18 村木砦を攻撃、初めての鉄砲組織戦




「ここ数日、今川方に特段の動きがありませぬ。こちらの動きをつかんでいないようです」緒川城主の水野信元が顔を綻ばして言った。

「まさか、あの嵐の海を、織田の軍勢が渡ってくるとは、夢にも思っていなかったでしょう」

 

 緒川城大広間、村木砦攻撃作戦会議場。

 叔父の信光と水野信元、そしてぼくの三人は車座になって絵図面を見つめている。この大広間には、三武将の主だった家臣たちがつめかけていた。ぼくの後ろには、藤吉郎、利家、小六そして武者姿の帰蝶が控えている。


「北の寺本城、鳴海城、大高城にわれらの動きが伝わらぬうちに、この戦、遅くとも、夕暮れまでに決着をつけねばなりません」

 ぼくは絵図面に描かれてある北側の三つの城を指さして言った。

 信光と信元は大きく頷いた。もし村木砦の今川側援軍が北側から来ると、織田と水野の連合軍は挟み打ちにあってしまう。時間が勝敗を決めるのだ。


「村木砦の将兵が、すでに交戦の準備を整えている。ここで、敵将松平忠茂の気持ちになって考えてみよう。彼らが勝ち切るためには、援軍要請の密使を、できるだけ速やかに今川方に送り届けることができるかに掛かっている。そして同時に、明日いっぱいは、砦を持ちこたえねばならない。この計画を挫けば、敵の戦意を喪失させるのに十分な効果がある」

 信光がぼくと信元の顔を交互に見ながら言った。

「万が一を考えて、わが軍も村木砦の北側に兵を出して、敵方の往来を監視しましょう」

 信元はそう言うと、部下にその旨を指示した。


 砦の絵図面を見る限り、攻め口は三つある。

 一つは東の大手門、二つ目は西の搦め手門、最後は南の本丸。大手門と搦め手門には、人ひとり通れる橋が架かっている。本丸は陸続きだが、深い空堀と防壁でできている。砦側はここを主戦場と考え、兵の大半はここの防備に当たっていると思われる。

 戦の常識では、攻め手は籠城側の三倍の兵を必要とすると言われている。だが、この砦は、三倍の兵では済みそうもなかった。

 信元の情報によると、村木砦にはおよそ八百の兵がいる。織田水野連合軍は、併せて千八百ほどにすぎない。このことは、この場にいる者全員が知っている。



 重苦しい雰囲気を、ぼくが大声で打ち破った。

「水野殿は、東の大手門から攻めてくだされ。伯父上には西の搦め手から攻め込んでくだされ。われは、南の本丸を攻めまする」

 だれが考えても一番攻めにくいのは南からの攻めだ。血に血を見る激戦になることは明らかである。

「われが、砦内の兵を引き寄せますゆえ、大手門、搦め手からは、一本の槍となって、攻め込んでくだされ」


「承知」

 信元が声を張り上げた。

「伯父上は、いかが?」

「勿論、依存がない」

「出陣は、夜明け前。水野軍は軍船を出し、海上を封鎖してくだされ。一兵たりとも砦の外に出さぬよう、お願いする。われの言葉に異存ある者は申せ」

「異存ありませぬ」

 信元と信光が同時に言った。


 ぼくは立ち上がって叫んだ。

「それでは、各軍それぞれの軍議に入られたい」

 おおー、という声は響き渡り、全員が立ち上がった。



 朝もやが砦を囲んでいる。

 陽が昇り、視界が輝きだした。

 午前八時、信長軍からほら貝の音が響き渡る。

 弓矢の防御板を構えた百の足軽隊がゆっくりと空堀に下りていく。そして防壁めがけて登っていく。

 城壁の狭間から矢が次から次と放たれてくる。足軽隊は身を屈め、防御板を頭上に翳す。第二陣には鉄砲隊も加わり、二百の兵が第一陣の後ろにたどり着いた。

 鉄砲隊が銃口を狭間に向ける。


「撃て」ぼくは叫んだ。

 狭間に向かって銃口が火を噴く。

 次から次と、狭間に向かって玉が撃ち込まれていく。矢が放たれてこなくなった。

 第一陣の防御板の足軽隊は、第二陣の後ろに回った。その防御板に向かって、鉄砲隊二百五十が駆け下りていく。

 鉄砲の数は三百となり、それぞれの銃口が、それぞれ決められた狭間に向かって火を上げる。


「殿、陣屋にお戻りくだされ」藤吉郎が言った。

「敵の流矢が飛んでまいります」

 帰蝶がぼくの背中を押した。

 ぼくは陣屋近くまで戻り、そこから指令を出すことにした。


 工兵隊が外郭に向かって堀を上る。防壁を工具を使って叩き潰す。

 砦からは、それを阻止しようと身を乗り出す者がいるが、見る間に鉄砲の玉に当たって崩れ落ちる。

 百人の鉄砲隊が砦門に銃口を向けた。砦門に皹が入る。そして大きな穴がいくつも開いた。鉄砲隊が堀を駆け上り、開けられた穴から、鉄砲を撃ち続ける。工兵隊が砦門を打ち崩した。

 砦内から矢が放たれた。工兵がバタバタと倒れる。

 鉄砲隊が砦内に向かって、一斉に射撃を開始した。矢が放たれなくなり、静寂が訪れる。


 防御板兵二人、鉄砲隊二人、抜刀隊二人を一チームにした六人の部隊を十部隊、砦内に向かわせた。十部隊が砦内に入り込むと、間をおいて、戦闘本体が砦内になだれ込んだ。白兵戦が始まったのだ。


 伝令が僕の陣屋に駆け込んできた。

「砦内は、激しい戦いが続いております」

「水野軍と叔父上の軍はどうしておる」

「織田信光様の軍は搦め手から、砦内に入りました。水野様の軍はまだ攻めあぐねているもようです」


 ぼくは陣幕の外に出て、村木砦を眺めた。

「手強い相手ですね。今川も精鋭を集めたのでしょう」

 背中に帰蝶の声がした。

 この男が帰蝶だと誰も気づいていない。見事な若武者ぶりだ。

「崩れそうで、崩れない。これが、今川か……」

 ぼくは呟いた。


 午後一時過ぎになって、局面が大きく変わった。水野軍が大手門進入に成功したのだ。水軍に兵を割き、大手門攻撃に支障をきたしていたのかもしれない。午後二時過ぎになって、小六が伝令となって駆け込んできた。

「殿、織田信光さまが、お越し下さるようにとのことでございます」


 ぼくは本丸の門に向かった。

 信光が水野信元と立ち話をしていたが、ぼくに気付いて声をかけてきた。

「敵将松平が降伏を申し出ておる。いかがなさる」

「条件は?」

 信光は笑った。

「敗者に条件はありませんぬ。ただの命乞いであります。今は、本丸の楼閣に三十の兵と共に立て籠もっておりますが」

「受けよう。これ以上、血を流す必要はあるまい」

 ぼくは楼閣の窓に視線を送って言った。



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