35 岩倉城信賢を追い詰める 浮野の戦い 



 

 七月十九日、ぼくは岩倉城から北西三キロほどの地点浮野街道に布陣する。ここ浮野を選んだのは、何度も下見した結果だった。北東の方角に犬山城がある。浮野に進軍してくる織田信賢軍を信清軍と協力し東西から挟み打ちにできるからだ。


 我が軍は兵数二千、信清軍は千、連合軍は併せて三千である。

 今まで戦ってきた戦のなかでは、余裕のある布陣だった。


 翌二十日、信賢は兵を率いて岩倉城を出立、浮野に進軍してくる。我が軍は三段構えで敵を向かい打つ。両翼に鉄砲隊を並べ、敵の進軍に備える。

 午前九時を越えたころ、信賢軍は我が軍の五、六百メートル先に陣形を整えた。今まで見たことのない陣形だった。

「かくよくの陣形です」信定(牛 ウシ)が言った。

 鶴翼の陣形、その意図するところは何か。


「この陣形は、守りの陣形です。我らの軍を中央に誘い込み包囲する作戦です。そして両翼からの攻撃にも備えた構えです」

 なるほど鶴が翼を広げた形をしている。ぼくが三河野原で戦った戦法に似ているではないか。


「信清は、犬山城を出たか」

「いえ、まだ知らせが入っておりませぬ」

 信定が答える。

「サルはどうしておる」ぼくはイライラして怒鳴った。

「まさか、ここにきて、信清、われを裏切る腹ではあるまいな」

 もし信清が信賢についたとしたら、四千対二千の戦いになってしまう。


「信清さまが裏切るという情報は入ってはおりませぬ」帰蝶がぼくに耳打ちした。そして少し間をおいて話を続ける。

「清州と岩倉の戦いの行方を見ているのかも……。そして、有利なほうに付くという心積もり……なのかもしれませぬ」

 ウム、さもありなん。


 我が軍の将兵たちは、いずれも百戦錬磨の戦国武将たちである。それに対し、信賢軍は戦に揉まれていない。一旦戦いに入れば、我が軍は士気上断然有利に展開するはずだ。


「侍大将を集めよ」ぼくは配下の近習に命令した。

「ウシよ、われらも、鶴翼の陣形を取ろうではないか。ここはもう肉弾戦でいくしかあるまい」

「鉄砲隊はどうされます」

「陣形の後ろで百人ずつの横並び三段構えにする」


 侍大将がぼくの前に集まった。

「歩兵部隊は八百ずつ両翼に厚く陣を張れ。われの合図と共に、前進し、敵の翼に向かって襲いかかれ。騎兵隊百は中央に位置せよ。鶴の頭に隙間が空けば、その奥にいるはずの、敵将に襲いかかれ」

「承知」

 侍大将から声が上がる。


「鉄砲隊三百は百ずつの三段構えで、騎兵の後ろに陣を張るのだ。騎兵の後ろに身を潜めて、共に前進し、射程距離に敵が接近してきたら、間髪入れず撃ち続けるのだ。よいか、この戦は鉄砲隊を守る歩兵はいないぞ。自分の身は自分で守れ」

「承知」

 侍大将から声が上がる。

 

 何事も、迅速さが肝要だ。敵に対応策を考える余裕を与えてはならないのだ。


「陣を張れ」

 ぼくは大声を上げる。

「おおーっ」

 歓声が上がる。


 瞬く間に陣形が整った。


「かかれっ」

 ぼくの声が悲鳴のごとく鳴り響き、戦場を覆った。

 我が軍は歩兵が長槍を構え先頭に立ち、敵陣に進んでいく。



 長槍歩兵が、敵の両翼に襲いかかり、血みどろの戦いが始まった。

 一進一退を繰り返す。

 思った通りだ。鶴の頭の後ろに、敵将信賢がいるのだ。だから我が軍の騎兵隊を目の前にして、中央の歩兵が両翼に回れないのだ。鶴翼陣形の弱点は、大将を討ち取られる可能性があるということなのか。


 白母衣武者が馬を飛ばしてくる。

 ぼくの前で下馬すると、大声を上げた。

「信清さまの軍、犬山城を出立いたしました」

 信清め、今頃出てくるか。ぼくは口惜し気に呟く。信清が来た時には、我が軍が有利になっていなければならない。それが戦の駆け引きというものだ。


「鉄砲隊、前に出よ。鶴の頭を撃ち続けよ」

 鉄砲隊が騎馬武者の前に出、三段撃ちを始めた。敵は前に進んで来ない。じりじりと後退していく。


 膠着戦が三時間ほど続いた。


 敵陣の後方に信清の旗印が棚引いた。

 敵陣にどよめきが上がる。そして後退を始める。

 信清軍が信賢軍を攻撃し始めたようだ。目の前から敵軍の兵たちが消えていく。


 信清の伝令が馬をとばしてくる。

 下馬し片膝を付けてぼくを見上げる。

「わが主、織田信清が只今戦陣に加わりました。遅くなって申し訳ないと申していた、と大殿様に伝えよとのことでございます」

「承知。援軍有難き、と信長が申していたと、主信清に伝えよ」

「畏まりました」

 伝令は馬に跨ると、戻って行った。


 信長信清連合軍は、信賢軍を岩倉城まで追い詰めた。敗退したといえ、敵軍は壊滅したわけではない。多くの将兵は温存されている。

 何が何でも、ここで信清軍に徹底した致命傷を負わせておかなければならない。ぼくは帰蝶が提案した奇策を受け入れた。


 ぼくは信清を本陣の天幕に呼んだ。

 信清は紅潮した顔で現れた。

「信清殿、勝利まであと一歩でござる」

 信清は大きく頷く。

「信清殿は信賢無き上四郡を治めるために、兵を温存しておかなければなりませぬ。後はわれに任せられい」

 信清は目を剥いてぼくを見詰めた。

「兵を引いてもいいと申されるのか」

 ぼくは笑顔を見せて大きく頷く。

「後はわれに任せられ」


 信清は兵を引き犬山城に戻って行った。

 天幕を片付け撤退準備を進めるように、ぼくは大声を上げる。そして兵を後方に下げた。

 

 一時間ほどして、思っていた通りの事態が起こった。

 信賢軍が退く信清軍を追撃し始めたのだ。


 ぼくの顔が笑みで膨れ上がった。

「信賢め、餌に食いつきやがった」

 それにしても、帰蝶、策士だな。ほれぼれする。


 信賢軍の背後に向かって、ぼくは全軍の総攻撃を命じた。

 不意をついた我が軍の行動に、信賢軍は大混乱に陥り、短時間で壊滅状態になった。

 兵の半分以上を失い、信賢は岩倉城に逃げ込み籠城した。


 ぼくは全軍を上げて岩倉城を包囲する。一兵たりとも逃がさぬ決意だ。

 後は持久戦に持ち込むだけである。

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