闇の案内人

小鳥遊 慧

第一章 桜散る季節の再会(一)

 大正二年(一九一三)四月。


 かの有名な浅草十二階からは、地上を洋装、和装様々な多くの人が歩き回っているのが見える。大通りの脇にはミルクホールやビヤホール、カフェなどが見え、道には足早に歩く人々に混じり路面電車やバス、市内どこでも一円で走ることから名付けられた円タクなどの乗り物も見える。赤塗りの六角形の建物は自動電話ボックスであろうか。そして、等間隔に並ぶ瓦斯ガス灯。全ての闇を切り開いたように見せる、この時代の象徴。


 しかし、実際は少し市内を出ればここまで垢抜けた風景ばかりではないこの時代。


 そして、真の『闇』はまだまだ祓われていない時代である。



      * * * *



 桜も盛りを過ぎて、後は散るのみとなった季節。俺、神崎かんざき直人なおとは頭痛を抱えて川に沿った道を歩いていた。朝から続いていた原因不明の頭痛が午後になってますます酷くなってきたので医者に行こうとしている。なにせ頭の内側から金槌で頭蓋骨を殴っているような痛さなのだ。おまけに先程からやけに肩が重い。川縁の桜の木から散った花びらが水面に漂って、なかなか風情のある光景なのだが、こんなに頭が痛くっちゃあ楽しむ余裕もない。


 ちょうど対岸に俺のじいさんのかかりつけの医者が見えたと同時に、橋のたもとに色とりどりの着物をまとった女学生の人だかりが視界に入った。何かと覗いてみると辻占いのようだ。


「刺繍入りのハンカチ……ね」


 占い師は一人の女の子の机の上に差し出された手に、自分の手を重ねて目をつぶっている。目をつぶっていても分かる整った面立ち。その顔には見覚えがあった。


「どこか暗くて狭いところ……引き出しの中かな? 遠くから人の声が聞こえる。多分大通りからそう離れていないところだね」


「雪の家って、大通りから離れたところだよね」


「じゃあやっぱり学校かな」


 周りの女の子たちが口々にそう言う。そんな中で占い師は目を開けた。その目は予想通り灰色がかった薄い茶色……鳶色とびいろをしていた。目を開けた瞬間に存在感が増す。どこか心の奥底をも見透かされるような印象を与える目。全体的に神秘的な雰囲気がでる。年頃の女の子が好みそうな少し不思議な感じのする容貌に、柔らかく困ったような曖昧な笑みを浮かべた。


「うーん……今はそれ以上見えないから、今言った条件に当てはまるところを探してくれるかな。もし見つからなかったら、明日もここにいるから」


「ありがとうございました」


「それじゃあ気をつけてね」


 占い師はそう、優しく微笑みながら手を振って女学生たちを見送った。そして今度はすぐに俺のほうに目を向けてくる。一瞬前と一転していたずらっぽい笑みを浮かべていた。


「やぁ、久しぶり」


「……弓削ゆげ……お前京都のほうに行ったんじゃなかったのかよ」


 今、俺の目の前に座っている占い師は、やはりつい去年まで同級生だった弓削ゆげつかさだった。家の事情とかで卒業と同時に京都に行ったはずだが、何故こんなところにいるのだろう。


「うん。こっちに帰ってきたのはつい最近だよ。あんまりごたごたが酷くなったから、逃げてきた」


「逃げてきたって……いいのかよ」


「うーん……いいんじゃない? 僕末っ子だしさ。跡継ぎ争いなんか関係ないよ」


 弓削の家は京都の大きな神社の神主をやっている家柄らしい。そいつがなんで東京なんかにいるのかははなはだ疑問だが。


「ところで神崎」


 弓削は先程女学生たちを見送ったのとは全く違う、人の悪い笑みを浮かべて言った。


「なんか、大変なものけてない?」


 その言葉に俺は思わず頬を引きつらせた。


「やっぱり、何か憑いてんのか?」


「そりゃあもう、ややこしそうなのが」


 腕を組んで大きく頷く様に、俺はこいつのもう一つの実家を思い出した。


 陰陽師の家系。


 平安の昔から光と闇の両方の側面を持つ都で、闇を切り開き、闇を祓ってきた者。いわば闇の案内人。


 先程も言った通り、こいつの母方の実家は京都の大きな神社の家系なのだが、父方の実家は陰陽師の家系なのだ。一八六八年の神仏分離令、廃仏毀釈、一八七〇年の陰陽道禁止令のあおりを食って血筋の危機の中、弓削の祖父は息子――つまり弓削の父を京都の大きな神社の娘と婚約させることによって血筋を残そうとしたらしい。そもそも陰陽道の考え方と神道の考え方が似通っていたため、同じような乗り切り方をした家はかなりあったとか。なんでも本人によると、弓削姓というのは弓作りに端を成し、後に多くの陰陽師を排出する。一応、安倍や賀茂と並ぶような名門だったらしい。


 が、まあそのようなことはともかく。


 弓削本人も真面目に修行はしていないらしいが、血筋を引いているためか普通の人間に見えないものが見える。学生時代にもその手の事件を人知れず解決したほどだった。


「頭とかすっげー痛くて肩が重いんだけど、何かが憑いてるせい?」


「まぁ、そうだろうね」


「んじゃあ、医者行っても無駄かぁ……」


 思わずどうすればいいのかと頭を抱える。


「助けてあげよっか?」


「へ?」


 思わず俺は聞き返してしまった。こいつは愛想がいいから分かりにくいのだが、ただで人を助けてくれるような『いい人』ではなかったはずだ。見れば机に頬杖をついたまま、人の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。


「いや、逃げ出してきたって言ったろ? おかげで生活費がなくってさ。実は今住んでいるとこも一ヶ月以内に家賃を払う方法を明言しない限り追い出す、っていう好意みたいな形で住ませて貰っててね。辻占いだけじゃ埒が明きそうにない」


 なるほど。


「……分かった。その代わり俺の体調不良だけじゃなくて、実は原因にも心当たりができたからそれもどうにかしてくれたら」


「了解。とりあえずうちにおいでよ。大雑把に話だけ聞いちゃうから」


 そう言って折りたたみ式の椅子と机、それから占いの道具を風呂敷に包む。そのまま机を俺のほうに無言で差し出してきた。持て、ということだろう。


「……俺病人なんだけど」


「だから病気じゃないって」


 にこーっと爽やかに微笑んで、机を俺に押し付けたままスタスタと歩き出す。何を言っても無駄か、と学生時代に悟ったことを再確認して机を持って弓削の後ろに続いた。


 願わくは、これ以上頭痛が酷くならないことと、弓削の家がそう遠くないことを。



      * * * *



 弓削の現在の住居は大通りからだいぶ奥まったところにある長屋だった。俺の家から歩いて二十分といったところであろうか。入り口のところに一人、女の子が立っていた。先程の弓削の客と同じ位の年頃で、竹箒を持って入り口を掃除している。


史香ふみかさんこんにちは。客、上げてもいいかな?」


 弓削はそう声をかけた。


「お友達ですか?」


 史香さんは俺のほうに柔らかく笑いかけてそう尋ねた。


「うん。中学生の時の友達。と、いうかここまでくれば腐れ縁なのかな。そういえば、お金のほう目処がつくかもしれない」


「それは良かったですね」


 まるで我がことのように本当に心底嬉しそうに言う。職業柄、人が腹の中で考えていることは敏感だと自負している。それでもその笑顔は、繕いも何もなく本心だけが映っているようなきれいな笑顔だった。


「じゃ、神崎行こっか」


「おじゃまします」


 ぺこりと史香さんにお辞儀をしてから中に入る。彼女から見えなくなった頃俺は隣を歩く弓削を肘でつついた。


「何?」


「彼女、誰?」


「あぁ、大家さんの娘さんだよ」


「ふぅん……」


 なんでもない風を装うが、おもちゃを見つけた子供のような弓削の視線がそれが成功していないことを示している。


「……まさか、惚れた?」


「いいじゃねーか。かわいいし。いいっぽいし。笑った顔がすっごくよかったし。ってーか、お前たらし込むなよ。昔っからそんなことばっかり上手いから」


「するわけないだろ。大体、上手くないよ。ちょーっと物言いを柔らかくしてにっこり笑ったら、親切にしてくれるだけだって」


「……お前の場合、それを誑すって言うんだよ」


 しらっと答えるが、こいつは学生時代かなりもてていた。外面ばっかりいいから……。


 弓削はやがて足を止めたそこが今弓削の住んでいる家らしい。


「適当に荷物置いて座ってよ」


 予想通りというか昔通りというか、弓削の部屋は汚かった。床に散らばっているのは筆、絵具のチューブ、キャンパス、スケッチブック、鉛筆……その他諸々。


「うわっ。相変わらず汚ねぇな。ってか、何でこんなに画材があるんだ?」


「そんなに汚いかなぁ? マシな方だと思うんだけど……。うん。こっち戻ってから絵、描き始めたんだ。昔から夢だったから。お金があったら先生に習いに行きたいんだけど」


 俺としてはこれ以上汚い部屋には、足を踏み入れたくないのだが。


 もっともそんなことは言っても改まった例がないので、大人しく与えられた空間に腰を落ち着けた。


「じゃあ、詳しいことを教えてくれるかな?」


 羽織っていたマントを放り出し(そんなことだから部屋がこんなに汚くなるのだ)聞く体勢に入る。


「いや、俺も詳しくはわかんねぇんだけど。今朝、店を開けたら入り口のところに雛人形の片割れ、女雛が置いてあったんだ」


 ちなみに俺の家は古道具屋(結構由緒があるらしい)で、更にちなみに俺はその跡取り息子だったりする。……見えない、とよく言われるが。


「そういえば神崎って学校卒業してからずっと家で目利きの勉強してるの?」


「まぁな」


 なにせ骨董品があったとして、その価値が自力で見破れないことには買出しも値段交渉もできないわけなので、今俺にできることといえば店番と掃除、帳簿付けくらいのことである。かなり肩身が狭い。


「ま、それはともかく。かなり上等品に見えたから、誰が置いてったか知らないけどありがたく頂戴することにした。片方ってのが痛いけど、探せば見つかるかもしれないし、部品にバラしてもまだ売れそうだったからな。とりあえずじいさんが買出しから帰ってきてから指示を仰ごうと思って。そうそう、うちのじいさん今日買出しに出かけてて帰んの明日ぐらいなんだわ」


 実はそのじいさんの行き先は闇市である。先日……一週間前ぐらいだろうか。とある華族の家に泥棒が入った。その泥棒は複数犯らしく、貴重な美術品を奪って、途中でその家の年頃の娘さんを殺して逃走したらしい。そのことが新聞に載った時俺とじいさんは『もしかしたら闇市のほうに盗品とかが流れるかもな』などと非人情なことを話していた。


 俺の両親は早くに亡くなっているので、今店はじいさん一人が切り盛りしている。俺もいい加減目利きぐらいできるようにならないといけない。


「で、その後から頭が痛い……ってとこ?」


「その通り。なんか分かるか?」


「そんな断片的な説明で分かるわけないだろ。分かったのはせいぜい今の状況に至った経過だよ」


 弓削の冷たい物言いに思わずガクッとうなだれた。確かにこれだけで分かるわけもないのだが、俺にもこの程度しか分からない。


「でもまぁ、大方するべきことは分かったから、神崎んちに行こうか」


「本当か?!」


「ん。ある程度はね。それで、神崎にはしてもらいたいことが少しあるんだけど……」



    * * * *

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