32 信長、弟信行を謀殺する
土田御前が訪れた翌日の午後のことである。
末盛城と那古野城の包囲を任せていた前田利家が、両城の使者を伴って現れた。使者の口上によれば、なんと林秀貞と柴田勝家が信長に謝罪をしたいので清州城を訪れたいというのである。
「清州に来るときは、武器を持たず一人でくるのであれば、受け入れよう」
ぼくは即座に答えた。
日が暮れてから、秀貞と勝家が清州城に現れた。すぐ大広間に案内させる。わざと一時間ほど待たせて、ぼくは大広間に入った。二人は不満の表情も見せず、畏まって頭を床に擦りつけている。
ぼくは立ったまま、二人を見下ろす。
「この度の不始末、われらの不徳といたすもの。二度と過ちを犯しませぬゆえ、お許し願いたい」
秀貞は二人を代表して言葉を発した。
「なにとぞ、お許し願いたい」
勝家も蚊の鳴く声で言う。
「二度と、われに逆らうことは、ないと申すのだな」
「ははー」
「両名とも、面をあげよ」
二人は恐る恐るぼくを見上げる。
「信行は母の嘆願もあって許すことにした。両名も、父信秀の子飼いの家臣であった。断罪するのも忍びない」
二人の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「だが……」
ぼくは腕を組んで天井を見上げた。
「林秀貞、そなたは父信秀以来の織田家の第一家老であるにもかかわらず、村木砦攻撃の際、われをないがしろにし、戦線を離脱した。今回で二度目である。三度目はないぞ」
「恐れいりまする」
「勝家、そなたは、信行の重臣であるのにかかわらず、主君をそそのかし、われら兄弟の間にひびを入れたのは、断じて許しがたい。それほど、われは心もとないか」
「そのようなことは、断じて……」
「まあいい。今回のことは許してやろう。だが、次はないぞ」
ぼくは見上げる二人の両眼を見据えた。
「これよりは、われの命令には絶対服従するか、返答いたせ」
「仰せのとおりに」
二人は口を揃えて言うと、床に額を擦りつける。
「これからは、信行の動向を詳細にわれに知らせよ」
ぼくは五人の仲間と相談し、信行情報網を張り巡らせた。信行に不穏な動きがあらば、即座に報告が届く仕組みを作ったのだ。
翌年弘治三年(1557)の秋まで、何事もなく平穏な日々が続いた。信長は吉乃を側室に迎えた。信長の魂はすっかり穏やかになり、ぼくは熟睡できるようになった。
清州城の改築を進め、防御の堅い城に変えた。
一方、北の斎藤、東の今川の動向には目を見張らせ、気を許すことはなかった。
その年の十月に入って、新たな情報が届いた。
信行が竜泉寺を城に改造したという知らせである。そして密かに上四郡の織田信安と通じ合っているというのである。
ぼくは酷く失望した。
だが信行にことの次第を問い質すことはしなかった。
カナデの情報によると、信行は信安と共謀して、信長の直轄地篠木三郡を奪うことを企んでいるというのである。しかし、秀貞からも勝家からも連絡がない。
ぼくは帰蝶と相談し、一計を思いついた。信長は重い病に陥り、床に臥せているという情報を巷に流すことである。
近習の者を中心に、小者、農民、商人などに密かに情報を流し続けた。
それから二週間ほど経った十月下旬のことである。
突然勝家が清州城を訪れた。主君信行の命により、病状伺いに来たと言う。
廊下から足音が聞こえる。
ぼくは寝間で掻巻布団に包まって目を閉じていた。
「殿、柴田勝家殿が見えられました」
利家の声がする。
「入れ」
襖が開き、風が流れてきた。
ぼくは体を反転させ、廊下側に顔を向けた。利家が廊下で頭を板張りに擦りつけている。
「勝家、遅いではないか」
「申し訳ありませぬ。わたしは、わが主から遠ざかれ、身動きができなかったのでございます」
「信行は、男妾の津々木蔵人なるものを、重用しているそうだな」
「仰せの通りでございます」
「まあ、いい。中に入れ」
勝家は寝間に入り、ぼくを初めて真正面から見詰めた。
ぼくは思わず微笑んだ。
「お体は、大丈夫でございますか」
「いたって元気だ」
ぼくは上半身を起こした。
「大殿、わが主は、織田信安と結託し、篠木三郡を我が物にしようとしています」
「そうであるか……」
ぼくは大欠伸をした。
「それで、その企みを持ちかけたのは、信安か。それとも信行か」
勝家は口籠った。
「そうか、信行か……」
ぼくは胡坐をかいて勝家を見据えた。
「勝家、末盛城に戻ったら、信行に伝えるのだ。信長は思いのほか重病で、床に臥せていると。そして、今のうちに見舞いに行かれたほうがいいと進言するのだ」
「ははぁ」
「ところで、勝家、そなたは六天魔王を見たであろう」
「はい。大殿は六天魔王でありますゆえ」
その年の十一月二日、信行は近臣の者二人を連れて清州城に来た。
ぼくは川尻と青貝に信行殺害を命じた。
一時間ほど経って、寝間の廊下から利家の声がした。
「殿、川尻、青貝両名が、北櫓天守次の間で、信行さまを亡き者にしたとのことでございます」
ぼくは一言言った。
「ご苦労」
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