第3話 告白
翌日、朝のホームルームが終わり担任がいなくなってすぐに、別のクラスにいる友則君に会いに行くことにした。
彼がいる教室に入ると、すでに付き合っていることが噂になっていたのか、騒ぐ生徒たちの中心に友則君は立たされることになった。
ヤジが飛ぶ中、私は友則君と廊下へと出る。覗き込んでくる人もいたが、気にせずに話すことにした。
「聞きたいことがあります。昼休みを開けておいてください」
「う、うん……あのさ、昨日は、あの、どうしたのかな」
クラスメイトが気になるのだろうか、あるいは私と一緒にいる緊張なのか、友則君の声は小さかった。
「ご心配なく。病気や事故で早退したわけではありません」
「あっ、うん……」
まだ何か言いたそうだったが、特に何も言うことはなかった。
職員室のほうに目を向けて、先生がまだ来ないことを確かめる。
「なぜ、私だったのですか?」
友則君は、何を聞かれたのか分からなかったのだろう、きょとんとしていた。言い直すことにする。
「どうして私に告白したんですか」
「どうしてって、それは……」
「ほかに意味はなかったんですか?」
「う、うん」
「そうですか」
この場でこれ以上聞くことはやめておくことにした。
「では昼休みに、図書室で会いましょう」
「うん……はい」
友則君は疑問を浮かべた表情で、自分の教室に戻る私に手を振ってくれていた。
⛓ ⛓ ⛓
読んでいた本から顔をあげて時間を確認した。昼休みに入ってから、すでに30分が経過していた。
友則君の遅れている理由、あるいは来ない理由を考えてみる。
(教室を出る前に紀子さんを見てきましたけど、特に私に注意をはらってはいなかった。まだ可能性は残っていますが、紀子さんと友則君には、直接の関係はないかな)
本を閉じて、思考しながら、ゆっくりと視線を上に向けていった。
(私のことはみんな知っているから、質面攻めにあっているのかな)
良くも悪くも私は有名人だ。私に関わるということは、多くの人の関心を引くことになる。
(もしくは、だから私と会うことをためらっているのかもね)
並行にならんでいる蛍光灯を見ながら、もしかしたら紀子さんが私を避けるのもそれなのかなぁ、なんてことを考える。
図書室のドアが開いて、友則君が入ってきた。彼は無言で私のいる席に近づき、そのまま手前の席に座った。
目の周りが赤かった。
(泣いていた?)
気にしないようにしつつ、聞くことにした。
「話せますか」
友則君は首を小さく動かして、うん、とこたえた。
「嘉邑紀子さんを知っていますか?」
今度は首を左右に振って知らないと答えた。
「私に教えてもらいたいことは何ですか?」
友則君の肩がわずかに震えた。顔をうつむけて、何も見ないように視線をさまよわせている。
「僕には・・・ここまでです。これ以上は、もう・・・無理なんです」
覚悟が決まっていたのだろう、その声は、か細くはあったが、しっかりとしていた。
俯いたままのその顔を見つめて、その言葉の意味を考察する。
(なにかはわからないけれど、しようとして失敗した。あるいは、自分の限界に気が付いたのね)
そう判断して優しく語りかけた。
「いいえ。あなたも何でもできる。周りがやらせてくれないだけです」
私にとっても初めてのことだ。言葉が足らないかもしれない。見当違いかもしれない。今欲しい言葉ではなかったかもしれない。
だけどそれでも、何か言いたかった。
まだまだ世間を知らない自分の、今の自分の偽りのない想いを伝えたかった。
「・・・それは」
微動だにせず黙っていた友則君が、ふいに視線を合わせて真剣な表情で聞いてくる。
「それは、死ぬことも、ですか?」
衝撃があった。
(え・・・?)
何を言われたのか、すぐに理解できなかった。
何もわかっていなかったことを思い知った。
(考えるのよ、マリエ。私の言い方ひとつで彼の人生が決まるでしょう)
親にも、先生にも相談しないだろうと、自然に確信がもてた。理由は、直感としか言えないはずなのに、確信した。
(私に認めてもらいたかったのね。―――死ぬために)
返事を待つ、まっすぐに見つめてくる友則君に、私はにっこりとほほ笑んだ。
「質問はそれだけですか?」
こたえはなかった。
止まってしまっている友則君に、麻利絵は、今の自分の精一杯を伝えることにした。
「友則君、私はね、自由が欲しいの。もっといろんなことがしてみたいのです。やりたいことがたくさんある。・・・友則君は、まだあなたは、この世界を全然知らない。やれることを全部やれてない。死ぬのは、早いと思います」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。しかし二人とも、教室に戻ろうとはしなかった。
「近くにいっていいですか?」
テーブルを回って、向かいに座っていた友則君の隣に座りなおす。
「私はね、恋もしてみたいの」
そして友則君の腕をとって、そっとほおずりをした。
「大好きな人と腕を組んで、深夜の星空の下、散歩とかしてみたいの。犬も飼ってみたいな。青く白いきれいな海で、のんびりと眠ってもみたい。美味しいと言われているものは全部食べてみたいし、楽しい場所にも全部行ってみたい。お話も作ってみたいな。もちろんハッピーエンドの。
・・・ねえ、友則君。
本当にやりたいことがひとつも無いの?」
そんな私の夢を聞いて、友則君は、うつろなまなざしを窓の外に向けていた。
何を見ているのだろう。
(自分の夢を思い出してくれていればいいな。子供のころの夢でも、何でもできると思っていたころのことでも、思い出してくれれば良い)
思いっきり友則君を抱きしめたかったが、我慢することにした。
彼の腕から手を放す。
(これは、恋じゃないだろうから)
お気に入りのぬいぐるみを抱くのとは意味が違う。
今の私にできることは、多分もうないだろうから。
ただ、紀子さんとのことがある。関係は維持しておきたかった。
(嫌がられることだけは、避けないといけない)
いつも持っているメモ帳を取り出し、携帯電話の通話用番号と、メール用のアドレスを書き込んだ。書いたページを切りとって、友則君の制服のポケットに差し入れる。
友則君は、動くことはなかった。
「また明日ね」
図書室を出ていく私に、友則君は視線を向けることさえしなかった。
⛓ ⛓ ⛓
教室に戻ると、まだ授業は始まっていなかった。不思議に思ってクラスを見回すと、何人かが小声で話し合っていた。
紀子さんの頬と左の肩にガーゼが貼られているのも気になった。
(これは・・・友則君が遅れてきたことと関係あるかな)
私は、小声で話しているクラスメイトを意識しつつ、自分の席に座った。
話の内容は、どうやら自分のことのようだ。ちらちらと見られているのがわかる。ほんとに付き合ってるの? とか、お金目当てでしょ? とか、言われているのが聞き取れてしまった。
(どうやら本当に友則君が遅れた原因は私にあるようね。どうせ、釣り合わないとか、弱み握ったのとか言われてからかわれたんだわ。―――どうしてやろうかしら)
心の半分で怒ってはいたが、もう半分では冷静に、今どうなっているのかを考えていた。
(友則君はいじめられていた。これはもう確定です。死ぬことを考えさせるところまで、追い詰めたやつがいる。そして授業が始まっていないということは、先生たちもこのいじめに気が付いたということでしょう)
小声で話していたクラスメイトは、話すのをやめていた。
振り向いて、改めて紀子さんを見る。
(紀子さんのケガは、頬と左肩にありました。あの位置に事故でケガすることはあるでしょうか。―――ない。あれは殴られた痕だ。友則君と紀子さんとの関係は、友則君をいじめていた人たちを紀子さんがやめさせようとしていたのでしょう)
友則君に会いたくなってしまった。
自然に表情が緩んでいた。
(どうしよう。ますます好きになりそうだわ)
このまま授業はおこなわれずに終わるだろう。あとはホームルームだけ。あと一時間ほどで紀子さんと話せるかと思うと、いてもたってもいられなくなった。
私は知らないうちに、にまにまと笑みを浮かべていた。
ホームルームが終わり、何事もなかったように生徒たちは帰り始める。そのにぎやかな下校の様子を教室の席に座ったまま見ながら思った。
(当たり前だ。ほとんどの人たちには関係のないことだ。関係があるのは、いじめられていた友則君と、いじめていた人たちと、止めようとしていた紀子さんだけ)
思わずくすりと、口元をほころばせていた。いじめに対して効果的な防衛手段は、信頼できる友人を多く持つことだろう。つまり、遊ぶ話題をすることは正しい行動だ。
(そのことを自覚できているのなら、もっと優秀です)
それに関しては残念に思いながら、私は紀子さんを探した。教室の後ろの隅で、女性の担任の先生と話をしていた。藤野目美弥子先生。真剣な表情が素敵な女性で、進学の相談をした時も、本当に親身になってくれた頼れる先生だ。
席を立って、二人の近くに歩いていく。
「もうこんな危ないことはしないでくださいね。とくには、何も言いませんから」
「・・・あいつらは、退学にできないんですか?」
「嘉邑さん、もう、しないでくださいね。傷が残らないといいですね・・・大事にしてください」
「・・・ッ!・・・」
先生に諭されていた紀子さんは、何も言わずに押し黙っていた。
「では多知華さん、あとはよろしくお願いします」
振り向いた先生は、私の目をまっすぐに見つめてきた。
「はい」先生の真剣な顔を見つめ返して力強く頷く。
私の実力はすでに知られている。両親はもちろん、教職員、理事長、用務員まで、私は認められて、信頼されている。
「さようなら」
「気をつけて帰ってくださいね。雨になりそうですから」
先生は優しく笑って、他に教室に残っていた生徒のところへ行く。返事のない紀子さんをずっと気にしていたようが、任せたからだろう、他の生徒たちと話し始めた。
(ご心配なく。もう紀子さんに危ないことはさせません)
この話題がどれくらいで風化するだろうか。ひと月か、二か月だろうか。いじめていた人たちは友則君の何が気に入らなかったのか知る必要がある。
「・・・・・・(深い深呼吸の音)」
紀子さんは、特に何も言わなかった。
担任の先生が、他の生徒たちと教室を出ていく。それに続いて、今日これから何をしようか決めかねていた男子生徒たちも、会話しながら教室を出ていった。
そうしてようやく、紀子さんと二人きりになった。
私はじぃっ、と紀子さんの席の横に立ったまま、彼女の整った凛々しい横顔と、さらりと流れるきれいな髪を眺めた。
「なに?」
紀子さんの視線は校庭のほうに向けたままだったが、声をかけ続けていく。
「紀子さん、私と友達になってください」
「イヤ」
「どうしてもだめですか?」
「だってあんた優等生じゃん。まともに話なんかできないだろ」
まったくこちらを見もしない紀子さん。私はその背中に額を当てて、涙を流していた。まともに話ができない理由を説明して、分かってくれるだろうか。同年代の人たちの話しているものが何なのか解っていなかったり、話題にしている有名人を知らなかったりすることを、理解してくれるだろうか。
「私には・・・あなたのような人が必要なんです・・・」
「それがイヤだっつてんのよ!! そりゃ――友達、いないんだろうけどさ・・・」
「ではせめて、しばらくこのままで―――」
紀子さんの背中に涙を押し付けて、むせび泣く。
「たまに、でいい、ので(鼻水をすする音)・・・お話し、して、くださいね・・・」
涙で声を詰まらせながら、懸命に思いを伝える。
「あのね・・・(深い深いため息)」
それでも紀子さんは邪険にはしなかった。
「紀子さん・・・うぇぇぇ・・・紀子さん~~」
「ああ~~っもうっ! わかったよっ!!」
勢い良く立ち上がった紀子さんに振り払われて、後ろに転びそうになった。紀子さんの腕をつかんで持ち直す。
「でもね、話している最中にわけわかんないことを言って場をしらけさせたらダメだからね! わかった?」
紀子さんは私を正面から見つめて、真剣な声で言ってきた。
「はい、がんばります!」
その元気のよい返事に、紀子さんは額に手を当てて天を仰いだ。
「だから~~あーーっもうっ!」
「好きです。大好き!」
我慢できず、紀子さんに抱き着いた。ケガをしているとこは触らないようにして、首元に両手を回した。続けてほっぺたにキスもする。
「好きです、紀子さん」
「離れろっ!! そういうのいいからっ!!」
なぜか純粋な愛情表現が一番嫌がられてしまった。
「ありがとうございます。本当にありがとうございますっ! 私にできることなら何でも言ってくださいね。私、本当に何でもします!!」
「いいからっ! 離れてくれればいいからっ!」
「はいっ!」
紀子さんの優しさに、抱きしめるちからを強めた。
「ちがうだろっ!」
引きはがそうとして肩をつかんでいた手が握りしめられてこめかみにあてられた。ぐりぐりされる。
「ぁう~~」
しかたなく離れることにした。
「ったく・・・」
紀子さんが、もっと離れろと、手で押してきた。
「紀子さん~~」
どうしてこんな嬉しいことを我慢しなければいけないのか納得できなかった。
(こんなときでも、冷静な自分がいる)
それがいいことなのか、わからないけれど。
急激に環境が変わることへの防御反応なのだろうか。
「紀子さん、大好きです」
「・・・うん」
二人して顔を真っ赤にしていた。
嬉しくて、恥ずかしくて、もっといっぱいいろいろしたくて、話したくて、本当に自然に笑っていた。
(この感情の高ぶりは危険だわ。新しい可能性を見つけたなんてものじゃない。未来に対する意識がまるで変ってしまった)
困ったやつだなと、紀子さんが見ている。その視線を、とめられない笑顔で見つめ返していた。
「変な奴だな、ほんとに」
「(ニコニコ笑顔で)ありがとうございます」
「へ、ん、な、や、つ、だな!!」
満面の笑顔でお礼をする私に、紀子さんは一言づつ区切りながら、おでこを小突いてきた。
「いいんです、変な奴ですから」
「あぁぁ~~普通にしてくれ~~」
ペシペシポコポコ。無茶苦茶に小突かれた。でも全然嫌じゃない。
(あらゆる物事が、紀子さんを中心とした視点の変更でその価値を変動させている。今までならこんな風に叩かれたり頬をつかまれたりしたら、訴えていたでしょうね。そもそもする人なんていなかった。ああ、どうすればより長く紀子さんと一緒にいられるのかしら。紀子さんがやっている部活も見に行かないといけません。ソフトボール部ですね知っています。ルールも覚えなければ。あ、今の紀子さんの表情良すぎる。なんでカメラを持っていないの?次の休みの予定はどうなっていたか。午前中までに作業は終わります。午後からの紀子さんの予定を聞いておきましょう。それから――)
涙は、もう止まっていた。限界化とかいうのになっていました。ああでも好き。
「帰ろうか」
「はい、一緒に帰りましょう」
紀子さんも、口元が緩んでいた。
連れ立って教室を出る。どっちが先に行くとか、左右どちらにいるほうがいいのかとか、そんなことは全く考えなかったことに驚く。
(もしかして今私は幸せなのか)
並んで廊下を歩いていく。紀子さんの颯爽とした歩き方に、みとれてしまった。
「ん? どうかした?」
「紀子さんがカッコよくて、みとれていました」
「・・・お、おう」
まっすぐに見つめられた紀子さんは、ちらりと窓のほうを見て「雨、降りそうだよな」と真っ赤になった顔をごまかしていた。
「はい、もうすぐ降り出すでしょうね」
「もっと普通に話してくれよ」
「オッケィ、降り出す前に帰ろう」
「そうそう、話せるじゃん」
紀子さんは、ようやく笑みを見せてくれた。
紀子さんを見つけてから、いろんなタイプの話し方を知った。上手くその話し方ができる自信はないのだけれど。
「なんでやらなかったの?」
「・・・そのほうが便利だったからね」
どういう言い方がいいのかすぐにわからず、少し考えてしまった。
「ああ、怖い先輩相手にはするなーー」
「印象が良くなるから、後が楽なんだよね」
「それはわかるな~~」
気が付いたら下駄箱に着いていた。いつにない素早さで、靴を履き替える。かなり早く履き替えたと思っていたが、紀子さんはすでに外に出て待っていた。
「なんかずるい感じ―。なんなのよ、そのはやさはー」
そんなむくれた声に、紀子さんは「部活で慣れてるんだよ」とかえす。
「今日は、部活はないの?」
「ないよ。雨の日はない。自主筋トレになる」
紀子さんは空を見上げていた。いまにも降り出しそうな灰色の雲が、空一面に広がっていた。
「傘いるかな」
「持っていたほうがいいね」
傘立てに二人並んで向かう。私の置き傘はあったが、紀子さんのはなかった。
「わたしのないや」
「送っていくよ」
「うん・・・」
傘立ての前で腕組して真剣に悩む紀子さんに、私はみとれていた。
(私が求める『自由』はどこにいった? 紀子さんと話せなれば、死んでもいいと覚悟した、それは今も変わっていない。必要なのは、『自由』だけではないということかな。『幸せ』も大切なのかも。紀子さんは必要でした。ああ、なんて傲慢で、身勝手でわがままなんでしょう。エゴからは逃れられないのか? いいえ、そうじゃない。受け入れて利用すればいいんだ。エゴは私自身でしょう? 好きなのだから、たとえ誰かに頼る生きかたになったとしても、私がそれで満足して『幸せ』で『自由』であればいい)
紀子さんは、携帯電話を取り出して考えていた。
「天気予報ですか?」
「ん? いや、誰かに傘を貸してもらえないかなーと思って」
「車、呼びましょうか?」
「それは勘弁して」
二人して笑いあう。
「あいつもう家に帰っているみたいだから借りるわ」
紀子さんは、友人のものなのだろう、傘立てから一本引き抜いた。ネームベルトに書かれた名前を確認する。
「よし行こう」
「はい」
二人並んで、校門へと歩いていく。
私は、曇り空にも感謝した。
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