第9話
リカルダは悩んでいた。
つい先日、リカルダはかつての宿敵ホラーツに不覚にも慰められてしまった。ホラーツ本人に慰めた自覚はないだろうが、リカルダはうっかり救われた気持ちになってしまったのだ。
不本意だろうとなんだろうとホラーツの言葉で前向きな気持ちになれたのはたしかなので、お礼をしたい。しかしなにをすればお礼になるのだろうと考えていた。
一番初めに思いついたのは手作りの菓子だったが、さすがに重すぎるのでは? と常識が囁いたので却下する。無難に購買で買えるノートやインクなどの消耗品に決めた。購買万歳。リカルダは授業が終わったあとにさっそくなにが少なくなっているか聞きに行くことにした。
***
「ねえ」
「なんだ」
授業のないノエルとホラーツは、購買で買ったサピリーをおやつにしながら他愛もない話に花を咲かせていた。
初対面からリカルダを巡りなにかと対立していたノエルとホラーツだったが、今では互いを
平和になったなあ、とアードリアンは今までのとばっちりを思い出して涙を拭った。
「やだ、あんたチーズ入りなんて頼んで。あたしへの当てつけ?」
「どうしてそうなるのだ。ただ食べたかったから頼んだだけだ。貴様の野菜煮入りだとて美味そうではないか」
「美味しいわよ。でもチーズ入りも食べたいの」
「頼めばよかったではないか」
「チーズなんて高脂質なものを頼めるわけないでしょ、太っちゃうじゃない」
「食べたぶん、動けばいいだろう」
「あーやだやだこれだから脳筋は。女心がまるでわかっちゃいないんだから」
「む……」
「女心といえば」
上品にサピリーを食べながらノエルはホラーツを見た。見たというよりは睨むに近い目付きだ。
「あんた、リカルダになにかしてないでしょうね。今朝から様子がちょっとおかしいんだけど」
「してない」
たしかにふだんと少し様子が違うようだが、とホラーツは残りのサピリーを口に入れてしまう。サピリーのカスが付いた手を払い、服の裾で手を拭おうとして、じっとりとしたノエルの視線に気付きそそくさとハンカチを探した。呆れたふうのアードリアンがハンカチをホラーツに手渡す。礼を言って受け取ればいい加減ハンカチを持て、と非難がましい視線をもらった。
「またあんたがリカルダを怒らせたかと思ったんだけど、違うのね」
「それはこちらのセリフだ」
ホラーツとノエルはしばらくにらみ合って、それから首を傾げた。
「なにか悩みでもあるのだろうか」
「そうかもしれないわね」
互いに素知らぬふりをしているが、悩みがあるのならば聞いて、あわよくば解決し好感度を上げる計画を練っていた。もちろん相手を出し抜いて。
「そういえばこんな話しってる?」
廊下で楽しそうに声を上げて笑う生徒を眺めながら、魔術部の先輩に聞いたんだけどと前置いてノエルは話し始めた。
彼はコルーズ学園の生徒だった。彼をAとしよう。
Aはある日友人に「なにか欲しいものある?」と聞かれた。場所は学園から授業棟へ向かう渡り廊下だ。Aは特になにも思いつかなかったので「ない」と答えた。もう一人の友人、こちらはBとしよう。Bはお腹が減っていたので「ホットドッグが食べたい」と答えた。友人は笑って「そう」と言う。なんだか寒気を感じる笑みだった。けれどAもBも首を傾げるだけで、なにも言わなかった。
その翌日、Bの死体が発見された。口いっぱいにホットドッグを詰め込まれた末の窒息死だった。
Aが慌てて友人に昨日のことを話すと友人は怪訝な顔で昨日は部屋にこもって勉強していたため、AにもBにも会っていないと言う。
そんなばかな、たしかに君だったと言い募るAの耳元に「欲しいものある?」と囁く声が聞こえた。Aは震えあがった。昨日、友人と話した渡り廊下だった。友人は目の前にいる。だから耳元で聞こえる声は友人のものではない。昨日と同じ抑揚だったがそもそも友人の声ではなかった。
目の前の友人は青い顔をして、Aのように震えている。Aは歯を鳴らしながら、なんとか「なにもない」と答えた。
「ほんとうに?」と重ねて問いかけられたが、繰り返し「なにもない」と答える。
「ざぁんねぇん」
ケラケラケラ、甲高い笑い声とともに背中に感じていた気配が消えた。Aはすぐさま背後を振り返る。そこには誰もいない渡り廊下が広がっているだけだ。
友人と顔を見合わせて、二人は抱き合い、その場に蹲った。
友人だと思って居た人物はいったい誰だったのか? 果たして本当に人間だったのか? 欲しいものを答えていたらどうなっていたんだろう。
今もケラケラと笑う、甲高いこえを覚えています。「欲しいものある?」と聞いてきた声も――
「――っていう」
「貴様! なんで今その話をした!!」
「こえー~~……」
自分を両腕で抱きしめながらホラーツが叫んだ。アードリアンも自分を抱きしめて青い顔をしている。ノエルが話した渡り廊下はまさに今から向かう場所だ。ノエルはにんまりと意地悪そのものの笑顔を浮かべる。
「やだ~~。自称魔族の生まれ代わりさんは幽霊が怖いの~~~?」
プークスクス、指をさして笑うノエルをホラーツは睨む。
「幽霊は殴れんだろうが! それに条件魔術を使っている殺人犯だったらどうする!」
「それもそうね」
「条件魔術ってなに?」
サピリーを食べ終えたアードリアンがノエルに尋ねる。ノエルは髪を払って答えてやる。
「条件魔術はその名の通り条件を設定してそれが揃わないと発動しない魔術よ。条件が揃わないと発動しないけど、その代わり条件が揃ってしまえばぜったいに発動してしまうものなの。もちろん術者の腕にもよるし、威力はピンキリよ。防ぐ手立てがないわけじゃないし。発動条件が難しければ難しいほど発動効果が高くなるわ」
「へぇ~~~。ノエルちゃんは物知りだね」
「今じゃロマン魔術扱いよね。昔はよく使ってる魔術師も見……られたらしいけど、今は使ってる人なんていないんじゃないかしら。応用魔術でもさらっと流して終わったわよね?」
「そういえば授業で聞いたような気も……」
「さっぱり思い出せん」
首を捻って思い出そうとするアードリアンの横で自信満々にホラーツは腕組みしている。
「魔力は食うし、構築は難しいし、コスパが悪いのよね。だから廃れていったんじゃないかしら」
「だろうな。昔は戦場や防衛戦で生まれて使われた魔術だったが、時流にあわなくなった、ということだな」
「なるほどなー」
「使い方次第では便利になりそうな可能性は秘めてるけどねー。腰を据えて研究するとなるとやっぱり資金に人手に施設に、ってハードル高いもの」
おやつを食べ終えて小腹を満たしたあと、ノエルは魔術部に行く前に図書館へ資料を探しに、アードリアンは竜籠のある飼育小屋群へ、ホラーツは実験棟へと向かう。
実験棟へと向かう途中でホラーツはリカルダに会った。
「今日も見学か?」
「ええ、そんなところよ」
挨拶を交わしてからホラーツはぎくりと体を強張らせた。今いる場所が実験棟へと続く渡り廊下だと気付いたからだ。いつもならばリカルダに会えたなら両手を上げ、無条件で喜べるのに。
イカンイカン。ノエルめ、あんな話をするからだ。
ここにはいないノエルに悪態をついて、ホラーツは頭を振る。直前に聞いた話のせいで疑心暗鬼になっているようだ。普段のリカルダと違うところがないか探してしまう。そんなこと、あるわけないのに。リカルダが怪異であるはずがないのに。
うむ。今日もリカルダは頬をうっすら染めてかわいらしい。………頬をうっすら染めて……?
リカルダが我と二人きりなのに頬を染める……だと……?!
そんなことが今まであっただろうか。ホラーツは自身に問いかけた。
自身の容姿に興味などまったくないホラーツだったが、幼なじみのアードリアンに口を酸っぱくして言われていたので、自身が異性に好まれる容姿をしているのは理解していた。しかしリカルダが自分の容姿に惹かれていると思い込めるほどう自惚れているわけではない。リカルダに嫌われてこそいながいが、さりとて異性として好かれているか、といえばそうでもなく。将来は夫婦となるつもりだが、今のところは単なる友人の間柄だ。
そのリカルダが自分に対して恥じらっているように見える。ついにリカルダが自分に好意を抱いてくれたか、とホラーツは気分を上昇させた。しかしそれも一瞬のことで、ホラーツは改めて疑念にかられる。
昨日今日でリカルダの態度が劇的に変わり過ぎていやしないだろうか。
ノエルのじっとりと湿った、けれど冷たい声がホラーツの脳裏に蘇る。
『友人だと思って居た人物はいったい誰だったのか? 果たして本当に人間だったのか?』
ごくり。ホラーツは唾を飲み込んだ。背筋が寒い気がして腕を擦る。
「あのね、ホラーツ」
「なんだ、リカルダ」
『今もケラケラと笑う、甲高いこえを覚えています。「欲しいものある?」と聞いてきた声も――』
「なにか、欲しいものある?」
「ッギャー――――――――!!!」
いきなり叫び出したホラーツに驚いたのはリカルダだ。
青い顔で大声を上げたかと思えば、頭を抱えて蹲り、悪霊退散と早口でまくし立てている。リカルダは念のために前後左右上下を目視して幽霊の類がいないか確認した。
コルーズ学園は歴史ある学園であるだけに、さ迷える魂がうろついていたりもするが、そのどれもが気の良い幽霊ばかりだ。ホラーツがここまで怯えるほどの悪霊なんてものは学園に存在しない。
「ちょっとホラーツ。いきなりどうしたのよ、悪霊なんていないわよ。ねえ、落ち着きなさいよ」
「そうやってリカルダのふりをして油断を誘い我の欲しいものを聞き出したあとそれを口に詰め込んで殺す気なんだろう! Bみたいに! Bみたいに!」
「はあ? なによそれ。本当に落ち着いてったら。何がどうなってるの? ちゃんと説明してくれなきゃわかんないわよ。ねえ、ホラーツってば」
「うるさーい! 我はだまされんぞー!」
肩を叩いても揺さぶってもホラーツは耳から手を離さず、リカルダの声を聴こうともしない。落ち着くどころか、わーわーと大声を上げてリカルダの声を遮りさらに騒ぐ。
消耗品で欲しいものがないかちょっと聞きたいだけだったのにどうしてこうなった。
リカルダはだんだんとイラついてきた。
「ホラーツ、一回落ち着いて。深呼吸しましょう、ほら」
「わー――! わー――! わー――! 悪霊退
「……ホラーツ」
「わー――! わー――! わー――! 悪霊退
「…………」
「わー――! わー――! わー――! 悪霊退
聞いてくれないなら仕方ないよね?
脳内のスピリドンもゴーサインを出したので、リカルダは遠慮なくホラーツを蹴飛ばした。体幹のしっかりしているリカルダが腰を入れて繰り出したローキックは見事蹲るホラーツの側面に命中し、小さく悲鳴を上げさせた。
「ぐふう……見事な威力だ……まさに本物のリカルダ……」
呻くホラーツを引きずってリカルダは実験棟へと歩いて行く。引きずりがてら先程の混乱ぷりの理由を聞いた。
「実は……かくかくしかじか」
「……呆れた。そんな危険な
「それもそうだな……。面目ない……」
けれどホラーツにも同情すべき点はあった。ノエルは――……ジゼッラは怪談を話しては人を怖がらせるのが好きだった。それはもう好きだった。仲間を集めては夜中に用足しへ行けなくする新人を量産していた。
そのジゼッラの怪談を聞かされたのならさぞ怖かったことだろう。哀れ。
燦々と陽の光が降り注ぐベンチへぺいっとホラーツを投げ捨てて、リカルダもベンチに座る。
「失礼しちゃうわね。人を悪霊と間違うなんて」
「すまん……」
ホラーツはしょんぼりと肩を落とす。リカルダはその横で軽く笑った。
「あなたにも苦手なものってあったのね。幽霊が怖いなんて意外だわ」
「だってあいつらは殴れぬのだ……」
あら? とリカルダは小首を傾げる。
「魔力放出でもすれば散らせるじゃない」
「……魔力を放出するのは苦手なのだ……」
「そうなの?」
そういえば、とリカルダは
魔族、魔王といえば強力な魔力放出がお家芸であるので、スピリドンは打たせてなるものかと必死に近接戦闘を仕掛けていたというのに。
遠距離攻撃ができなかったのかよ! それなら距離を取って戦ったのに! 俺死ななくてよかったもしれないじゃん! と地団太を踏むスピリドンがうるさい。静かにしてほしい。
スピリドンを頭の隅に追いやって、恐怖の対象にも弱点があると分かればかわいく思えるものなのね、とリカルダは小さく笑った。
「……幻滅したか?」
「え?」
「大の男が
じめじめと茸でも生やしそうな湿り気具合でホラーツは項垂れた。今日は見事な快晴だというのに、ホラーツの気分はいっかな晴れないようだった。
「別に幻滅してないわよ」
「へ」
「そもそも幻滅するほどあなたの好感度は高くないし」
「ぐ」
「苦手なものくらい誰にだってあるでしょう? 私にだってあるし」
「リカルダ……!」
「前世だの伴侶になれだの言われるよりずっとまともだと思うわ」
「そ、そうか……。その、すまなかった……」
いいわよ、とリカルダは快活に笑って見せる。
「今はもう言ってないんだもの。水に流すわ」
「リカルダは寛大だな」
目を細め、眩しいものを見るような顔をするホラーツから目をそらして、リカルダは咳払いをする。
「ええと、それで、なにか欲しいものはあるかしら。昨日のお礼に購買で買える消耗品を贈らせてほしいのだけれど」
「お礼?」
首を傾げて、なんのだ? と問うホラーツからリカルダは努めて視線をそらした。
「昨日、なんにだってなれるし、どこでだって生きていける、って言ってくれたでしょう」
「ああ、言ったな」
「そのお礼よ」
「礼をされるほどのこととは思えんが」
再び首を傾げるホラーツから、やはり目をそらしたままリカルダは続ける。
「あなたには大したことない言葉だったかもしれないけれど、私にとってはすごく響いた、というか。目の前が開けた、というか。私は、兄さまやあなたたちみたいに将来の目標とか、夢とか、なくて。だから焦ってた……のかしら。とにかくなにかしなくちゃって、活動団体の見学に行ってみたりして」
両の手の指を絡ませたり開いたりしながらリカルダは言葉を探す。ホラーツはその様子をじっと見ていた。
「将来なにになりたいか、とか、やりたいかなんて本当になにも思いつかなくて。ただ平穏無事に生きて天寿を全うできればいいな、って」
「それだってすばらしい将来の目的だろう」
「そう、かしら」
「ああ。
「………そうね」
ホラーツの言葉に薄く笑って、リカルダはでも、と口を開く。
「あなたに『なんにだってなれる』、『どこでだって生きていける』って言われて、その通りだって思ったの。私はなんになったっていいし、どこに行ってもいいんだ、ってやっと気づけた。目から鱗が落ちた感じ。だから、そのお礼をしたいの。
肝心のなんになりたいか、とこに行きたいかはまだ全然なんだけれど」
「考古学者になって遺跡を巡るのはどうだ」
茶化すように笑うホラーツにリカルダは肩をすくめた。
「考古学者もいいわよね。一攫千金が狙えそうだもの」
「そこは古代のロマンに思いを馳せるところでは?」
言って、リカルダとホラーツは吹き出した。声を立てて笑い、リカルダは目尻の涙を指で拭う。
「それで、欲しいものはある?」
「うーん」
ホラーツは腕を組んで考え込む。
「ノートとかインクとかペンとか。ちょっとしたもので構わないんだけれど。クッキーとか。もちろんそれ以外でもいいわよ」
「どれも最近補充したばかりだなあ……」
「あら」
それならなくなるまで待つわ、とベンチから立とうとしたリカルダの手をホラーツが掴む。陽の光で存分に温められたお陰でほかほかと熱く感じる手だった。
「リカルダの手作りが食べたい!」
「私の手作り?」
ホラーツがうん、と頷く。
「エッケルバリ先輩に作っていただろう」
「ああ、クッキー……」
羨ましかったのだ、とホラーツが熱っぽく語る。
「あの日のことはなぜか記憶があやふやな部分があるが、先輩の食べたクッキーが美味しそうだったのは覚えている。我もリカルダの手作りが食べたい! ……のだが、構わぬだろうか」
うかがうような上目遣いに、リカルダはぐっと眉間に力を入れ渋面を作った。でなければ満面の笑顔をさらしてしまいそうだ。
料理の腕を褒められるのは嬉しいし、食べたいと熱望されるのも嬉しいが、それを素直に表現してホラーツに知られたくはない。子どものようだが、まだ十三才だもん。子どもだもん。と肉体年齢を盾に正当化した。
「いいわよ、別に。そんなのでお礼になるならいくらだって作ってあげるわよ」
「! そうか! 楽しみだ!」
リカルダは満面の笑みを惜しげもなく浮かべるホラーツを視界から外した。頬が熱い。日光に当たり過ぎたのかもしれなかった。
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