第6話 違和感

目の前に、自殺した最愛の妻がいる。


混乱という言葉では形容しきれない程、俺の思考はぐちゃぐちゃになっていた。


狼狽えるだけで言葉が出ない俺を見て、明らかに不審がる千花。

最悪のファーストコンタクトになってしまい、何をどうしたらいいか全くわからなくなっていた。


「優作くん?」


またも聞き覚えのある声が、今度は俺の名前を呼ぶ。

反射的にその声の方を向くと、そこには少し前まで一緒だった恵の姿が在った。


「ちょっ…大丈夫?なんでこんなところで盛大に転んでるのよ?」


俺の側まで駆け寄り、唐突に顔に手を添える恵。

こっちにきてから、妙に距離が近い気がして動揺してしまう。

だが、千花もその場にいることを思い出し、その手を払い除ける。


「だ、大丈夫だから…。その人とぶつかりそうになって…」


気恥ずかしさから視線を合わせることが出来なかったが、妙な間が俺に警鐘を鳴らす。

恐る恐る正面を見据えると、恵の顔が見る見るうちに鬼の形相に変わっていくのがわかった。

咄嗟の事とは言え、心配してくれた人の手を払い除けるのはマズかったか…。


「そのまま壁に頭ぶつけて死ねば良かったのにね!」


案の定、罵声を浴びせられたので、これは俺が悪いと認め素直に謝ることにする。


「悪かったよ、でもいきなりあんな近くで顔を撫でられたら誰だって動揺するだろ?」


これまた話してる途中で、恵の顔が変わっていくのがわかる。

本当に忙しい奴だ。


「そそそそそ、そう!? そ、そんなに近かった!?ななな撫でたつもりはないけどっ!??」


こんな表情も見せるんだなと、意外な恵の一面を見ていると、恵の挙動は更におかしくなっていく。


「な、何!?何よ!?変な顔して見つめないでくれる!?」


なぜこんなに慌てふためいているのかわからないが、変な顔と言われてはこっちも引き下がることは出来ない。

前の人生ではそこそこ遊び回った身だ。

容姿端麗とまでは言わないが、変な顔ではないはずだ。


「お前がゆでダコみたいな顔してるから面白いと思って見てただけだよ!誰が見つめるか!」


今のご時世、ゆでダコなんて比喩をする人間がいるだろうか…。

咄嗟の事態の判断力の低さを露呈してしまった。


「な、な、なんですって!?誰がゆでダコみたいな顔してるってゆーのよっ!」


「お前だっ!」


「お前ってゆーなっ!てゆーかゆでダコって何?語彙が貧相ね、もう少しまともな日本語使えないの?」


こんな感じの不毛なやり取りがしばらく行われていた。

恵とは千花がいる時しか会ったことがなかったので、こんな言い合いになることはなかった。

相性が良いとは思わなかったが、どうやら悪い方らしい。

俺たちのやり取りは収拾のつかない状態になり、どうこの場を収めたら良いのかわからなくなっていた。


「ふふっ、お二人は仲が良いんですね?」


そんな混乱を極める中、一気に場の空気を変える一言が放たれた。


「誰と誰が仲が良いですって!?」


その言葉に過敏に反応する恵。

恵の反応した先にいるのは、当然千花である。


「こ、こんな乱暴な女となんか、仲良くないですよ!」


「こっちのセリフよっ!」


想定し得る中でも、最悪の流れだ。

自然かつ好印象を与える出逢いが出来ないかと一計を案じていたのに、全てがぶち壊しに。


半ば八つ当たりで恵に怒りをぶつけていた。

暴言を浴びせられた恵は、鬼の形相から一転、泣き出しそうな顔になっていた。

初対面で女の子に暴言を吐き、泣かせる男に好印象なんて抱くはずもない。

エスカレートする言い合いをよそに、頭の中は絶望感で満たされようとしていた。


すると、まるで草原に吹く優しい風のように恵の隣に現れた千花は、恵の頭を優しく撫でながら俺に言った。


「ダメですよ?女の子にそんなこと言っちゃ。強がってる娘に限って繊細なんですから、優しくしてあげないと」


と、千花独特の柔らかな空気感を放ち、その場を収めた。

頭を撫でてもらっている恵はとても嬉しそうで、とても気持ち良さそうだった。

強がりで弱さを表に出すことが苦手な恵は、千花にいつも癒されてたのかもしれない。

だから常に千花を一番に想い、大事にしていたんだ。

俺の知らない二人の関係を垣間見れ、先程までの鬱鬱とした気持ちはどこかへ行っていてた。


あぁ…千花は昔から変わらないなと、心の中でウットリしていると、心を読まれたのか、に蹴りを入れられる。


第2ラウンドのゴングが鳴るところだったが、せっかく千花が収めてくれたのだからと、ここは堪えた。


いつまでも交差点にいると危ないので、自転車を回収し、近くの公園に移動することにした。

自宅近辺なのでその公園の存在は知っていたが、そこに案内したのは恵だった。


「なぁ、なんでここに公園があることを知ってるんだ?」


他に聞くことは沢山あったけど、単純な疑問は簡単に口から出てしまうものである。


「ん?アタシんち、ここから近いからこの道通るんだよね。だから知ってた」


そんな簡単な疑問は、聞きたかった一つの大きな疑問を解決してくれた。

恵は学生時代、この辺に住んでいたのか。


「優作くんちも近くでしょ?千花、学生の時は優作くんちに行く前とか後に、ウチに来たりしてたんだよね」


そう言い終わって、しまったという顔をする恵。


俺は意外な事実と、やらかしたなこいつという思いで狼狽えてしまい、思わず千花の表情を確認してしまう。

こんなことをしたら、話に出てる千花が、目の前にいる千花だと言っているのと同じなのにだ。


「チカさんて方が彼女さんなんですか?私と同じ名前だ」


そう言って笑顔を見せる千花。

そうか、普通はそうだよな。この流れで話に出てくるチカがまさが自分だなんて思いもしないだろう。


ホッとしたのも束の間、このままでは俺に彼女がいる設定になってしまう。

恵に協力してもらった方が色々とスムーズにいくと思っていたが、とんだ厄病神だ。

これなら一人の方がよっぽどいい。


イエスともノーとも言えないでいると、


「ん?あぁ、優作くんの妹。アタシ、家庭教師してるのよ。その関係で優作くんとも顔見知りになったってわけ」


と、恵が起死回生の設定を千花に話す。


「チカちゃんはまだ実家だから、たまに優作くんの家に遊びに行くみたいなんだけど、アタシもその近くだって話したら、行ってもいい?みたいな流れになって、それからウチに来るようになったのよね」


怪我の巧妙とでも言うべきか、良い流れで自己紹介まで出来た。

俺と恵の距離がいささか近いような設定に感じるが、まぁその辺はいくらでもやりようはある。


これ以上ボロを出すわけにはいかないが、ここで千花との距離も詰めておきたい。

しかし恵が一緒だと危険な気もする。


攻めるべきか引くべきか悩んでいると、千花から先に自己紹介をしてくれた。


聞けば、某アーティストのDVDを持ってるからウチに来ないかと恵が千花を誘ったらしい。

本来ならまだ出逢うタイミングじゃなかったはずだから、恵が頑張ってくれたようだ。


ここで強引に距離を縮めるよりも、日を改めた方が良いかもしれない。

恵と作戦を練ってからであれば、ボロを出す可能性も低くなる。


こちらからも簡単に自己紹介をし、これ以上ボロを出す前にその場を後にすることにした。


「あ、あのっ!」


倒れている自転車を起こし、その場から立ち去ろうとしていた俺を呼び止める声。

振り返ると千花が駆け寄ってきていた。


「私のせいで自転車に傷が付いてしまったので、今度お詫びをさせて頂きたいのですが…」


完全に俺の不注意だし本来ならば断るが、今回に限り願っても無いチャンスだと思った。

悪いですよとか言いながら、上手く食事の約束を出来れば上出来だ。


「いえ、自分の不注意が原因なので…」


「そうよ!千花は何も悪くないんだから、お詫びなんてしなくていいし!」


この女は…。

恵が側にいると何も上手くいかない気がしてきた。


「いいえ、私も注意するべきだったので悪くないなんてことはありません」


「そ、そう?」


毅然とした態度で言う千花に圧倒される恵。

こんな千花を見るのは初めてかもしれない。

常に他社の為に行動し、自分の意思はそっちのけで生きてる印象の千花とは似ても似つかない。

が、強い意志を感じる千花もまた魅力的だと、心の中でのろけていた。


「これ、私の連絡先です」


千花が手帳にラインのIDを書いて、それを破いて渡してくれた。

過去に俺と交換した時のIDと違うものだ。

奴に捨てられた時に変更したのだろうか。


ついでに、恵にも聞いておいた。

こいつとはきっちり話し合いをしておかないと、とんでもないことになりそうな気がするからな。


「じゃあまた」


そう言ってその場を後にした。


見た目が高校生とはいえ、中身はおっさんだからママチャリに乗るのは恥ずかしいなぁとか思いながら帰っていった。



「ねぇ?恵、優作くんとは二人で会ったりする仲なの?」


千花の唐突な問いに、恵は激しく動揺した。

千花に浮気を疑われているかのような錯覚に陥ったからだ。

二人はまだ付き合ってないし、この時代では恵と優作はまだ何もしてない、大丈夫だと自分に言い聞かせる。


「え?そ、そんなわけないでしょ!たまに挨拶したりする程度の関係よ!連絡先だってさっきまで知らなかったくらいよ?」


気のせいかもしれないが、千花の表情が少しだけ明るくなったような気がした。

恵は、千花の表情がこんなにも読めないことは今までなかった。


無表情のようで切なさを感じ、儚げなようで明るさを感じ、笑顔のようで憂いを感じる。


恵の胸中に妙なざわめきが起きる。


私は千花に対して罪悪感を抱いている?

なぜ?そんなわかりきったことを自問自答していた。


答えは明白。


恵は優作を愛している。

それも出逢った時から変わらず今でも。


千花と付き合ってから数年は自覚してなかった。

ただ、いつも頭から離れない存在だった。

それは、親友の千花の彼氏だからだと思ってた。


でもある時、街中で二人を見かけ、恵と三人の時には見せたことの無い笑顔を千花に向ける優作を見て、胸が締め付けられるような想いを感じた。


その時に、恵は「あぁ私はこの人が好きなんだ」と自覚した。


優作に犯されそうになった時に拒絶しなかったのも、好きだったから。

少しでも自分が優作のことを癒してあげられたらと思ったからだ。

そして女として見てくれたことが嬉しかった。

だが、千花への罪悪感と自己嫌悪に苛まれ、自ら命を絶つ結果になってしまった。


その時の感情が蘇り、少し浮かれていた自分を恥じた。

また繰り返すのかと、もう二度と千花を裏切りたくないのに、自分の欲望の為に千花を傷付けてしまうのかと。

濁流のように溢れた記憶と感情が、恵の思考を冷静にさせた。

千花を救うのが目的であって、自分の想いは消すべきだ。

そう結論に至った恵は、先程よりも淡々とした口調で言葉を続ける。


「千花も知ってるでしょ?アタシ結構モテるのよ?優作くんなんてまだガキじゃない、興味ないわ」


これでいいんだと自分に言い聞かせ、収まらない胸のざわめきを抑え込もうとする。


隣を歩く千花との距離はそこまで遠くない。

わざわざ顔を見て話すには近い距離だ。

先程は少し明るくなったような表情を感じ取れたが、歩き始めると確認するのは困難だ。


だが、雰囲気と口調でなんとなく感情は伝わってくるものだ。


「じゃあ私がもらっちゃおうかな。いい?恵」


いつのまにか呼び方が高嶺から恵に変わっていたことに気付く。

だから余計にフラッシュバックするのだろう。


友達同士の会話ではありがちな話、なのになぜか空気が重い。

千花への後ろめたさが、どんな顔をしてどんな言葉を紡げば良いのがわからなくさせている。



「邪魔しないで下さいね?」



顔がくっつく程の距離で言う千花の表情は、今まで見た千花のどんな表情にも当てはまらず、その瞳に映る昏いものには一抹の恐怖を感じた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る