第6話

 今日の応用魔術の授業は実技だった。

 初めての実技に緊張しながらも楽しみだったリカルダは、悩みながら杖を選んだ。どうせなら応用魔術担当のガードナー師に良いところを見せてほめてもらいたい。

 不安の種と言えばホラーツだが、授業中は極めて真面目な態度であるのでなんの心配もいらなかった。

 選んだ杖はリカルダの髪色と同じ銀色をした金属でできていて、ちょっぴり重くて常用するには問題がありそうだったが、この場限りの付き合いなのだから問題ない。

 就職先が決まってから杖に限らず得物を決めるつもりだった。将来どんな職につくかなんてちっとも想像できていないのだが。

 とにかく勇者以外ならばなんでもいいとリカルダは思っている。もっとも勇者なんて存在はもう何百年も出ていないので無用の心配だろうが。


「今日は初めての実戦授業なので簡単なものを用意した。ウォーキングマッシュを場外に出すか、戦闘不能にすれば合格だ。

 手段は問わないが新しいウォーキングマッシュを用意する手間を省きたいのでなるべく場外に出してもらえると助かる」


 ガードナー師が出席簿を見ながら生徒の名を呼んで行く。

 ウォーキングマッシュは湿地や森林地帯など広く分布している魔獣で、塩焼きが美味しい。前世で野営のときによくお世話になった魔獣だ。

 食べたいなあ、と口の中のよだれを飲み込むリカルダの横でホラーツもよだれを垂らしていた。

 前世あるあるかとも思ったが、ノエルは嫌そうに顔を歪めているので個人差があるようだった。食の好みは人それぞれなので仕方ない。

 ウォーキングマッシュのスープはとろみがついて美味しかった。細かく切って玉子焼きにまぜても美味しかった。


「次。リカルダ・ラスコン」


 リカルダは溢れる唾液を飲み込みながら手に持った杖を構えた。

 ぼてぼてと見た目通りの鈍重さでリカルダにむかって歩いてくるウォーキングマッシュをさて、どう料理しようかと舌なめずりをした。

 決めた。厚切りにする!

 そうと決まれば善は急げ。リカルダは杖に魔力を満たし、風の刃を作り出した。

 杖の延長線に伸びる刃は実像があればあるいは槍のように見えていただろう。スピリドンの得物は剣だが、武器の扱いは一通り叩き込まれたので問題はない。剣や槍はいいとして、暗器の類まで覚えさせるとか何を考えてんだあのクソ神父。

 いやいや。今は目の前の食材のことだけを考えよう。

 リカルダは素早くウォーキングマッシュの手足を切り落とし、杖を大きく横に薙いだ。今日の実戦相手がウォーキングマッシュだと事前に知っていればバターを用意しておいたのに。

 胴を輪切りにするついでに表面に格子状の切り目を入れ、表面はこんがりと、中は芯まで火が通るように熱していく。網目にバターを落としたりしょう油を垂らすのが最高だった。

 たれ各種がないのが悔やまれる。素材そのままの味を楽しむのも悪くないが、せめて塩が欲しい。ウォーキングマッシュの笠はじっくりあぶってぷつぷつ水分が出てきたところに好みの調味料を一滴垂らせばもう言葉もないくらいに美味しいのだ。残念ながらかまどがないためできないが。

 リカルダが輪切りにした焼きウォーキングマッシュがトントントンとつみあがっていく。ほかほかと湯気が出ていていかにも美味しそうな匂いがした。

 いざ実食、とウォーキングマッシュにかぶりつくために近付くリカルダにガードナー師から声がかかった。


「そこまで。無駄のない良い動きだったな、ラスコン」

「えっ。……あ、ありがとうございます」


 リカルダは瞬時に我に返り、ウォーキングマッシュを食べようとしている場合じゃない、と伸ばしていた手を引っこめた。

 おそるおそる振り返ると、幸い同級生たちはリカルダがウォーキングマッシュを食べようとしたのには気付いていないようだった。

 胸をなで下ろしかけたリカルダはギラギラと目を輝かせるホラーツを見て呼吸が止まった。ガードナー師からほめられた嬉しさも吹き飛ぶ。ノエルは頭痛に耐えるように頭に手をそえていた。

 目の前の食材に集中し過ぎてうっかり本気を出し過ぎてしまった。

 これはもしや……いや、もしかしなくてもバレた……?!

 ホラーツからの熱烈な視線を浴びながらリカルダは元居た場所に戻る。

 授業態度はまじめなホラーツなので、授業中は問題ないだろうが、終わればどうなるかわからない。きっと殺し合いになるに違いなかった。

 滝のような脂汗を背中に感じながら、リカルダはどうにしかしてこの状況を打破できないかと思考を巡らせた。



「では今日の授業はここまで。みんなよくできていた。怪我もなくてなによりだった」


 ガードナー師が授業の終わりを告げる。

 本来であればガードナー師がマジックバックに収納した焼きウォーキングマッシュを食べさせてもらえないか聞きにいくところだが、今のリカルダはそれどころではなかった。

 食欲より生存を重要視させ、いち早く修練場から走り去った。


「リカルダ、話があ……」

「ごめん、次の授業があるから!!」


 次がホラーツと選択がかぶっていない機巧学で助かった、と心の底から安どして、リカルダはかけられたホラーツの声を振り切った。

 機巧学を学びながらリカルダは考えた。要点を押さえた丁寧なノートを取りながら考えた。

 考えて考えて考えて、殺し合いを避けるためなら色仕掛けも辞さない覚悟を決めた。最悪の場合は完全犯罪を成し遂げる決意もした。


「お、お話ってなにかしら、ホラーツ」

「うむ。実技授業での体さばき、実に見事だった。それで思ったのだが……」


 リカルダは引きつった笑いを作りながら、後ろ手に持った木剣を握る手に力をこめる。

 ホラーツの背後の樹木の影にはノエルとヨンナがいる。ふだんは残念すぎる美少女たちだが、前世かつては世界でも指折りの魔術師にして、スピリドンが安心して背中をあずけられた仲間だ。アイコンタクトを取って、リカルダは静かに闘気をたぎらせていった。


「どうだろう。我の所属する剣術鍛錬団にてその腕をさらに磨かないか?!」

「へ?」


 予想を裏切るホラーツの言葉に呆けたリカルダを横目にホラーツは剣術鍛錬団の良さを語る。


「顧問のシニャック師が現役冒険者なだけあってとても実戦に即した模擬戦を行えるのだ! 所属する者たちも冒険者になるため日々修練を重ねている者たちばかりでな! リカルダも我が団に入ればみなさらなる強さを手に入れることが叶うだろう! 我もリカルダと手合わせができればこの上なく嬉しい!」


 などと、輝かしい笑顔でホラーツがのたまうものだから、前世と普段の言動から、また魔族復権を目指しているのだと思い込んでいたと気付いたリカルダは肩透かしをくらった面持ちで、困惑から抜けきらないまま質問をしてしまった。


「ええと、ホラーツも冒険者になりたいの……?」

「いや」


 冒険者といえば腕っぷしと技術さえあれば誰でも一攫千金が狙える職業だ。魔族復権を目指していないなのならホラーツがなるのにはぴったりだと思っていたリカルダだったので、ホラーツの返答は意外だった。


「我は考古学者になる。世界の遺跡を巡るためにも体力剣術を鍛えておかねばならないのでな!」

「考古学者……? どうして……」

「うむ。我らが生きていた時代のものを探すつもりだ。現代に残る資料があまりにも少ないのでな。

 師匠の教えなどは現在にも通じるものがある。是非ともみなにしらせたいし、我が宿敵の人生もあまりに歪んで伝わっている。奴とは守るものの違い故に敵対したが、憎しみはなかった。我は我を殺した奴は凄いんだと広く知らしめたい。我はそんな凄い奴に敗れたのだと」

「……」


 ひずんだ視界に気付き、リカルダは慌てて下を向いた。

 ホラーツの剣術鍛錬団への勧誘は続いていたが、右から左だ。

 予想以上に将来設計がしっかりしていたのに驚けばいいのか、感心すればいいのかわからない。

 脳内のスピリドンは呆然としていた。

 勇者スピリドンの評価は決して高くない。むしろ数いる勇者の中では低い。

 リカルダもスピリドンもそれは仕方ないと思っていた。愚か者と書かれていても、教会の操り人形と書かれていても仕方ない。

 騙されていたとはいえ、当時虐げられていた魔界人の自由を勝ち取ろうとしたホラーツを殺したのだ、当然だろう。

 ホラーツにだって恨まれているのだと思っていた。

 まさかスピリドンを再評価させるために考古学者を目指しているなんて思ってもみなかった。

 ホラーツはきちんと前世は前世と割り切って今世を生きているのだと、リカルダはようやく気付き、理解したのだった。

 これなら自分が前世スピリドンであった記憶を持っていると告げても大丈夫かもしれない。友達だもの、殺し合いに何てならないわよね、とリカルダは涙を指で払った。


「そして強くなっておけばスピリドンと再会したときに心ゆくままりあえるからな!」


 やっぱやめよう。絶対言わない。

 リカルダは一秒で前言を撤回し、涙も引っこんだ。


「誘ってくれてありがとう。考えてみるわね……」

「そうか! 剣術鍛錬団にリカルダが入れば毎日手合わせできるな! 心が躍る!」


 木陰で胸をなで下ろすノエルとヨンナ、草むらで頭を抱え項垂れるアードリアンを視界の端に捉えながら、剣術鍛錬団だけには誓って入らないと決めたリカルダだった。

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