第八章 ついに上洛 天下布武でござる
104 天下布武とお市の縁談
稲葉山城に入城した。
城郭の修復と焼け落ち灰となった城下町を再建するため、佐久間信盛を造作奉行に任命する。
四散している町人に触れをだし、戻り城下町に住むことを命じた。そして家屋を再建する者には、材木、釘などを無償で与えると宣言する。
美濃の地侍には、ぼくに服従を誓い直臣となる者に対しては、所領を安堵すると宣言する。
当時、商いをする者は、寺社、公卿の「座」という組織に入らなければならなかった。商人は座銭を支払わなければならなかったのである。ぼくは、この従来の制度を加納市場において廃止させた。いわゆる「楽市、楽座」である。同時に、加納市場においては、商人がもっとも恐れていた「徳政令」を発しないことも併せて宣言した。
そして、中国の故事にならい、稲葉山を岐阜、稲葉山城を岐阜城と改めた。
岐阜城大広間で、家臣団と共に永禄十一年(1568)の年始の祝賀を終えたあと、ぼくは書院に五人の仲間を集めた。
上洛に向けての作戦会議である。
蜂須賀小六が、車座の中に尾張から京に至る絵図面を広げた。
ぼくは質問する。
「上洛にあたっての障害は何か」
「明らかな障害が三つございます」小六が口火を切る。
「一つは、上洛経路にある浅井領における安全の確保でございます。二つはその先にある六角の領地での通過でございます。最後は攻め落とせなかった北伊勢の山路弾正でございます。六角と山路は協定し、われらに歯向かうやましれません」
「浅井とのことは、市橋長利(ながとし)に命じておる」
「浅井長政さまは、なかなかの人物でございます。殿が朝倉と犬猿の仲であるのを御存じなのでございましょう」帰蝶が口を挟んだ。
「家臣どもが、織田方との同盟に反対していると聞いております」
「朝倉とは、われは何とも思っていないぞ。西美濃の三人衆が領地が接しているため、争いがつきぬだけだ」
「それなら、朝倉とは争わぬと、宣言されたらいかがです」
「ウム……。仕方あるまい。そのようにいたそう」
後に、信長が朝倉を攻めて散々なめにあっているのを、ぼくは知っている。なんとも、その約束は気だるい。だが、今はやむを得ないであろう。上洛が最優先の課題だ。
「この際、長政さまとの縁組を結ばれたらいかが、と」太田牛一が持論を持ち出した
「妹君のお市さまは、いかがか、と」
「市は、われを嫌っておる。弟の信行を殺めたからだ。この岐阜城にも来ないではないか」
「長政さまは、おなごに優しく、まれにみる美男子と聞いております。一度、会わせてみたら、いかがかと思われますが」
「ウシよ、そなたが説得にいくか」
「われより、柴田殿が適任かと。二心のない柴田殿なら、お市さまは首をたてにふるやもしれませぬ」
「市は美しきおなごとの評判だ。長政も一目ぼれするやもしれぬな」
ぼくは笑った。
「イヌよ、勝家に、われの話を伝えてまいれ」
「はっ」
「殿、北伊勢攻めはいつになされますか」
小六が訊いた。
「来月、早々には。片づけねばなるまい」
「ならば、その際近江の小谷城に寄り、同盟の話を進められたらいかがか、と。お市様も、お連れになって」
小六はそう言ってから、ぼくを見詰めて笑みを浮かべた。
「うん、それで、よかろう」
ぼくは即答する。
「六角を率いておるのは、何者だ」
「六角義賢(よしたか)さまにございます。今は嫡男義治さまに家督を譲って剃髪し隠居しております。しかしながら、今もなお、実権を握っておりまする」
藤吉郎秀吉が答えた。
「歳はいくつであるか」
「四十七歳と聞き及んでおります」
「なにやら、面倒くさい男のようであるな。われも、見習わねばなるまい」ぼくは声を出して笑った。
「そろそろ、引導を渡してやろうではないか」
二月一日、ぼくは北伊勢侵攻に立ち上がる。
美濃を落とし、四万の軍勢を揃えた自信満々の出撃である。
出撃の前に、ぼくは新たな朱印を作った。朱印とは、書類のサイン(花押)の代わりに捺印として使うものである。朱印には、「天下布武」と記した。ぼくの、天下に向けての宣言である。
ちなみに「天下」というのは、日本全国をさしているわけではない。京を含む五畿内のことをいうのである。五畿内とは、山城国、摂津国、河内国、大和国、和泉国の令制五か国のことである。
それに、「布武」とは、武力をもって治めるという意味ではない。「武」というのは、武徳のことを指すのである。
岐阜城の大手門前に勢ぞろいした四万の軍勢の前で、ぼくは大声で宣言した。
「われは、天下布武を目指す」
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