第7話 何事も自分との折り合いが大切です。





 ところが、一難去ってまた一難、今度は別の問題に直面することになった。

 同じ班の先輩より早く作業を終えると、なんとも不快な表情をされるのだ。


「どう考えたっておかしいよ。昨日今日の新人があんなに早いはずないもの。見ていないところで適当に手抜きしてるんじゃないの? あんた、ちゃんと教えた?」

 いやみを言われた先輩が駆け寄って来て、新人の拭いた台を丹念に点検する。


「なあんだ、完璧にできてるじゃないの。いやになるよね、いい歳して、ほんと、みんな嫉妬深いんだから。そんなこと、いちいち気にしないでいいからね」

 慰めてくれたが、全員とうまくやらねばならない新人としてはそうはいかない。


 学んだ新人は、翌日から、自分の列が早く終わりそうなときは、最後から数台前の遊技台を必要以上に丁寧に拭き、終了時間を遅くする工夫をすることにした。


 ――この新人、けっこうやるじゃん。


 とでも思ったのか、

「どうもすみません」

 そのつど丁重に頭を下げてみせるが、いままでの新人たちのように目を赤くしたり、仲間のところへもどって不満を訴えたりしない新人はいたぶり甲斐がなかったのか、コスプレ小娘からの強烈な駄目出しも、日ごとにトーンダウンしていった。


 ところが、さらなる試練が待ち受けていた。

 この職場では1日わずか2時間しか働かないのに、労働基準監督署のお達しで、月に20日以上勤務してはいけない規則になっており、そこに担当部署のシフトや個人的な事情も加わり、たまたま、くだんの先輩が3連休に入ることになった。


 ――きびしくはあったものの、根は親切な先輩がいなくて大丈夫だろうか。


 新人の不安は的中した。

 この機会を狙っていたのか、金髪ネエサンと仲間の先輩のいびりが始まった。

 ふたりのうちのどちらかがぴったり張りついて、作業ごとにNGを出してくる。


「ちがう、ちがう、そうじゃない! まったくあの人はなにを教えたんだろうね」

「いい? よく見ていてよ。こうしてこうしてこうしてこう。ここでぐるっとまわして、最後はここにぐっと力を入れて拭きあげる。わかった? さ、やってみて」

 昨日までとまったくちがう手順を強要されても、新人は混乱するばかりだ。


「だからぁ、そうじゃないんだってばぁ!」

「さっきも言ったよね? そこはそうじゃないって。同じことを言わせないで!」


「そこから入るんじゃなくてこっちからでしょ。でなきゃ効率がわるいでしょう」

「あのねえ、何度言えばわかんの? いい加減、こっちもやになるんですけどお」


 言葉の棘がいちいち突き刺さる。

 しかも始末のわるいことには、ふたりの手順も微妙にちがうのだ。


 ――いったいぜんたい、どれが正しいやり方なの?


 3人3様のやり方を強いられた新人は、ほとほと困惑する。


 ――これじゃあ、いくら募集しても人が居つくはずがないわ。


 だいたいからして、現場に責任者も置かない会社の管理がなっていないと思う。

 タウン誌の取材で、各種企業経営者にもインタビューする新人はひそかに思う。


 会社としては主任に任せているつまりかもしれないが、ほとんど顔を見せたことがないチーフなど、あってなきが如きもの。自分が社長だったら、なぜ人がやめてしまうのか、自ら問題の根本原因を究明し、即刻しかるべき手を打つだろう。


 その際、頭ごなしに古参を叱らないことだ。

 叱る前にまず感謝があって然るべきだろう。


 いまどき高校生バイト並みの安い賃金で重労働に励み、確実に会社に利益をもたらしてくれた古参スタッフには、精励賞などの賞状に、たとえ記念のタオルかボールペン1本でも添え、いままでの貢献の労を、きちんと、そして心からねぎらう。


 それも社長自らの手で。


 そうでなければ、降りやむことなき落ち葉のように鬱積し続けた古参の不満は、必ず弱い立場の新人に向けられる。


 活字の校正と同じく、清掃というアンカーの仕事は1点の誤りもなく完璧にこなして当たり前、どんな過酷な条件であろうとも、ほんの少しのミスも許されない。


 あらゆる仕事に必要な、褒められたり感謝されたりが決定的に欠けている。


 パチンコ店から清掃を請け負うビル管理会社の経営者として、その点を十分にフォローする必要があるのに、現状ではホストあがりの主任に丸投げではないか。


 半人前のバイトがこんな不遜を考えているとは、だれも思わないだろうが、金髪ネエサンやメガネ先輩たちに、内心では少し同情もしている不届きな新人だった。


 休みが明けて復帰した先輩にそのことを報告すると、

「やっぱり? いつもそうなんだよね、あのふたりは」


 メガネの奥の目を窄めたが、つぎの瞬間には、さっと保身にまわっていた。


「そんなこと気にしないでいいよ。ここでやっていくには、今日あったことは店を出たとたんに忘れること。わずか2時間の我慢だと思えば、どうとでもなるよね」


 ――仕方ないよね、だれしも自分が大切なんだから。


 新人は再び同情した。


 持病の慢性腱鞘炎。

 やはり持病の腰痛。

 強い光による飛蚊症。


 折り合いをつけながら、新人はいつの間にか古参の仲間入りをしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る