4 サルとチョウとハチは、いずこに
雨が三日降り続いている。
襖障子戸を開け放ち、板の間にあぐらををかいて歴史書に目を通している。
廊下で犬千代があぐらをかいてぼくを見つめている。
「イヌ、おまえの歳はいくつだ」
「十二歳でございます」
史料によると、前田犬千代の生誕は天文五年、六年、七年の三つの説がある。そうすると、天文五年に生まれたということか。信長より二歳歳下である。
天文二十年十四歳の時に信長に仕えたとあるが、実際は十五歳ということになる。そうすると、信長は十八歳になっているはずだ。
「小姓にしては、幼すぎではないか」
「林秀貞様に願い出て、信長さまのお傍に置いて頂けるようお願いしたのでございます。只今は、小姓見習いでございます」
「サル、いや、木下藤吉郎を知っておるか。おまえと同じ歳だ」
「知りませぬ」
藤吉郎は1554年、十七歳の時に信長に仕えたとある。そうすると、後七年も待たなければならない。今は十一歳、まだ今川義元の家臣松下之綱に仕えてはいまい。尾張の地を放浪しているのか、それとも、三河、遠江当たりを放浪しているのか。
ウシこと太田牛一は、1527年大永七年、尾張国春日井郡に生まれている。信長より七歳年上である。1554年信長の家臣柴田勝家に仕え、足軽衆となったとある。その年安食の戦いに参加している。今は僧侶をしているのか、それとも還俗して斯波義統の家臣になっているのか。
チョウこと帰蝶。斎藤道三の娘。信長より一つ年下だ。今は美濃の国にいる。彼女とは、1549年天文十八年に会える。結婚するのだ。二年後だ。
そしてハチこと蜂須賀小六。彼は大永六年1526年生まれだ。1553年天文二十二年道三に仕えている。信長より八歳年上である。
五人の仲間のうち、今は一人だけ、犬千代としか会えていない。後の四人と会えるのは、ずっと先のことだ。でもなんとかして一年でも早く会いたいものだ。犬千代に四人の動向を探らせるのは無理というものだ。かといって、家老の信秀に事の次第を話すわけにもいくまい。
「イヌよ、この城には、忍者がおるか」
「忍者とは何者ですか」
「忍びの者だ」
「忍びの者とは、何者ですか」
忍者では分からないのか。そうか、のきざる、か。それとも素っ破、か。
「素っ破はおるか?」
「五人おりますが、四人は美濃と駿河に出向いております。一人だけ、女ですが、控えております」
「その者は、いかなることに、たけておる」
「うわさでは、女の武器を使うとか」
「女の武器とは何か」
「分かりませぬ」
「すぐ呼んでまいれ、頼みたいことがある」
「信長さま、素っ破が参りました」
廊下に犬千代が畏まっている。
ぼくは立ち上がると、廊下に出た。
小柄な女が雨の中、跪き顔を地面に付けている。
「名前は?」
「カナデでございます」
「カナデ、廊下に上がれ。そこにいると、風邪をひくぞ」
ぼくは廊下で胡坐をかいた。
カナデはそのまま動こうとしない。犬千代に目配せした。犬千代は庭に下りると、カナデを抱えて廊下に上げた。廊下に上がっても、彼女は頭を床にこすりつけて頭を上げようとしない。
「歳はいくつだ」
「十五でございます」
「どこの出だ」
「甲賀でございます」
「お前に頼みたいことがある。顔を上げてわたしを見ろ」
カナデは少し顔を上げると上目遣いにぼくを見た。細面で切れ長の目をしている。
「美濃のマムシを知っておるか」
「斎藤利政さまですね。存じております」
「娘に帰蝶と言う名の姫君がおる。その者を見てまいれ。そして、どのようなおなごか、わたしにつぶさに報告するのだ」
「畏まりました」
「それから、小六だ。美濃に蜂須賀正勝とう名の武将がいるはずだ。その者の所在も確認してまいれ」
「畏まりました」
「それが終わったら、遠江に行って、木下藤吉郎なる者がいるかどうか、探し出すのだ」
「はああ」
「もしいたら、わたしの所に連れて参るのだ。何が何でも連れて参れ。この任務を全うしたら、おまえの一族を取り立ててやってもいい」
「はああ、有難き幸せ」
「イヌよ、カナデに軍資金を渡してやってくれ」
「それは、わたしにではなく、ご家老にご命じくだされ」
ああ、あの爺か。気が重いがしかたがない。
ぼくはため息をついて立ち上がった。
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