第7話
学園では授業が終わってしまえばあとは自由だ。
寮住まいの生徒には食事や洗濯があるが、通いのリカルダにはない。せいぜい図書館に通うくらいだ。
しかし今日のリカルダは違う。地図を片手に実験棟を訪れていた。
生徒用の実験棟は生徒が授業以外の時間をすごす場所だ。実験棟を根城にした様々な活動団体があり、自分の得意を伸ばしたり不得意を補ったりするために生徒が所属し、活動している。
リカルダがホラーツに誘われた剣術鍛錬団もその内のひとつで、その名の通り剣術鍛錬を目的とした団体だ。将来冒険者になりたい生徒が多く所属している。
他にも薬物製造部だの、魔樹木育成団だのと幅広い。中には個人で研究部を作っている者もいるそうだ。
今回リカルダが実験棟に来たのはいずれかの団体に所属しようと考えたからだった。
リカルダには将来の展望が何もない。勇者以外ならなんでもいい。
まだ十三才なのだから回りも当然そんなものだろうと思っていた。
しかし魔族復興を考えていると思って居たホラーツは想像以上にしっかりとした人生設計があったし、ノエルやヨンナにも聞けば当然のごとく将来の夢が返ってきた。
ノエルは失われた魔術を再び使えるようしたいと考えていたし、ヨンナも同じく今では使い手の少なくなってしまった治癒術を誰でも使えるようにしたいという。
前世の記憶をフル活用した将来の夢を描いている。
平穏無事に、ただ天寿を全うできれば、と願っているリカルダとは雲泥の差だ。
まだ一回生なのだから焦らなくてもいい、と思うのだが、周りはみんな目標があるのに自分には方向性すらない。焦燥感に胸の内を焼かれたリカルダは、せめて将来のための手札を増やしておことう実験棟にある生徒活動団体を見学しに来たのだった。
「えーと、まずはふだんの生活に役立ちそうな生活魔術研究部から……」
生活魔術は鍋に水を満たしたり、薪に火をつけたり、洗濯物をきれいにしたり、と生活に密着した魔術で、使う魔力も攻撃魔術より少なくて済む。
大昔は自分が持つ属性以外の生活魔術は使えなかったが、今では魔術陣に魔力を流すだけで竈代わりになったり、髪の毛をかわかす風を起こしたり、と進歩が目覚ましい。
教員室で借りてきた地図とにらめっこしながら棟の廊下を歩く。生活魔術研究部の表札を見つけ、リカルダは呼吸を整えた。
「こんにちは、見学させてほしいんですけれど……」
ノックをして三秒。返事がなかったのでそっと扉を押す。
開けた扉のすきまから顔をのぞかせると、そこには屍があった。
「し、死んでる……?」
「……生きてるよぉぉ………」
屍、もとい死体と見間違えるほどにくたびれて床に寝転ぶ生徒たちの姿があった。
よろよろと片手を上げて、リカルダの声に答えた生徒もすぐ他の生徒と同じように床に伸びて寝息をたて始めた。
部屋を見渡すとあちらこちらに紙や魔術に使ったのだろう素材が転がっている。
状況から察するにおそらく徹夜で実験をしていたのだろう。そして力尽きたと思われる。
そろそろと部屋に入り込んだリカルダは落ちている紙を拾い、読み解いてみた。
紙に書かれた魔術陣に魔力を通すだけで部屋が片付く生活魔術を開発中であったらしい。この部屋の惨状を見るに、失敗したようだ。
リカルダは散らばった紙をまとめ、素材を片付け、ついでに蜘蛛の巣のかかる天井と、ほこりのたまっている床を掃除した。人力ならば重労働だが、魔術を使えばそれほどでもない。前世からの習いで散らかっている部屋はどうにも整理せねば落ち着かないのだ。
平穏な人生を目標としているリカルダとしてはもっと穏便な活動内容の集まりがいい。最近の活動日誌に目を通したリカルダは生活魔術研究部をあとにした。
***
「うーん……? 床……? ………失敗したのか……」
生活魔術研究部員の一人が痛む頭を押さえながら起き上がった。
紙に書いた魔術陣に魔力をこめればアッという間に部屋が片付く夢のような魔術を開発できたと思っていたのだが、失敗したらしい」
「成功したら寮の部屋をきれいさっぱり片付けてやろうと思ってたのに……くそう……青バラさんに手伝ってもらうしかないのか……」
自動人形にまた呆れ顔で掃除をされるのか、と頭を抱えながら失敗して散らかっている部屋を片付けねば、と辺りを見回し、驚愕した。
「……きれいに……なってる……」
失敗につきものの部屋の散乱がない。
それどころか資料や書付はきちんと束になっておかれているし、素材も一か所にまとめられている。
床に倒れている部員たちを踏まないようにまとめられた紙束を手に取る。その中から今回使った魔術陣を探し出し、嬉しさがぞんぶんににじんだ顔で笑う。
使うと暴風に体を吹き飛ばされ、体のあちこちを痛めてしまうが、それがどうした。それできれいになるならいいじゃないか。
自動人形に呆れ顔をされなくて済むぞ、と喜び勇んで寮に戻った。
その日、とある学生寮の一室で小規模な爆発が起こったそうな。
***
生活魔術研究部をあとにしたリカルダは目についた団体を片っ端からのぞいていった。
魔薬製作所、製菓部、吹奏楽団、機巧研究所、星見部に生物育成部。
魔術部と医療魔術所はノエルとヨンナが在籍しているので行くのはやめておいた。
次の団体を求めて階段を上っていくと、窓から夕陽が差し込んでいるのが見えた。
次で今日の見学は最後にしよう。そろそろ家に帰らなければ。
窓から実験棟の庭が見下ろせた。
広い、広い庭だ。庭のすぐ隣に森がある。
花壇や畑、温室のようなものが見えた。いくつか点在している小屋には動物が飼育されているようだった。
兄から聞いた話によれば、実験棟も庭もよく変わるらしい。
庭でいえば小屋の数が増えたり減ったりするし、実験や思いつきで地形が変わるのも珍しくないとか。
実験棟も中身や外観がちょこちょこ変わるらしい。実験棟用の生きた地図を持っていなければ迷うと忠告されていたので、教員室で借りてきたが、正解だったようだ。
庭では土埃が舞い上がり今も地形が変えられている真っ最中で、飼育小屋が破壊されやしないかとハラハラしながら見守っていると、土埃の中からなにか小さなものが吹き飛ばされて大木にぶち当たった。
よくよく見てみればそれはホラーツで、あちこちにケガをして、鼻血まで出していた。せっかくの整った顔がもったいないことになっている。
土埃がおさまって現れたのは、長い髪をたなびかせた美女で、なにげなくホラーツとの距離をつめているように見えても油断は一切していないようだた。遠目から見ているだけのリカルダにすら強いとわかる手練れだ。
ホラーツと美女はなにがしか叫びあっているが、棟には防音の魔術が敷かれているので音声はまったく聞こえない。
けれどスピリドンが読唇術を修めていたので、リカルダは二人の会話が理解できた。
ホラーツは考古学者になるため、こてんぱんにのされても諦めず、圧倒的強者であるシニャック顧問に立ち向かっているのだ。
しばらくホラーツとシニャック顧問の攻防を眺めていたリカルダだったが、打ちのめされても、蹴飛ばされても、地面に叩きつけられても立ち上がるホラーツから目を背けて歩き出した。
上階へ、ではなく棟の出口を求めて階段を下りて行く。
リカルダには兄や友人たちのような将来の夢はない。ただ平穏無事に生きて死にたいだけだ。
それが悪いことだとは思わない。けれど、それでいいのか、と問う自分がいるのも確かだった。
リカルダは健康な体を持ち、衣食住に困らない両親からの援助がある。
人のために働くのが心底嫌だという訳ではないから、なろうと思えばかつてのスピリドンのように己の力を持って危険な魔物をほふったり、希少な素材を集めたりする冒険者に簡単になれる。
国を守護する騎士にも、野山を渡り歩く流れ武者にもなれる。
問題点をあげるとすれば、できるだけ、なれるだけで、やりたくない。
かと言ってやりたいと熱望するものもない。
人の言いなりにはなりたくないけれど、できるからといってやりたくない。
棟の外は案の定、暗くなりかけていた。空が紺色に染まりつつある。
リカルダは息を吐いて教室へ歩き出した。早く地図を返して家に帰らなければ、家族に心配をかけてしまう。
見上げた空はかつてと変わらず澄んでいるように見えるのに、変わった自分がひどくちっぽけな存在に感じる。みじめと言いかえてもいいだろう。
スピリドンならもう少し使命感に燃えていたはずだ。
教員室に地図を返して転移陣のある部屋へと急ぐ。廊下はすでに明かりがつき始めていた。
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