第二章 次から次と反旗がひるがえる

9 ぼくの事実上の初陣 赤塚の戦い



 素っ破から、鳴海城主山口教継に謀反の気配ありと信長に一報があったのは、信秀が亡くなって間もない三月の末のことだった。


 父信秀が亡くなれば、尾張は混乱する。それは覚悟していた。だが正直言って、ぼくはうろたえた。ぼくは戦いというものをやったことがない。史実では、この戦いで信長は死んでいない。だが、仏と六天魔王のやりとりを聞いた限りでは、死ぬことは皆無ではない。


 葬儀の場で、六天魔王と大見えを切ったが、こんなに早く謀反人が現れるとは。一人寝所に籠り、資料を見る。山口教継は父信秀から重用されていたとある。にも拘わらず、織田家に反旗を翻したのは、信長の資質に絶望し見切りをつけたからだろう。

 鳴海城は、強敵今川勢との最前線にある。真っ先に、今川から血祭に上げられるのは、山口教継、教吉親子だ。うつけ信長に命運を委ねることができなかった、と言うことか。


 赤塚の戦いは、四月十七日の起こったとされている。今日は四月二日、戦いまで後半月ある。

 ぼくは寝所に、帰蝶、藤吉郎、犬千代、小六を集めた。

「信長さま、この戦いはあなた様にとって事実上の初陣でございますね」

 帰蝶が胡坐をかいて言う。仲間うちでは、彼女は男のままだ。

「人というものは、恩義も恩義と思わず、平然と裏切る。おまえたち以外は、誰も信ずることはできない」


「それは、信長さま、今は下克上の世の中です。最優先すべきものは、一族郎党です。いかしがたありませぬ」小六が大声を出した。

「ここは、きちんと、けじめをつけなければなりませぬ。一挙に叩き潰しましょう」

「待ってくだされ、深追いしますと、今川が介入してきます」藤吉郎が口を挟んだ。

「この戦い、その目的は、信長様の強い決意を示されることで、よろしいのではないかと。織田家一族が、背後で、信長さまの、やりようを見物されているのでございます」


 サル、やはりおまえは小賢しい。でも、その考え方は間違っていない。

「そうです、うつけが、どうでるか。見物しておるものが、たくさんおりましょう」

 帰蝶が笑いながら続ける。

「それに山口一族の兵は、われらの兵と、身内同然。この戦、どちらの兵にとっても、やりにくい戦になります」


 ぼくは、初陣の報告に父信秀の元に赴いたとき、諭された言葉を思い出していた。敵の兵も味方の兵も、命をかけて戦う。両者隔たりなく、尊厳をもって接しなければならない、と。そして、敵に借りをつくってはならないのだ。


「この戦い、鳴海城の北、赤塚の地に敵兵が繰り出してくる。赤塚とは、どのような地であるか、見て参ろう」

 ぼくは立ち上がった。



 四月十七日、ぼくは織田勢八百率いて中根村を駆け抜け、小鳴海に移動し、三の山に登った。午前十時、山口教吉は鳴海の北にある赤塚に兵を進めてきた。その数千五百。信長勢の倍近い。


 ぼくは、真正面から四つに組む戦いを考えていなかった。できるだけ早く兵を引きたかった。この戦いの目的は勝つことではない。信長の意気込みを半信長の尾張武将と、今川義元に見せつけることにあった。そのため、引き際を考えて、あえて兵を敵側より少なくしたのだ。なにより、敵も味方も、もともとは味方同士で顔見知りの間柄なのだ。戦いはどちらの兵にとってもやりずらいにちがいない。


 父信長に付けられた家老、内藤勝介と蜂屋頼隆に先陣をきらせた。

 一斉に弓矢を放つ。敵側からも、矢が放たれてくる。まあ、会戦の儀式のようなものだ。ぼくは長年訓練を続けてきた長槍隊を全面に押し出す。徐々に敵側の態勢が崩れていく。これで勝負は互角になった。

 午後十一時を過ぎて、戦いは抜刀しての乱戦になった。敵側の勇猛な兵が、ぼくに向かって押し寄せてくる。それらを、犬千代と小六がなぎ倒していく。小六の放った刃が敵武者の首を刎ね飛ばす。その首がぼくの顔にぶつかってくる。ぼくの顔が血しぶきで真っ赤に染まる。


 ぼくは一瞬気を失った。犬千代がぼくに麻布を投げてよこした。ぼくは口の中に溜まった血を吐き捨て、顔を麻布で拭った。


 戦場は血の海になった。

 ぼくは戦場での兵たちの獰猛さに我を忘れていた。狭い場所での接近戦のため、転がる兵たちに足を取られ、戦の情勢は膠着状態になっていく。

 ぼくは時期を見計らって兵を引き上げた。そして長槍隊を全面に出し、相手の出方を見た。


 敵陣から静かにほら貝が鳴りだした。それが徐々に大きく響いてくる。

 敵兵が帰陣を始めた。

「負傷者を手当てせよ。敵味方、関係なく、平等に扱え。死者を集めよ」

 ぼくは馬上から声を上げた。

 敵陣からも、声が上がった。

「織田の兵を讃えよ、敵の兵も手当てせよ」


 ぼくは敵兵を手当てしたうえで、敵陣に帰した。逃げ込んできた馬もすべて敵陣に帰した。山口教吉も、織田軍負傷兵を手当てしたうえで、返してきた。

 織田軍の死者は三十名にのぼった。



 その夜、ぼくは悪夢に襲われた。

 信長が現れたのだ。その顔は今の自分の顔、信長の顔だった。

 信長は抜刀して赤いまなこでぼくを見据える。ぼくは棒立ちになる。彼は上段に構えると、ぼくに襲いかかった。ぼくの体は真っ二つに切り裂かれ崩れ落ちる。

 一夜のうちに、何度も何度も殺され続ける。

 その夜は、ぼくは悲鳴を上げ続けた。


 その夜、ぼくの心は一挙に歳をとった。

 十四歳から、信長の歳十九歳の心に転移したのだ。


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