第5話

「ちょっと借りすぎちゃったかも……」


 図書館で借りた大量の本を運びながらリカルダは廊下を進む。好奇心の赴くままに借りた結果なのだが、さすがに調子に乗って欲張りすぎたかもしれない。

 魔術で身体強化ができるが故に調子に乗りすぎて視界の確保を忘れていた。

 しかし昔取った杵柄で視界が塞がっていようとも“視”える。問題ない。前世を覚えているのも悪い事ばかりではないのだ。

 ただ、それにしたって代償が大きすぎるような気もするが。いやいや、前世を覚えていることと、周囲に前世の知人がいるのは無関係だろう。

 リカルダが頭をふって曲がり角に差し掛かったところで人の気配を察知し、両手に積んだ本の山を崩さず来た人を避けた。


「うわっ」


 いきなり現れた本の塔に驚いた対向者は驚き、バランスを崩したようで、リカルダの持ち物以外が落ちた音がした。


「大丈夫ですか? すみません、驚かせてしまったみたいで」

「いやこちらこそ。怪我はない、か」


 その通り。怪我など欠片もしていない。

 本を廊下の隅に置き、リカルダは改めて頭を下げた。ネクタイの色からして年上だ。


「すみませんでした、先輩」

「構わない。頭を上げてくれ。注意を怠ったこちらにも非がある」


 きらきらと後光が降り注がんばかりのイケメンだった。

 リカルダの乙女心はキュキュンとときめいたが、脳内のスピリドンは冷めた目で先輩を見ていた。前世で美人美形に囲まれすぎた弊害だろう。

 戦闘では頼り甲斐のあった仲間たちだったが、一歩戦場を離れるとスピリドンはわりと迷惑ばかりかけられていた。ひどいときは戦場ですら面倒をかけられていたような。

 すらりとした長身の先輩はそれはもうきれいな微笑みでリカルダに手を差し出してきた。つられたリカルダも手を差し出し握手を交わす。

 まるで腕の良い彫刻家の作品のような笑みだった。リカルダが見惚れるのも無理はないだろう。


「三回生のヨンナ・エッケルバリだ。君は?」

「一回生のリカルダ・ラスコンです」


 ヨンナの落とした物を拾うのを手伝い、リカルダも本を持ちなおす。


「それでは失礼しました、エッケルバリ先輩……あっ」


 会釈をした拍子にリカルダの髪を飾っていたリボンがほどけて床に落ちた。


「俺が取るよ」


 リカルダが本を下ろす前にヨンナがリボンを拾うと、手早くリカルダの髪の毛をまとめてリボンを結んだ。


「あ、ありがとうございます」

「このくらい大した手間じゃないさ」


 爽やかに笑うヨンナは文句の付けようのないイケメンだった。



「はあ……。あんな非の打ち所のない美男子がこの世にいるものなのね……」


 借りてきた本のページをめくりながらリカルダはため息をついた。

 年上で、落ち着いた雰囲気はリカルダの好みドンピシャと言えた。金髪碧眼は前世じぶんとかぶって微妙なところだが、瓜二つという訳でも無し、それ以外は高得点だった。

 つまりリカルダはほんのりとした好意をヨンナに抱いていた。


「エッケルバリ先輩……。すてきな人だったわ……。なんと言っても前世の記憶がないし」


 読み終えた本を片付けて、リカルダはベッドに寝転がった。ぜひお近付きになりたい。


***


「そんな訳で作ってしまったお礼のクッキーだけど……受け取ってもらえるかしら……?」


 手のひらにちょこんと乗ったクッキーの包みを見つめながらリカルダは表情を曇らせた。

 前世いぜんから料理はそこそこできたものだからつい作ってしまったが、ほぼ初対面の人間から手作りのお菓子をもらって果たして嬉しいものだろうか。

 そもそも髪を結んでもらっただけで仰々しくはないだろうか。


「……考えすぎちゃだめよ、わたし」


 しかしクッキーは購買で購入することにした。



「あ、エッケルバリ先輩」

「偶然だな、リカルダ。こんにちは」


 購買前で会うなんてこれはもう運命では?! とリカルダの乙女回路が喝采をあげた。

 まともな思考ができなくなりそうなのでちょっと黙っててもらえませんかね。いいぞスピリドン。そのまま羽交い締めしててくれ。


「こんにちは。先輩もお買い物ですか?」

「ああ、ノートが切らしてしまって。そう言う君も?」

「ええ。その……先輩に先日のお礼を、と思いまして」

「礼なんていいよ。大したことじゃない」

「いえ、とても助かりましたから。甘いものが苦手でなければクッキーでも、と思ったんです。購買のお菓子は美味しいですから」


 作ったクッキーを後ろ手に隠してリカルダはしどろもどろに答える。

 既製品さえこんなに遠慮する相手に手作りクッキーを渡そうとすればどん引かれかねない。渡さなくてよかった。


「義理堅いんだな、リカルダは」


 感心したようなヨンナにやわらかな微笑みを向けられて、リカルダは照れた。


「い、いえっ。そんなことはっ。これくらい当然のことですっ」


 先程から乙女回路が高速回転している。ショートしそうだ。顔がほてって仕方ない。


「そこまで言われて固辞するのは悪いか。君のおすすめはどれだ?」

「えっとですね、アーモンド入りが美味しかったです」

「じゃあそれを」


 リカルダが購買の自動人形に代金を払おうとしたその瞬間だった。


「ちょーっと待ったー――!」

「リカルダ! 奇遇ね! こんなところで! あたしもクッキーを買おうと思ってたのよ!」

「リカルダ! 菓子を買ったらいっしょに勉強しよう!」


 朝からリカルダの行動を見守っていたホラーツとノエルの二人が、見知らぬ男の隣で可愛らしく頬を染めながらはにかむリカルダを目撃して我慢できずに突撃してきたのだった。

 あまりに勢いが良すぎてリカルダにぶつかり、その拍子にリカルダの手から隠していたクッキーがこぼれ落ちた。

 ひどく軽く間抜けな音を立ててクッキーの包みが床に転がる。


「あ……」

「あ」


 あんまりにもあんまりないきなりの事態に固まっている内にヨンナがクッキーの包みを拾う。


「ちょっと勝手にリカルダ手作りクッキーに触んないでよ! 朝から熱心に作ってたそれを一番初めに食べるのはあたしよ!」

「なにっ! 一番手は我の……! いやしかし、この包みは贈答用なのでは……我用なら嬉しいが……」


 頬をわずかに赤らめながら言うホラーツはリカルダの視界に入らず涙に潤む瞳でヨンナを見つめていた。

 何かを弁解しなければと思うものの、石化にかかったかのように指が動かない。


「リカルダ、もしかして俺のために作ってくれたのか?」

「あ、……えっと……その……はい……」


 こくり、とうなずけばヨンナは柔和に目を細めた。後ろにいるノエルが息を飲んだ音が聞こえる。そーだろうそーだろう。いくらノエルが前世をこじらせている残念美少女でも美男子の微笑みには見惚れずにはおれまい。

 だからわたしが見惚れるのも仕方ないことなのよ!

 前世で培った美人耐性はどこへいったと騒ぐスピリドンがうるさい。黙って。


「でも、先輩の仰る通り大げさかな、と思って既製品を買いにきたんです。大丈夫です。そのクッキーはわたしが処分しますのでお気になさらず! アーモンドクッキーですよね! 今買いま――」


 羞恥と居たたまれなさを誤魔化すためまくし立てるリカルダに構わず、ヨンナは包みを開いてクッキーを口に運び咀嚼する。


「……おいしい」

「あ、ありがとうございます」


 ヨンナは先程とはまた趣の違う微笑みを浮かべながら一枚、もう一枚とクッキーを食べ進めて行く。

 リカルダは嬉しさに舞い上がりそうだったが、脳内のスピリドンがおや、と首を捻った。どこかで見た様な笑顔だな、と。

 ゆるみにゆるみきった頬を押さえながらクッキーを完食したヨンナは甘くため息をついた。


「とっても美味しかったです。まるでスピリドンさんがつくってくれたクッキーみたい」


 リカルダはその瞬間の己を褒め称えた。

 ヨンナの口がスピリドンのスを形作る前にホラーツの意識を刈り取った自分超エライ。


「その口調、あんた、インニェルね?!」

「……ジゼッラか」


 インニェルはスピリドンの魔族討伐仲間の一人で、後方支援に長けた魔術師だった。

 スピリドンよりもだいぶ年下で幼女のような外見の通りお菓子を好み、よく食べては頬が落ちないよう押される仕草が小栗鼠を思わせる少女だった。

 あらまあ大きく育って。

 謎の親戚面をして、現実逃避をしたリカルダはしかし、しっかりと言い争うノエルとヨンナからホラーツを引きずって距離を取った。

 ジゼッラとインニェルの仲は悪く、事あるごとに険悪な空気をかもし出し、時には魔術の打ち合いまでしたものだった。

 自分より上背のあるホラーツもなんのその、身体強化で中庭まで運んできたリカルダはぐったりとベンチに体重をあずけた。

 嘘だと言ってよスピリドン。また前世の知り合いなんて遭遇率がおかしい。

 神様手を抜いてませんか。それとも余計な気を回してくれたのですか。信徒やめようかな。

 しかしまさか作ったクッキーの味でばれるなんて。前世で人にふるまった料理は封印しよう。


「う……うん……?」

「あ、気が付きました?」

「リカルダ?!」

「いきなり動いてはダメです。頭を打っているですから」


 何を隠そうホラーツの頭を打ったのはリカルダである。

 神父に教え込まれた暗殺術を再び活用してしまう日が来るなんて。神父を殴る数を加算しておく。

 起き上がりかけたホラーツの頭を再び自分の太ももに戻して、リカルダはホラーツの髪をなでた。

 毎日入念なケアをしているリカルダの髪と同じレベルでサラサラなのはどういうことなのだろう。髪に気を配っているとは思えない性格のくせ、腹が立つほどにサラサラだ。


「あれ? 熱が出てきましたか? 少し冷やしますね」


 魔術を使ってホラーツの額を冷やす。こっそり殴ってしまった頭も冷やしておいた。


「発熱が収まらなかったら保健室に行きましょう。鬼の霍乱かくらんかもしれません」

「あ、ああ……」


 なんだかいつもより元気がないと言うか、おとなしい。

 そ、そそそ、そんなに強く打ったつもりはなかったのだけれど、しかし咄嗟だったので手加減できた自信はない。

 内心で滝の様な汗を流し続けるリカルダは自分のことに手一杯で、ホラーツの態度の意味まで気が回らなかった。

 十分ほど冷やしてもう大丈夫だろう、とリカルダは自分のももからホラーツの頭をおろそうとそっと手を添え、


「リカルダ……」

「もう冷えましたよね。熱はまだあるようですから念のためにも保健室へ――」


 思い切り捻った。嫌な音と共にホラーツは再び意識を失った。


「スピリドンさん! なにしてるんですかっ!」

「こっちのセリフですけど?!」


 前世かつての名前を呼んだのはヨンナで、そのうしろから息も絶え絶えのノエルが追いかけてきていた。


「あ、あんた……なんでそんなに、うぇっ……体力バカになってるの、よ……ゴホッ」

「スピリドンさんに憧れて鍛えてるのにバカなんてひどいです!」


 ヨンナの声は興奮してるせいだけではなく甲高い。


「あの……エッケルバリ……先輩……?」

「スピリドンさんっ! 前世むかしみたいにインニェルって呼んでください!」

「お断りします。わたしスピリドンとかいう人じゃないので」

「だから言ったでしょ、ちゃんと人の言うこと聞きなさいよ!」

「うるさいですよ、ジゼッラ」

「今はノエルだって言ってるでしょ!」


 痛むリカルダの頭の中でスピリドンも頭を抱えていた。

 インニェルは治癒、補助魔術専門の魔術師で、だからか攻撃魔術専門のジゼッラとはよく意見を対立させていた。戦場でもケンカし始めた二人でもある。

 今世になってまで喧喧囂囂と言いあうほど仲が悪いとは思わなかった。生まれ変わってまでよくやるわ。


「二人とも静かにしてください。ホラーツが起きてしまいます。

 エッケルバリ先輩」

「はいっスピ……」

「わたしはリカルダ・ラスコンです。前世の記憶はありますが、今のわたしはリカルダなんです。もう二度とその名前でわたしを呼ばないでください」


 なにせホラーツにバレたら殺し合い一直線だ。もう殺し合いは嫌だ。ぜったいに嫌だ。


「ごめん、リカルダ。これはあたしのせいでもあるわ。今の状況を説明しようとしたんだけど、その……」

「ケンカになったんですね」

「う……ハイ……」


 前世の水と油の関係を今世にも持ち越してしまったらしい。ホラーツとの因縁を持ち越しかけているリカルダが言える義理ではないが。


「すみません、ス……リカルダさん。私、あなたに会えたのが嬉しくて、浮かれてしまって……」

「呼び捨てで構いませんよ、先輩。反省してくれたならいいです」

「リカルダ……」

「ノエルも説明しようと思ったのと、ちゃんと謝れたのは良いことです」

「リカルダぁ……」

「だからと言って抱きつくのはヤメてください」

「そうだぞノエル! 羨ましい!」

「先輩は黙ってなさいよ!」


 ああ、今日もいい天気だなあ。

 リカルダを挟んでまたまた口論し始めた二人に現実逃避した。

 前世まえもこうして左右から挟まれたっけ。わざわざ人を挟んでケンカするな。

 ああ掴まれた両腕に柔らかいものが。むかしはいちいちアタフタしていたけれど、今世はリカルダも女子なので動じたりはしない。

 ん? 両腕?


「う……イテテ……」


 リカルダが疑問に首をかしげたところでホラーツが目を覚ました。どうやら永眠させずにすんだらしい。


「いったい我はなにを……?

 はっ、お前っ! リカルダに馴れ馴れしいぞ! 離れろ!」


 寝起きとは思えない素早さで起き上がり、リカルダの腕を取るヨンナを付き飛ばそうとしたホラーツだったが完全回復をしていた訳ではなく、小石に躓き肩を押すはずだったホラーツの手はヨンナの胸に着地した。


「………」

「………」

「………」

「………」


 ホラーツの顔が驚愕に染まり、何度も視線がヨンナの服装と自分の手元とを行き来する。


「あの子……ヨンナ先輩はスピリドンあこがれのひとに近付くためにめちゃくちゃ体を鍛えてるんですって」


 外見がそっくりだったから、とこっそりリカルダの耳元でノエルが囁いた。


「学園デビューして、口調や身振りもそっくりに振る舞ってるんですって」

「学園デビューかあ……」


 学園デビューそれで男装はどうかと思う。

 ホラーツを殴るヨンナはなるほど、少しばかりスピリドンに似ていた。

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