最終話 私の親友


  たった一日で何ができるか。

 犬の散歩をしている人や、ジョギングをしている人、遊んでいる子供たちを見ながら思考する。

(自分を作り上げていく。その変化が成長であり進化だ。何ができるか? 何でもできる。誰にだって許されるならば)

 日曜の朝。三人分のお弁当を抱えて、私は学校近くの公園のベンチに座っていた。木材のベンチが芝生の周囲に並んでいるだけの小さな公園だ。すぐ近くに県立のグラウンドがあり、今日はそこで嘉邑紀子さんたちと別の学校とのソフトボールの試合がある。

 今日のために新調した白のワンピースとスカートにライトブルーのコートは、小春日和の今日の天気に溶け込んでいるだろうか。

「おっ、時間通りだなっ」

「おはよう、紀子さん」

 やってきた野球のユニフォーム姿の紀子さんに笑顔を返した。ソフトボール部は日曜日でも午前だけ練習があるらしい。今日は他の学校の人たちと練習試合をするからだろう、いつもよりかは軽めのメニューだったようだ。

「うわ、本当に作ってきたんだ」

 私の持つランドセルサイズのバスケットを見て感心していた。

「そりゃ、お二人のためですから」

「んん? なに、その言い方は」

 私に詰め寄る紀子さん。ベンチに座ったままの身動きが取れずに、ふくれっつらの紀子さん(可愛い)を鼓動が聞こえる距離で見つめた。と、その背後に友則君を見つけた。目が合うと同時に否定してくる。

「僕らはそういう仲じゃないよ」

「おはよう、友則君」

 私はできる限り普通に声をかけた。が、

「撤回を求める」

 冷たい友則君の一言で徒労に終わってしまった。

「そうだよ。何か変なこと、企んでんじゃないだろうね」

「婚前パーティとか」

 含み笑いながらの友則君のジョークに笑ったが、紀子さんは意味が解らずにきょとんとしていた。

「あんたも不思議ちゃんなのかよ」

「結婚させるつもりなんじゃないかってことだよ」

「誰と誰が?」

「僕とあなたが」

「なんで?」

「さあ?」

 紀子さんと友則君は首をかしげて、こちらを見る。

「私と紀子さんの、ですよ」

「ああ、なるほど」

 友則君は納得して私の冗談にほほ笑んだが、紀子さんは違っていた。

「だから、なんで?」

 不機嫌な表情をさらにしかめっ面にして、紀子さんは鼻が触れ合うぎりぎりまで顔を近づけてきた。

「解るように説明してくれよ」

「はい。好きなのです」

「それで?」

 紀子さんの声は、冷ややかだった。

「だから何?」

 それ以上言ったらもっと怒らせそうだったので答えられず困惑した。だが、この状況だからこそ閃くものがあった。

(そうか! あの時、保健室で私が奈々絵さんに感じたものは優越感だったのか!)

 ということは、この場でとれる選択肢は、謝る以外にもあることにならないだろうか。

(ああでも、紀子さんの瞳、綺麗だなぁ・・・)

「紀子さん・・・」

「なに?」

「そんなに、見つめないでください」

 上目遣いで見つめる。

「べ、別に・・・いいけどねっ!」

 耳が真っ赤になっていた紀子さんに、友則君は笑いをこらえていた。

 うーあーと呻き、手で顔を仰ぎながら、空を見上げてベンチを一回りした紀子さん。

 友則君はバスケットを開けて、中身を見る。

「お弁当、サンドイッチにしたんだね」

「はい、作ってみました。初めて作ったので、無難にサンドイッチですけど」

 感心する友則君。ハムサンドを取って、かじりついていた。

「しっかし、なんでまたこんなところで食うんだよ。・・・別にいいけどね」

 隣に座った紀子さんが、照れ隠しで悪態をつく。

 隠しているのも嫌だったので、転校の事を話すことにした。

「K県にある大学付属の小学校に転校することになりました」

「転校? もうすぐ卒業なのにか?」

「はい、転校します」

「は? マジでか? おい、余古井! おまえら付き合うんじゃないのかよ!」

 紀子さんは、私たちが卒業後も付き合うと考えていたようだ。

「別れた」

「うそっ!」

 驚く紀子さんに、私は笑って見せた。

「まだ時間はありますから」

「3日あるね」

「そうですね。ふふっ、相談に乗ったことが、こんなに話題になるなんて。予想していませんでした」

 クラスでのことを思い出して、小さくため息をついた。

「ならないほうがおかしいんだってっ! あんたみたいな有名人がさぁ、図書室で二人きりでいたって言われたら、そりゃ気になるだろっ!」

「そうですけど・・・想像以上でした」

「あっはっはっ! そんなもんだってっ! あーそういや昨日噂になってたよ」

「私のですか?」

「そうそう。あいつらをあしらったんだって? 髪型変えていたから問いただしたら白状したよ。やー笑った笑った」

「髪型ですか?」

「そうそう! あいつら急に真面目になりやがって、ぷくくっ・・・もてたかったんだってっ!」

 げらげら笑う紀子さんを、私は苦笑いしながら見つめた。

(彼らは自由だったのかもしれないな・・・いや、勝手気ままなだけか。自由は責任を負う)

 少しだけ彼らの事を思い出す。

「彼女が欲しいと言ってましたね」

 思い出して言ったことに、紀子さんはさらに笑い始める。

「あいつらに? むりむりっ! 誰も付き合わねぇよっ!」

「そうなのですか?」

 友則君にも聞いてみたが、同じく苦笑いするだけだった。別の質問をする。

「まだ不安ですか?」

「え? ああ、うん。少しはね」

 特に気にしていなかったのだろう、聞かれた友則君は、しっかりとした笑顔を見せた。

「大丈夫だよ。みんなにも話したし、もう部活は行かないから」

「中学は、地元に行くんですか?」

「ううん。遠いけど隣の県に行くことにした」

「大学を決めたからですか?」

「うん。いろいろ考えてみて、橋の建設をしてみたいなって思ったんだ」

「素敵です。建築学ですね」

「うん。それで探してみたら、割りばしとかでいろんな建築物を作るっていう『工作部』のある中学に行くことにしたんだ」

「わあ、面白そうな部活ですね。楽しんでください」

「多知華さんは、どうするんですか?」

「私は、環境工学かな。ごみ問題を考えたいと思います」

「ごみ問題なんだ。プログラマーだと思ってた」

 友則君にこたえようとして、ふと横を見ると、紀子さんがしかめっ面でいることに気が付いた。

「なんでおまえら、普通に話せるんだよ・・・」

「紀子さんは、どうするんですか?」

「ん、中学か。地元に行くよ。クラブのやつらもオナチュー(同じ中学)になるし、ソフトボール楽しいからなー」

「今日もほかの学校の人たちと試合をするんですよね」

「そうなんだよ。それで朝から走りこんでたんだけどさ、腹減ったわ」

「ふふっ、もう食べますか?」

 公園の時計は、まだ11時だが、食べるようなのでお手拭きを二人に手渡した。

「試合は12時半からだけどな、直前に食べると気分が悪くなるから、今ぐらいから食べるほうがいいんだよ」

 紀子さんもバスケットに手を突っ込んで、卵サンドと、ツナサンドをつかんでいた。二つ同時にほおばる。その食べ方に見とれてしまった。豪快で素敵です。

「紅茶もどうぞ」

 二人にカップを渡して、おすすめのお茶を飲んでもらった。

「サンキュ。(一気飲みして)ぷはあっ、うまいぜ。部活の麦茶より飲みやすいなっ」

「うん、美味しい」

 お母様おすすめの茶葉を淹れてみたのですが、口に合って良かったです。

「ツナにきゅうり入れているんだね」

 気が付いた友則君が、ツナサンドを見て聞いてきた。

「はい、入れてみました。どうですか?」

「美味しいよ」

「食感がいいよなっ!」

 紀子さんにも気に入ってもらえてよかったです。

 ベンチに3人並んで食べていく。冬にしては暖かい日だったので、室内に移動しなくてもよさそうだ。

 バスケットの中身が少なくなったところで、友則君と目があった。

「その服・・・いいね」

「あ・・・ありがとうございます・・・」

 紀子さんの隠そうとしている笑い声が聞こえた。

 会話を探して見つめ合う。いつもならすぐに出てくる話題が、こんな時にかぎって思いつかない。 

「あなたは自由ですか?」

 しぼり出した内容に、自分でびっくりした。

(ふとした時に問いかけている疑問じゃないか。答えなんかない)

 そう思ったが、友則君はこたえてくれた。

「さあ・・・どうだろう? 自分のやりたいことはできているけど」

 バカにしていたわけではないが、ちゃんと返してくれるとは思わなかった。嬉しかったので、もうひとつ聞くことにする。

「自由になれますか?」

「う~~ん・・・行動することが、縛られていること、になるんじゃないかな・・・?」

「そうかもしれませんね」

 聞いていた紀子さんはあきれていた。

「私たちは、どういう関係なのでしょうね」

「友達」

 その答えに、おもわず笑ってしまった。

(不思議・・・何も考えずに話しているみたい。もしかしたら、理性的でない会話は、自由なのかもしれない)

 紀子さんには、無理をさせていると思っていた。

 友則君には、期待させるようなことをして、悪いと思っていた。

 二人を見る。

 だけど別に、気にしなくてもいいみたいだ。

 こうして会うことができて、心から良かったと思います。


          ⛓  ⛓  ⛓


 ボールとバットがぶつかり合う小気味よい音がして、グラウンドの空に美しい放物線が描かれた。その下で紀子さんが走っている。ツーベース・ヒットだ。2回の表、ノーアウト、2塁3塁。先制のチャンスである。

 他校の生徒たちも、グラウンドの向かい側のベンチで真剣に応援していた。人数は少ないが、見に来ている生徒や、保護者の方も来ている。

 私と友則君も、グラウンドから少し離れたベンチに座って、その練習試合を観戦している。

「紀子さんって、エースだったんだね」

「そうみたいですね。本当に格好良くて、図書室から見ていた時もありました」

「目がいいんだね。僕はスポーツって、ずっと見ていると飽きてしまうな」

 友則君は、あまりスポーツ観戦はしないようだ。

「私はドキドキします」

「ハラハラじゃないんだ」

「ドギマギでも、ブギウギでもないです」

「だったらウキウキかな? それともワクワク?」

 その聞き方がおかしくて、遊び心がうずいてしまった。

「ふふっ、釣りみたいですね。そうだな・・・生き生きしていて、ときどきやきもきしてたかな」

 あははっ、と笑う。友則君もこの言葉遊びが面白くなったようだ。

「あきあきしたり、ずきずきしたりはしなかった?」

「見つけたら付きっきりでしたからありません。心はときめき、視線もキラキラ。辟易するなんて虚偽です。唾棄して忌避です。例え窮地の危惧が杞憂でも、気が気じゃないの、希求、祈願がんばって」

「あはははっ、喜々、狂気だね」

「てきぱき、はきはきっ! 本気ですっ!」

 二人でひとしきり笑いあって、また静かに試合を眺めた。相手側のピッチャーは不調だったのか、4回の登板で他の人と交代した。

点差は3点になっていて、勝てそうな状況になっていた。

「いろいろと・・・考えたんだ」

 紀子さんがバッターボックスに立ったタイミングで、友則君が独り言のようにつぶやいた。

「これからのこと、今までのこと、彼らのこと、あなたのこと、みんなのこと・・・いろいろ考えた」

 友則君の瞳を見つめた。真剣な表情。生きることを考えている者の目だ。

「僕も、幸せになりますから」

「はい。私も、紀子さんも、他の人達も、みんな幸せを望んでいるよ」

「そうですね」

 私もまた、友則君に見つめられていた。

「そう・・・ですね」

 同じ言葉を繰り返した友則君は、少しの間だけ目を閉じてから、いつもの表情に戻った。

(泣いてもいいのに。男の子、なんですね)

 その優しさに気がついて、自然に笑みがこぼれた。気づけるようになったことが嬉しかった。

(支配とか、優越とか関係ない。人と関わるということは、相手のことを理解するということだ。そのために質問をする)

 いま何をしていますか。好きなものは何ですか。やりたいことは何ですか。いま何を考えていますか。

 問いかけることは、その人を知ることなんだ。

(もっと知りたいです)

 紀子さんを探していた。部活の仲間たちと一緒になって応援していた。9回の裏。相手チームの攻撃だ。鈍い音で打たれたボールを、内野手がダイレクトキャッチする。その瞬間、試合は終了した。スコアは6点と3点。紀子さんたちの勝ちだった。

「勝ったね」

「もっと見ていたかったな」

 ハイタッチしている紀子さんたちへと行こうとしたところで、話しかけられた。

「麻利絵、さんは、この後、どう、するん、ですか?」

「図書館に行きますよ」

 友則君は、あの日の朝の告白の時よりも、緊張しているようだった。

「僕も、一緒して、いい、ですか?」

 声を上ずらせながら、それでも言い間違えないように注意していた。

「あの・・・」

「そうですね。一緒に、行きますか?」

 友則君の返事は、はひっ、としか聞こえなかったけれど。

 今日は本当に良い日になった。

 卒業まで、いや、卒業しても、私は独りぼっちなんだと思っていた。あの雨の日。友則君も・・・。

(さあ、学ぶべきは何か?)

 仲間と帰っていく生徒たちを見ながら、この後の予定を想像していく。

 私の理想の人は、どこにいるのでしょうか?


          ⛓  ⛓  ⛓


 時はめぐり、悲しさも、楽しみも、寂しさも、嬉しさも、隔てることなく平等に運んでいく。

 私は、体育館の壇上に立ち、一緒に通っていた全校生徒を見渡した。

 生徒代表が読み上げている激励の言葉は、誰が書いたのかなーと推理できるほどには余裕があった。

(期待されるのは別にいい。私だって成功を望んでいる)

 体育館を見回して、壁際に並んでいる先生たちをチラ見する。藤野目先生も含めて、みんな真面目な表情だった。

(私一人のために臨時の全校集会を開く。もう、教える側なのかな・・・)

 少なくとも尊敬され、手本とされる存在ではあるのだろう。

 代表で読んでいる子も、統一テストで優秀な成績を残していたと記憶している。

 視線が合ったので軽く頷いておいた。

(話せていたら、どうなっていたでしょうか)

 もしかしたらの想像は、今の自分を否定しそうで、かなり嫌なものになった。

 そんなことを考えながら激励の言葉を聞き終えた。席に戻る姿を、なんとはなしに見つめる。

 壇上袖から、「お願いします」と小声で指示された。そんなに黙っていただろうか? 自分で思う以上に、緊張しているのかもしれないと、気を引き締めなおした。

 ひとつ呼吸して、話し始める。

「私は、けっして特別ではありません」

 私の第一声に、何人かの先生たちが顔色を変えていた。

(ただ謝辞を述べて終わりとでも思っていたのね)

 気にせずに続ける。

「望み、願って、相応の努力をしただけです。才能ではありません。誰にでもできることです。みなさんだって、好きなものは覚えているでしょう? 私はより多くのものを学ぶために、自分の時間を使いました。そう・・・学ぶためには、時間がいるのです」

 一区切りを入れる。紀子さんと、友則君を見た。二人とも目が合った時に、笑顔を見せてくれた。

「まず『覚え方』を考えてください。自分に合った覚え方があります。好きな漫画やアニメとこじつけてもいいのです。大人たちは、みなさんに覚え方を見つけてほしいんです。いろんなことを知ってほしいと思っているんです。だから、『自分なりの覚え方』をみつけてください。私は、専門の辞書や辞典を見ます。。それが私なりの早く覚える方法です」

 生徒も、先生も、私を見ていた。大抵いる寝ている人も、話したり、携帯を見ている人も、今はいなかった。

「みなさんが興味を持つものは、たくさんあると思います。欲しいものも、やりたいことも、行きたいところも、いっぱいあると思います。調べてください。見つけてください。知ることが楽しくなってきたら、勉強も・・・できるんじゃないかなー?」

 笑い声が聞こえた。私も笑顔を見せながら話を続けた。

「やりたい事を出来るようにするためには、それに必要なものを持っていなければいけません。たとえば冒険者には地図を見る能力や、地質を見抜くこと、植生や生態系の知識、料理できること、裁縫することも必要になることがあるでしょう。ユーチューバーになるのだって、映像の処理のしかたとか、最新の情報とか、演技力や、禁止されていることを知っておく必要があると思います。その必要なものは、勉強して覚えられるものかもしれません。自分のやりたいことに何が必要なのか、知っておきましょう」

 さあ、学ぶべきものは何か。生徒たちを見ると、1年生にも理解していそうな人が何人かいた。

「みなさん、本当にありがとうございます。ささやかですが、私からの贈り物です」

 心からの感謝をこめて、深くお礼をした。

 拍手が起こる。藤野目先生は、泣いているのだろう、顔を隠していた。野乃宮さん、空月さん、星宮さん、宇任さんとも目が合った。

(みなさんも、幸せになりましょうね)

 鳴りやまない拍手の中、壇上から下りていく。そのまま靴を履いて外に出た。この後は授業もない。今日みたいな日には、先生達にも早く帰ってほしいと思う。

「晴れだぁ~~」

 独り言を言ってしまうほど、最高の青空だった。

「待ってっ!」

 声に振り向くと、紀子さんと、奈々絵さんが体育館から出てきていた。

「これっ!」

 奈々絵さんが差し出してきたものは、クラスのみんなから寄せ書きされた色紙だった。

「受け取りな」

「紀子さん・・・」

 色紙を手に取る。

「それと、これもっ」

「わあっ!」

 奈々絵さんが頬に押し付けてきたものは、バナナの缶ジュースだった。

「コンビニに行ったときは、紙パックのしかなかったからね。買っておいたんだ」

「ありがとう、奈々絵さんっ」

 涙で視界がにじんでいた。色紙と、缶ジュースを強く抱きしめる。

(やっぱり運命だったんだ・・・っ)

 あの雨の日の、覚悟と勇気。

 すべては偶然だったのかもしれない。

 友則君の問題に紀子さんが気がついていなければ、あんな風に放課後に出会うこともなかっただろう。

「ありがとう、ございます・・・っ」

 あの雨の日に、私は、ただ不安で悲しかった。

 ふらふら、この未来さきのことを考えていた。

「麻利絵さん、教室まで来てください」

「え・・・? は、はいっ! 行きますっ!」

 奈々絵さんのお誘いに、涙があふれ出る。

「嬉しいです・・・私もう、お別れだと・・・思っていたから・・・っ」

 奈々絵さんも、紀子さんも、泣きじゃくる私に合わせて、六年間ほど通い続けた教室へと歩いてくれた。

 いつから、この二人が仲良くなっていたのかも、私には分からなかった。

(全然見ていなかった・・・! 私は、クラスメイトのことを名前でしか知らなかった・・・っ!)

 天才なんかじゃない。才能なんて関係ない。

 みんながいたのに、私が見ていなかった。自分から一人になっていただけ。

「お別れ会をしようって、準備してたんだ~~」

 奈々絵さんの笑顔が、まともに見れなかった。嬉しさと、申し訳なさと、感謝と、後悔と、いろんな感情がないまぜなっていた。 

「みんな~~連れてきたよ~~」

 いつもの教室は、パーティ会場みたいになっていた。机はくっつけられていて、お寿司とか、ピザとか、たくさん並べられていた。飾りつけもされていた。なにより、黒板に思考が止まってしまった。

『まりえちゃん、ありがとうございます』

「わたし・・・っ、こんなの・・・、」

 黒板に書かれていたその言葉に、ドアのところでしゃがみ込み、泣き崩れてしまった。

「みんな・・・っ! わたし・・・、わたし・・・っ!」

 涙を止めることはできなかった。嘘みたいに次々あふれ出してきて、何も考えられなくなった。

 そんな私を、クラスのみんなも、先生たちも、泣き止むまで待ってくれていた。

 ――何分間、泣いていたのだろうか。

 美弥子先生がそばにいて、背中をさすってくれていた。後から思い返すと、泣き顔を見られないようにしてくれていたのだと思う。

さし出されたハンカチで涙を拭いて、立ち上がった。

「私からも、みなさんに、ありがとうございます」

 まだ声がかすれていたけれど、きちんとお礼を言っておきたかった。ありがとう~~と、拍手が起こる。

 落ち着いたところで、帆野歌さんに背中を押されて席に案内された。

「麻利絵ちゃん、乾杯しよっ!」

「あ・・・はいっ! しますっ!」

 みんなでジュースをかかげて、声を合わせた。

「かんぱ~~いっ!」

 手が震えてしまってこぼしてしまったけれど、一緒に飲むのは、いつも以上に美味しかった。

「連絡先、交換しようよ」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 話したことなかった人とも、フレンド登録をした。

「気が早いけど、同窓会もしようね」

「マジで早いわっ」

 ばしんっと叩かれてびっくりしましたが、笑っていたのでいいのでしょう。そういうものなんだそうです。

「会社作るんでしょ? よろしくね!」

「コネで入ろうとすんなっ」

「雇えるように、がんばりますね」

「いやっ、ちゃんと面接してねっ!?」

 わははっと笑いが起こる。

「みなさん、本当にありがとうございます。忘れません。転校しますけど、連絡しますのでよろしくお願いいたします」

「かたいよっ」

「うちらこそ、よろしくね!」

「もちろんっ」

 こんなにも温かかった。楽しかった。

(望むものを最短距離で手に入れる。もう私は別人だろうな)

 こんなにも変わっていく。その気になれば、一歩踏み込めば、変わることができるのだ。

 

 多知華 麻利絵たちばな まりえは、そうして喜びを理解した。

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変わるときは、こんなふうに。 ~~多知華 麻利絵編~~ カメとさかなのしっぽ @kazfishtail

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