鎖をピンピンに張って引き留めようとする。


 ――ぼくを置いて行かないで、かあさん! ねえ、かあさん、かあさんってば!


 乳飲み子のころ引き離された母犬を呼んでいるような、なんとも哀切な鳴き声。


 高校に進んだ姉むすめは弓道部、中学生の妹むすめは吹奏楽部の練習に忙しく、

「ね、お願い。散歩もごはんも、世話は全部わたしたちがするから、ね、飼ってもいいでしょう?」ふたり揃ってのしおらしい約束はとっくに反故にされていたが、試験前など早く帰宅できた日や休日には、交替で犬を散歩に連れ出してくれた。


 夜は玄関先の犬つぐらに丸まった犬に頬ずりし、「わあ、いい匂い。クルは玉子やきの匂いだね」うっとりと頭や背や腹を撫で、抱き上げ、寄り添い、ときには2人と1匹で廊下を追いかけっこしたりして、じつの弟のようにかわいがっていた。

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