68 我が軍は千五百、敵は六千 森部の戦い(1)

 

 木曽川を渡ったのは四度目である。

 一度目は義父斎藤道三救出のため、二度目は桶狭間の戦いの直後の六月、三度目は二か月後の八月である。この戦、三度とも負け戦であった。


 五月十二日早朝、ぼくは近習の兵三名、権蔵と共に拳母城を発ち清州城に向かった。


 清州の大広間に配下の武将を集め、直ちに美濃に侵攻する命令を下知した。この命令に異議を申し立てたのは、林秀貞ら宿老たちであった。その理由は、義龍の葬儀が終わらぬうちに攻めたという風聞が広まれば、ぼく信長の品格に傷がつき、以後信用を失墜させるもとになる、というものだった。


 ぼく信長には、幼きころより品格など何一つ備わっていなかった。ただ勝つことに専念し、勝ことによって信用を克ち得てきたのだ。

 

 それら宿老たちの異議に耳をかさず、ぼくは夜半過ぎに千五百の精鋭を引き連れて清州城を出立した。拳母城の戦で奮戦した鉄砲隊千は、まだ清州に戻ってきていなかった。おそらく西美濃に侵攻するころには、合流できるであろう。


 五月十三日、早朝、長良川を渡り、勝村という美濃の地に布陣した。

 兵数は千五百と少ないが、今まで激戦を勝ち抜いてきた一騎当千の強者どもである。すべての兵が戦の駆け引きを熟知している。

 騎馬武者には、柴田勝家ほか、丹羽長秀、滝川一益、池田恒興、佐々成政、森長可そして前田利家。力で押して押して、押しまくり、美濃勢を力で押しつぶす算段である。


 美濃の当主斎藤龍興は義龍の嫡男である。いまだ十四歳の若輩である。彼の名代となったのは、侍大将の長井利房、日比野清実である。


 翌日五月十四日、ぼくは軍を稲葉山城に向かって北上させた。その途中三キロ地点に墨俣砦がある。物見の知らせによると、その砦に美濃勢六千が陣立てしているという。


 ぼくはさらに墨俣砦に向かって軍を進める。

 美濃軍も砦を出、南下してきた。

 森部にさしかかる頃、雨が降ってきた。なんという幸運、桶狭間の戦以来、雨は織田軍の守り神なのである。兵の士気は大いに高まるであろう。


 雨の中、数百メートル先に美濃の密集軍団が見えてきた。

「殿、大軍でございます」馬上から太田信定が話しかけてきた。

「敵はどう出てきますか」


「そなたが美濃軍の指揮官ならば、どういたす」

「織田軍が思いのほか少数なので、思案いたすでありましょう」

「ウム……」


 美濃の軍は、われらの軍の四倍の兵力。

 おそらく、策略を巡らせて、一挙に勝負をつけにくるであろう。その陣形はおそらく鶴翼の陣。密集軍団のわれらの軍を取り囲んで、殲滅作戦にでてくるであろう。


 ぼくは密集集団のまま、美濃軍の出方を待った。

 やがて、美濃軍は横に広がりだした。鶴は羽を伸ばした形、鶴翼の陣である。軍を指揮した者であるならば、考えることは同じだ。


 ぼくは千五百の兵の前に出た。

「皆の者、よく聞け。天はわれらに味方したぞ。空を見よ。雨足がますます激しくなってくる。敵はわれらの四倍の兵力であるが、その多くは、農民兵である。白兵戦に持ち込めば、われらの敵ではない。徹底的に叩き潰すのだ」

 おー、と歓声が上がった。

「これより、五百ずつ、三つの軍団に分ける。攻撃するは、真正面にいる敵のみである。何が何でも、突き破れ。三軍による波状攻撃で、中央を突破するのだ。その先に勝利があるぞ」


 直ちに陣立てを、一陣、二陣、三陣の三軍に編成する。

「池田恒興は、おるか」

 ぼくは大声を上げる。

「おー」

 馬を駆って恒興が目の前に現れる。


「そなたが、先陣を務めよ」

「はっ」

「佐々成政、そなたは、第二陣を務めよ」

「はっ」

「森長可、そなたは、第三陣を務めよ」

「はっ」


「よいか、鶴翼の頭に向かって、次から次と新手を繰り出し、突き破るのだ」

 ぼくは絶叫する。

 おー。雨しぶきの中に、怒涛のごとき歓声が響き渡る。


 柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、前田利家を呼び寄せた。

「そなたたちは、先陣に加わり、思う存分、働くがよい。鶴翼を討ち破った先には、敵将長井利房、日比野清美、それらを守る足立六兵衛、神戸将監ら猛将がおるぞ。敵将を討ち取れば、美濃軍は総崩れになること、間違いなし。」

 ぼくはそう言って、四人を見回した。

「よいか、心して、かかれぃ」


 ぼくの周りに控えているのは、太田信定、蜂須賀小六、木下藤吉郎の三名だけである。


 美濃の鶴翼の壁が雨の壁を突き破って迫ってくる。

「全軍、配置につけ」

「おー」


 「おしつぶせっ」

 ぼくは長槍を振り上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る