10 萱津の戦い 開戦
翌日の夜も、その次の夜も、またその次の夜も同じ夢を見続けた。
信長は死に切っていない。魂の残骸が、体の中に残っている。四日目の夜は、ぼくも抜刀して信長と対峙した。信長は不適な面構えで、ぼくをあっさりと切り倒す。
六天魔王、信長はまだ生きているぞ。ぼくは夢の中で叫び続ける。
一度も勝てぬまま、四か月が経った。
天文二十一年(1552)、八月十六日。
陽が昇り、一面が明るく輝いている。
ぼくは庄内川の湖畔にたどりついて、すでに一時間ほど経過している。
下馬し、叔父の織田信光率いる友軍を待っている。遅い。イライラ感が募ってくる。隣には、犬千代が控えている。彼にとっては、この戦が事実上の初陣だ。
清州織田家の当主織田信友の配下坂井大膳が、重臣坂井甚介、河尻左馬丞、織田三位らと組んで信長方の松葉城とその近くにある深田城を襲撃、松葉城主織田伊賀守と深田城主織田信次を人質として捉えたのだ。
信次は信光の弟である。その一報が入ると、直ちに信光に連絡、連合して攻撃に出ることとしたのだ。
そもそも織田信友は尾張守護斯波義統の家臣守護代であった。だが今は守護義統は弱体化し、信友の傀儡政権化に成り下がっている。義統が信長の父信秀に肩入れしていたため、信友は信長を排除することを画策していたのだ。
宗家斯波家をもり立て信友を討伐する、と信長が言っていると、ぼくは素っ破、子飼いの親衛隊、農民らに命じ、清州城下に噂を広めさせていた。信友がその餌にまんまと食らいついたのだ。
坂井大善配下の坂井甚介が二千の軍を率いて、清州城を出たという報告が入る。ここまでの距離はわずか二キロ半。ぼくはすぐさま千百の自軍を、庄内川に向かって進めた。敵軍はまっすぐ南下してくる。萱津に向かって軍を進める。
「信長さま、信光さまの旗印が見えます」
犬千代が大声を上げた。
振り返ると、信光軍四百が、水しぶきを上げて、庄内川を渡ってくるのが見えた。
信光が馬をとばし、ぼくの傍につけた。
「すまぬ、遅れたな」
「清州軍は、今この地に向かっています。兵力は二千を超えているものと思われます」
「どこで向かい打つ」
「萱津がよろしいかと」ぼくはそう言って、信光を見据えた。
「深田城では、城主信次殿が何者かにそそのかされ、坂井大膳らと通じていたと聞く。伯父上は知っておったか」
信光は目を見開いてぼくを見詰める。体を震わせながら小さく頷いた。
「伯父上は、手兵四百を率いて、深田城、松葉城に向かってくだされ。弟君信次殿を救いだし、松葉城城主幼君伊賀守を開放するのが、よろしいかと。わたしは、清州本軍と向き合いまする」
「承知」
信光は拳を振り上げると、南に向かって振り下ろした。
信光は馬綱を引くと、勢いよく南方に向かって駒を進める。
南に位置する深田松葉城を制しておかなければ、信長信光連合軍は、北と南から挟み打ちになる。
「サルは、おるか」
「はい、ここに」
「信光の動向を探るのだ。その動向を、カナデら、素っ破を使って、わたしに報告せよ」
「畏まりました」
藤吉郎と信長配下の素っ破らが、土埃を上げて遠ざかっていく信光軍を追いかけていった。
ぼくは兵千百を三軍に分けた。正面軍五百、両脇軍三百ずつ。
正面軍は二百ずつに分け、長槍を持たせる。後の百は矢戦対策の杉板の防御板を持たせる。戦闘開始後の矢戦で兵を失いたくなかったからだ。矢戦が終われば、後方に下がり、長槍を持ち右側軍に加わる。
両脇軍は正面軍の両脇に付く。左側軍は柴田権六率いる抜刀隊だ。右側軍は、中条家忠率いる矢戦部隊と、僅かだが鉄砲部隊である。
赤塚の戦いで分かったのだが、この時代の戦は双方とも全滅するまで戦わないということだ。兵の殆どは、職業軍人ではなく、百姓たちアマチュアなのだ。そのためか、短槍を構えて、密集集団で向かってくる。そして、敵陣の壁を崩せば、プロの兜侍が切り込んでくる。
ぼくは古代ローマ軍の戦法を考えていた。
その戦法で、ぼくは何度も模擬訓練を重ねてきた。
敵軍は二千、自軍は千百。敵は自軍の倍の戦力を保持している。きっと、敵は従来の戦法で、力に任せて押し寄せてくるに違いない。それを正面軍五百で受け止めるのだ。
当然の事ながら、正面軍は押されて、後方に下がっていく。自然に両サイド軍が敵陣を包むように取り囲む形になる。左側軍は抜刀して、敵密集軍団の側面に切り込む。その陣頭指揮をとるのが、鬼柴田こと、柴田権六である。
左サイドからは、目前の敵に矢を一斉に放つ。やや後方からは、十丁の火縄銃が火を放つ。
こんな作戦だ。模擬訓練では成功したが、実戦では理論どおり進むだろうか。
二百メートルほど先に、敵陣は歩兵の密集集団を整えた。その陣形は四層からなっていた。先陣、二陣、旗本、その後ろに敵将の坂井大善、その後方に詰めの兵。
力ずくで押しつぶしてくる戦法だ。
午前八時、開戦のほら貝が鳴った。
敵軍は陣形を保持したまま近づいてくる。
陣形は立ち止まった。密集集団から弓矢を持った兵が全面に出て来た。予想どおりだ。
「弓矢に備えよ」
自陣に号令が響き渡る。
二列の長槍部隊は、膝まづく。その間に矢戦防御部隊が入り込む。
敵陣から弓矢が放たれた。無数の矢が天空に舞い上がった。そして降り注いでくる。防御部隊は防御板を掲げる。防御板を外れて飛び込んでくる矢もあるが、致命傷にはならない。
予想したとおり、短槍を構えた先陣の兵が押し寄せてくる。
正面部隊は長槍を突き出し、身構える。矢戦防御部隊は後ろに下がり、長槍を持つと、右側面に回った。
二陣が攻撃に加わってくる。
多勢に無勢、徐々に後方に押されていく。
「押し込め、押し込め」
敵陣から号令が鳴り響いた。
ぼくが正面軍に指示していたのは、ただ一つ。命を落とすな、と言うことだけだった。兵たちは、その指示さえ守っていれば、戦局は自ずと勝利に向かっていくはずだ。
自軍の両側面の兵士たちは、自然と敵陣の両サイドに向かうことになる。
信長軍からほら貝が鳴り響いた。
右サイド軍から一斉に弓矢が放たれた。左サイドからは、抜刀した武者が襲い掛かる。後ろからは、騎馬武者に向かって鉄砲が発射される。
敵軍は左サイドの弓矢部隊に矛先を向けた。弓矢防御隊の長槍が弓矢部隊を守る。そうしているうちに、権六率いる抜刀隊が背後から敵将に向かって襲い掛かる。
やがて敵陣はパニックに陥った。
密集部隊はバラバラになり、後方に下がっていく。
兵の中には、深田城のある南方に向かって行く者もいる。
ぼくは兵を集めた。
自軍の兵は五十名が討ち死にした。
柴田権六と中条家忠がぼくの前に進み出た。麻袋から生首をだして、ぼくの目前に差し出す。
「御大将、敵将坂井甚介の首でござる」
ぼくは大きく頷いた。
「でかした権六、家忠」
「信長さま、藤吉郎さまからの、伝令です」
目前にカナデが膝まづいた。
「申せ」
「敵軍を松葉口まで追い込みましたが、松葉城には、まだたどりついておりませぬ」
「分かった。すぐそちらに向かうと伝えよ」
「畏まりました」
「聞いたか、勇者どもよ。これより、信光軍支援のため、深田城、松葉城に向かうぞ」
ぼくは大声を張り上げた。
おおー、という叫び声が戦場に響きわたった。
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