昭和の始め・れい子・はつ恋
「・・・・。」
いま、私は、とても動揺している。
目の前で、私が将来結婚する相手が座っているのだ。
長身の、立派な青年というのだろうか。大人の、男の人だった。
いつかの、外国の写真でみたような、波のようなねじれた髪。
黄土色の背広に、赤いネクタイを着けていた。
お兄様も似たようなものをよく着ているけれど、この人の方が似合っていると思った。
端正な顔立ちの男の人だった。
女学校を卒業したら我が家とつながりのある、家に嫁ぐ事は、子供の頃から聞かされていた。
とはいえ、いきなり、この人と結婚しますよ、なんて相手を連れて来られると、いくらなんでも、とても動揺する。
助けて、と妹に目線を送りたい気分になったが、いじわるなのか、妹は部屋から出てこなかった。
私が、結婚する前に会っておきたい、と言ったから、昼から相手を連れてくるのだと、お父様から今朝聞かされたばっかりで、私は朝から仰天していたのだ。
そして、その昼間、本当にその人は来た。
旦那様、大胆な事なさるわね~と、わざとなのかお手伝いの冴さんと美代さんの大きなひそひそ声が聞こえる。
私は母にくっついて、母の手を握りたくなったが、お客様の前でそれは出来なかった。
めったに入る事のない客間に通され、コーヒーが運ばれてきた。
いつ置かれたのか、薔薇の花が窓の所に飾られていた。
ほおが熱くなるのを感じ、私はその人と、ほとんど目を合わせる事ができなかった。
でも、父が娘のれい子です。といってくれたおかげで、一度だけ、その人の顔をちゃんと見る事ができた。向うは私を見てどう思ったのだろうか。その一瞬では、向うの表情は何も分からなかった。
「はじめまして。れい子です。」
私はその人の瞳を見つめたまま、会釈をした。初めまして、と言い終えた後もその人から目を離すことができなかった。
「こちらこそ。高野 宏俊です。」
タカノヒロトシ。。。
私は、心の中でその名前を胸に刻んだ。
私がそこにいるにも関わらず、おもに話をしたのは、タカノさんはお父様とばかり話されていた。タカノさんの留学の話と、仕事の話で、私にはちっとも分かる話ではなかった。
悔しかった。
もっと、うまくできると思っていたのに、どうしてだろう。
はじめましての声も上ずって、名前もちゃんと言えたか分からなかった。
友達だったら、本や着物の話や犬の話をするのに。
素敵なひとだったのに。
向うは私をみて、さぞやがっかりした事だろう。
それでも。
私は、裏口から抜けだして、両親が家に入ったのを見届けた後、タカノさんを追いかけた。
「あの!!。」
タカノさんが人込みに紛れてしまう前に。
「すみません!。」
近所で田舎からの露店と、催し物がやっているのか、今日に限って人がとても多かった。
私はその間を縫って走る。ヒロトシさんに。まっすぐに。
思えば、初めて会った時から、私はこの人が遠くに行ってしまう気がした。
いや、実際は「逆」だった。
「ヒロトシさん!!!。」
だから。名前を思い切って呼んでみて。振り返って。
私はほっとして。
少しでも永く、この人の目に映りたいと思っていた。
「今日は会いに来て頂いて、ありがとうございました。」
ヒロトシさんは、私の姿を認め、ああ。と私に向き直って、改めて頭を下げてくれた。
私は、やっとヒロトシさんの顔をちゃんと見る事ができた。
「あの・・・これ、受け取ってもらえませんか。書いたんです。手紙。」
やっと差し出す事が出来た。
「初めて会うし、ちゃんとお話しできるか分からなかったから。手紙を書いて渡そうと思って。だから。」
ヒロトシさんに会って、この手紙を書いて、良かったと私は心底思った。
たとえ中身が、はじめましてだとか、私は麗子ですとか、あなたの事を教えて下さいとか。そういう、ありふれた、内容でも。この人に伝えたい。と思った。
ヒロトシさんは、へぇ、、と言って、それを受け取った。そして、目の前で手紙を広げ目を通すと・・・手紙を目の前で読まれてひとりで恥ずかしくなっている私に、こう言ってくれた。
「お手紙。とても嬉しいです。僕も返事書きますね。」
それだけ言って、背を向けた。
そして、私はヒロトシさんを好きになったのである。
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