34 岩倉城で兄弟喧嘩を仕掛ける 浮野の戦い



 その年1556年は、晩春から夏までの間、ぼくは藤吉郎、小六と共に生駒の屋敷に住み込み、カナデら素っ破と共に忍者修行に励んだ。信長は今でいうところのスポーツ万能選手である。子供の頃からの鍛錬で肉体は逞しく鍛えられ、運動神経にも恵まれている。


 忍者修行は人間関係、精神力を身に付けることを主となる訓練であった。特に農民、商人になりすまし、情報を取得することに長けることが、訓練の中心であったと言っていい。日頃から、麻の着物を尻まで捲し上げ、ふんどしを垂らして過ごした。これがなかなか気持ちの良いものなのだ。


 夜は吉乃と息子の奇妙丸と過ごした。

 信長の魂と肉体は大満足であった。おかげで、ぼくは昼も夜も安らかに過ごすことができた。これで戦がなければ申し分ないのであるが。


 六月の下旬、ぼくは昼間から小六と生駒家に居候している浪人たちと酒を飲んでいた。そこに藤吉郎が現れた。ぼくは藤吉郎に上四郡の情勢、とくに犬山城の織田信清の動向を探らせていたのだ。


 犬山城は信長に敵対している岩倉城主織田信安の傘下にあった。信清は信長とは従兄弟の間柄である。彼は信長の姉を娶っていた。信安を攻め落とすには、信清を味方に付ける必要がある。


 ぼくは藤吉郎、小六と共に、いつも吉乃と過ごす寝間に入った。ここは、誰にも密談を聞かれることはない。

「殿、岩倉城に不穏な動きがあります」藤吉郎は車座になるとすぐ言葉を発した。

「以前から長男の信賢と次男の信家は仲が悪いという仄聞がありましたが、これが火を噴きそうなのです。信賢は武闘派、信家は策略派であることは、殿もご存じですね。父信安は、反抗的な信賢より素直な信家を可愛がっていると、もっぱらの評判です」


 ぼくは思わず身を乗り出した。

「面白いな」

 信長と信行の関係に似ている。父信秀は長男である信長を後継者に指定し揺らぐことはなかった。家を真っ二つに割る騒動に発展しなかったのである。


「サル殿、犬山城のほうは、どうなっているのだ」

 小六が少し苛ついて言った。

「織田信清さまは、殿と岩倉城を測りにかけております。勝ち目のある方に味方する、つもりでありましょう」


「そうか、信清も、肝の小さな男だな」ぼくは腕を組んだ。

「サル、ハチ、岩倉城の兄弟を喧嘩させる方法はないか」


「ここは、もう、殿の出番でございます」藤吉郎が言った。

「殿が信清さまに、上四郡を任せるとお伝えするのがよろしかろう、と」

「面白い」

 ぼくは膝を叩いた。


「信清さまが兄の信賢さまを支援するという風聞を、岩倉の城下にたてさせなければなりません。このことを認めることが条件だと、殿が信清さまを諭すことが肝要か、と」

「何がなんでも、兄弟喧嘩をさせる、のか。ここは、素っ破の出番ですな」

 小六は頷いて、言った。


「よし、それでいこう。やってみる価値はある。サル、ハチ、信清との繋ぎを入れてくれ」

「畏まりました」

 二人は同時に頭を垂れた。



 上四郡を任せるという甘い餌に信清はとびついた。

 ぼくは素っ破、生駒家の配下、居候たちを使って、信清と信賢との同盟の噂を少しずつ、慎重に、密かに流し続ける。

 ここは、もう、どちらが勝ってもいいのだ。その混乱に付け込んで、岩倉城を攻めたてるだけだ。


 七月になって吉報が届いた。

 兄妹喧嘩どころか、岩倉城主織田信安、次男信家対長男信賢との戦いが勃発したのだ。これは想像以上の成果であった。

 決着はすぐついた。長男信賢の圧倒的な勝利となったのだ。

 これは岩倉城の将兵たちが、主君信安の優柔不断な態度に嫌気をさしていたからにほかならない。


 ぼくは清州に戻り兵を上げた。

 岩倉城織田信賢討伐の号令を上げた。主君に謀反を起こすとは、戦国武将として言語同断であるというのが名目である。


 ああ、遂にぼくも悪知恵が働く小者になってしまったか。でも仕方あるまい。何が何でも戦国を生き延び、1582年天正十年の本能寺まで辿りつかなければならないのだ。

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