第四章 いざ桶狭間

37 三万対三千、どうやっても、勝てっこないじゃん 桶狭間



 戦国時代に転生して十一年経った。

 最近分かってきたことがある。ぼく信長が積極的に行動を起こさなければ、歴史は動いていかないということだ。

 

 と、言うことは、ぼくが今川に対して積極的に行動を起こさなければ、桶狭間の戦いは起きないか、もっと先になるのかもしれない。1560年に桶狭間で戦が始まらなければ、1582年に本能寺まで辿り着かないのかもしれない。

 今川との戦に怯えている場合ではない。


 岩倉城攻略を終えた1559年の五月まで、ぼくは素っ破等から忍びの術を学び続けた。そして三河の絵地図をながめ、バックの中の史料を何度も読みあさった。特に信長公記の「鳴海城包囲」と「桶狭間の合戦」のページは穴が開くほど何度も読んだ。今川に勝利する秘策など記されているとは思えなかった。あの歴史的な勝利は、ただ運がよかったということだけだろう。この信長公記は信定(ウシ 牛一)が書き綴ったものだ。だが今彼に問い質しても意味のないことだ。


 年表によると、桶狭間の戦いは1560年五月。残すはあと一年である。


 ぼくは大広間に五人の仲間を集めた。各自に今川対策の宿題を出していたのだ。それを聞くためだが、同時に影武者に会わせてみることにした。藤吉郎、利家、信定には、影武者をまだ会わせていない。気付くかどうか試してみるのも一興である。


 隣室の襖の陰で、ぼくは大広間を覗いている。このような遊びは今まで味合ったことがない。心が躍る。大広間には、既に藤吉郎、利家、信定、そして小六が控えている。


 影武者の太田喜八が帰蝶を伴って入ってくる。

 ウム、なかなか様になっているではないか。ぼくは笑いを堪えた。前もって喜八に何度も段取りの指導をした。その通りにできるかどうか、見ものである。


「ご苦労である」

 喜八はそう言って、四人を見回す。四人はいつものごとく、額を床に擦りつける。

「前もって伝えておる、今川対策を申してみよ。サル、そなたからだ、どうだ?」

 藤吉郎は顔を上げ、喜八を見詰めた。一分ほど見続ける。拙い、気付いたか。

「殿は風邪をひかれておられますか」

「風邪気味だ。ときどき、咳が出る」


 藤吉郎が背筋を伸ばした。

「敵軍の総数、三万から四万、今まで見たこともない、大軍でございます。対策の第一は、我らの軍との、戦力差をどう埋めるかでございます。ここは、奇襲作戦しかござりませぬ。そのため、綿密な情報網を三河の地に敷きます」


 喜八は咳をした。そして茶をすする。うん、なかなかいい。

「イヌよ、そなたは、どうだ」

「今川の先陣を切るのは、松平でありましょう。戦わずして、攻略する術を考えなければなりませぬ。ここは、もう、殿の出番としか、申し上げられません」


「ウム……。ハチ、そなたは、どうじゃ?」

 小六の顔に笑みが浮かんだ。まずいではないか。小六は喜八の指南役なのだ。

「ここは、もう情報戦しかありません。素っ破を総動員して、今川勢を混乱させる大胆な作戦を立てるしかありませぬ」


「ウシよ、そなたは、どうじゃ、名案はあるか」

「ありませぬ」信定は大真面目な顔で言い切った。

「三万対三千、どうやったとしても、勝てるはずがありませぬ」


 ぼくは襖を開けて大広間に入り、喜八の後ろに立った。

 藤吉郎も、利家も、信定も、目を丸くしてぼくを見上げる。帰蝶が腹を抱えて笑いこけた。

「この者は、われの影武者だ。まんまと騙されおって」

 緊張感がほぐれ、全員に笑みが溢れた。


「喜八よ、戻ってよいぞ」

 喜八が廊下に去って行く。

 ぼくはその場に胡坐をかいた。

「これは、という、妙案はないものだな」

 ぼくは全員を見回す。


「われの令和の時代では、このような時は、こう申すのだ。三万対三千、どうやっても、勝てっこ、ないじゃん」

 ぼくは声を出して笑った。

「この城は、影武者と帰蝶に任せる。われら、五名は、明日早朝、三河に向かって出立する。すべての情報を集め、分析し、対応策を考えるのだ」

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