19 六天魔王同盟 牛一登場
村木砦攻撃の勝利の年、その七月十二日のことである。
城内が騒がしくなった。ぼくは信長公記を見るのを止めて部屋を出た。近習の者が数名、廊下を走ってくる。先頭の者がぼくの足元に膝まづく。
「殿、守護さまの嫡男、斯波義銀さまがお見えでございます。守護さまが、守護代織田彦五郎によって討取られたとのことでございます」
「うん」
ぼくは顔色を変えずに答えた。
「すぐ広間にご案内しろ」
ぼくは部屋に戻り、信長史料をバックに戻し、麻袋に入れた。
帰蝶が奥の間から出て来た。
「チョウよ、やっとウシに会えるぞ」
「太田牛一が那古野にですか」
「そうだ。これで全員が揃う」
そうだ、ぼくはこの日をずっと待っていたのだ。
ぼくが広間に入ると、若き斯波義銀が上座に胡坐をかいていた。
単衣の麻の着物湯帷子姿である。そのみすぼらしい着物が泥でまみれ、顔から汗が垂れている。
ぼくは彼の前で胡坐をかき、頭を床に擦りつけた。
「ノブナガっ。彦五郎が裏切り、父上を殺したのだぞ」
「ははっ」
「信長、表を上げろ」
ぼくは顔を上げ、義銀を見た。顔が強張り両眼がひきつっている。
「われが、出かけている留守に、彦五郎の命を受け、坂井大膳が、守護の屋敷を襲ったのだ。こやつらは、絶対許すことはできぬ」
彦五郎とは、守護代織田信友の通称である。
「主である守護様を家来の守護代が討ち取るとは、言語同断。この信長、必ずや、この両名を討ち取ってみせましょう。斯波義銀様を、清州の城に戻して差し上げまする」
「うん……、そうか」
義銀は肩で息をした。
「ところで、義銀さま、ご家来の中に、太田牛一なる者がおりませぬか」
「オオタ、ギュウイチ?」
いや違う。太田牛一という名はこの時にはまだ使われていない。牛一を名乗るのはずっ先、信長亡くなったあとのことだ。この時の名は、たしか信定。
「太田信定なる者がおりますか」
「どうだ、いるか?」
義銀は控えている家来に尋ねた。
「おります。われらと共に来ております」
「来ているそうだ」
「義銀さまにお願いがございます。その者をわたしめにお譲りくださりませぬか」
「ウン……。なぜ、その者を」
「守護さまのところには、太田信定という、弓の達人がおると聞いておりましたので」
「わかった。好きにせい」
「ありがたき幸せ」
広間で、ぼくは藤吉郎、利家、小六たちと車座になって牛一が来るのを待っていた。帰蝶が僕の後ろで立膝で控えている。
村木砦の圧倒的勝利により、尾張における信長を取り巻く環境は様変わりしていた。清州城での出来事も、そのひとつの結果にすぎない。ぼくはそう考えている。反信長派は、焦りの色を見せている。ここは、ひとつ強気に出る時であろう。
「殿のお考えに、われら同意でござる。義銀様を押し立てて、清州を一挙に攻めたてましょう」
利家がぼくを鋭く見つめながら言った。藤吉郎も小六も頷く。
「ただ……」藤吉郎が呟いた。
「清州を燃やしてしまっては、元も子もありません」
「何か妙案があるか」
ぼくは全員に問いかけた。
「ここは、ひとつ策を練る必要があります」帰蝶がぼくの背中で言った。
「太田信定という者は、守護様に仕えていました。内情に通じているものと思われます。信定がわれらの仲間になった最初の仕事として、策を練らせたらどうでしょう」
「殿、太田信定と申すものが参りました」
近習の者の声がした。
「ここに通せ」
「はあぁ」
「あ、誰もここに通してはならぬ。他の者にも伝えておけ」
「畏まりました」
ぼくの右前横に、帰蝶と利家が並ぶ。左前横に藤吉郎と小六が並ぶ。
「太田信定にございます」
廊下から声がした。
「入れ」
「ははっ」
細面の若武者が入ってきて、ぼくらより遠くの場に腰を落とした。
「太田信定にございます」
「もっと近くに来い。そこでは、声が通らぬ」
信定は膝をずって前に出た。
「もっと前だ」
ぼくはもう一度声をかけた。彼は少ししか前に出ない。
藤吉郎は立ち上がると、信定の肩を引き上げて、利家と小六の傍まで歩かせた。信定と言う男、かなり実直な人物だ。
「信定、歳はいくつであるか?」
「二十七でございます」
信長は二十一歳である。われらの仲間では、信定は一番年上だ。
「武芸は何を心得る」
「弓を少々」
「弓か……」
「はあぁ」
「われが、そなたを所望したと聞いて、どう思った」
ぼくは遠回しに訊いた。
「不思議な気持ちになりました。昨夜不思議な夢を見ておりましたので。六天魔王さまが現れて、信長さまが七年前に亡くなった、と告げられたのです。今の信長さまは、遠き未来、令和という時代から招いた若者の命を宿していると。そして、信長さまに、四十九歳になられるまで、身命をかけてお仕えするようにと。これ、すべて時空の安定、仏教界の安寧のためである、と」
「何故、四十九歳までだと思うか」
ぼくは尋ねる。
「分かりませぬ」
「われは、四十九歳の時、本能寺で殺されるのだ」
「ええっ、殺される……」
「われは、殺されなければ、令和の時代に戻れないのだ。すべて時空の安定のためなのだ」
ぼくは一息ついて、信定を見つめる。
「ここに居る者たちは、すべて、六天魔王の命を受けた者たちだ。そなたも、その仲間として選ばれたのだ。どうだ、命をかけて、この秘密を守り、われに尽くせるか」
「信定、身命にかけて、秘密を守り、信長さまにお仕えいたします」
「ここに居る者たち全員、われより先に死ぬことはない。最後までやり終えたときには、六天魔王から、褒美を頂けるだろう」
ぼくは白紙の巻き物を、目の前に広げた。
冒頭の所に、ぼくは筆で六天魔王同盟と記した。
「これは、六天魔王同盟の連判状である。順次名前を書き、血判を推す。よろしいか」
「ははっ」
全員が声を上げた。
最初にぼくが、織田信人と令和の時代の名を書いた。
その後には、帰蝶から順次名を書き、血判を推していく。
全員の署名、血判が終わった。
ぼくはそれを手にして、下座に廻り、胡坐をかいた。そして床に両手をつき、頭を下げる。
「六天魔王の同志たちよ、この信長を、なにとぞよろしくお願いつかまつる」
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