数多の星々

両手の鋭い爪を刀剣の刃の如く伸ばし、

牙を剥き、雄叫びを上げ咆哮する中級悪魔。


自らの欲望を剥き出しに、

目の前に居る愛倫アイリン

その鋭利な爪で切り裂く。


散り散りに服が裂かれ、

その美しい白い肌には

幾筋もの爪痕つめあとが残り、血が流れる。


「フハハハハハッ」


我を忘れ無我夢中になって、

目の前の愛倫アイリンを八つ裂きにする悪魔。



「いくらあんたがつくり出した

クソみたいな妄想だからって、

あんまり気分がいいもんじゃあないね」


しかし本物の愛倫アイリンはそこには居なかった。


既に『淫夢いんむせめ』は発動いていたのだ。


悪魔が我に返って周囲を見回すと、

そこには鏡面のように曇り一つ無く磨かれた盾、

無数の盾が自分をぐるりと取り囲んでいる。


目の前に映る八つ裂きにされたサキュバスの姿、

しかしそれはよく見ると盾の鏡面に映った自分の姿。

自慢の爪で八つ裂きにしていたのは

愛倫アイリンではなく自分自身。


「バ、バカなぁぁぁぁぁ」


自らが繰り出した攻撃は

全て自分自身に跳ね返って来ていたのだ、

ペルセウスの盾によって。


「まぁ、サムエラの術、ペルセウスの盾を

あたし風にアレンジしたってとこかね」


自らの爪痕で血塗れになった悪魔は

片膝をついて崩れ落ちる。


-


最後の力を振り絞って

再び立ち上がる悪魔。


「だがよお、レジェンドさんよ

あんたがいくら頑張ったところで

こっちの人間も向こうと全然変わらねえんだぜ


あんただって見ただろうよ、

あの人間達の欲望にまみれた姿をよお」


確かに愛倫アイリンはこの船に潜入して

人間達の欲望を目の当たりにして来た。


「人間はどこに居たって、そんなもんなんだよ


人魚のアソコはどうなってんのか?

人魚のアソコは気持ちいいのか?


そんなことばっかりが

気になって気になって仕方がねえんだよ


人間って奴の欲望には

際限さいげんがねえってことだよ」


力で戦いに敗れた中級悪魔は

せめて一矢報いようとしているのか、

負の感情を抱かせることで。


「そこに倒れてるあんちゃんよ、

あんちゃんだってそう思うだろうよ?」


少し首を傾げて頭を悩ませる慎之介。


「うーん……ずっと思ってたんですけどね


人魚って魚類みたいに、めすが卵を産んで

おすがそこに精子をかける訳じゃないんですかね?」


「はあっ?!」


突然の斜め上の回答に

悪魔だけではなく愛倫アイリンですら

頭にハテナマークが浮かぶ。


「あはははっ!」


斜め上過ぎて、愛倫アイリンは笑い出す。

二人が最初に出会った時にも

そう言えば似たようなことがあった。


「さすが、慎さん! 最高だよ!

見事に童貞丸出し、

いや、朴念仁ぼくねんじん丸出しだよっ!」


「おい、こいつ頭おかしいんじゃねえのか?」


「何言ってんだよ、

あんたも随分おかど違いな相手に向かって

同意を求めちまったもんだね」


なぜかドヤ顔をしている愛倫アイリン


「この人はね、

このあたしが全裸で抱きついても、

抱こうとしないような人なんだよ」


もはや何をドヤっているのかすら

慎之介にはよく分からない。


「……自分、さっきから、

めっちゃ恥ずかしいプライベート

暴露されてるような気がするんですけど……」


この短時間で少なからず魅了され、

あまつさえ八つ裂きにする妄想までも

晒されてしまった中級悪魔からすれば

全くもって立つ瀬がない。


「そんな馬鹿な、

レジェンド級のサキュバスの魅了が効かない、

そんな欲が無い人間がいる筈ねえだろっ」


「だろ?」


愛倫アイリンは嬉しそうに笑って剣を振り上げる。


「だからもう、あたしもメロメロさね」


そう言うと愛倫アイリン

目の前の悪魔を袈裟斬けさぎりに斬って捨てた。


そうなのだ、

本来人間を魅了する筈のサキュバスが、

すっかり人間に魅了されてしまっている。

しかも自分の色仕掛けは大して効果がない。


しかし愛倫アイリンにはそれが嬉しくて仕方なかった。


-


「あとは、これをどうするかだね」


ようやく悪魔達を一掃した愛倫アイリン


巨大霊砲スピリチュアルカノンを撃ち込んでから

こちらの世界に出て来る悪魔はいなかったが、

いつまた進軍を再開するか分かったものではない、

そうそうに潰しておく必要がある。


「何か策はあるんですか?」


いまだ立ち上がれないでいる慎之介だが、

喋る方は意外に元気そうでもある。


「船内の壁面というのが、

ポイントじゃないかと思うんだけどね


空間に浮いている訳じゃないから

空間座標を指定しているってことじゃない


つまりこの壁面が

ここに存在していることを前提にしてはじめて

ゲートもまた存在するということかね」


「なるほど……

それで、どうしますか?」


「こんなもん、あたしにもふさげないからね

船ごとぶった切るしかないかねえ」


「あぁ~

やっぱり、そうなりますか……」


予想通りの回答ではあった。


船には既に穴が空きまくっていて、

リリアンが言った通り

このままいけば沈むのは時間の問題。


ぶった切っても問題ないと言えば問題ないが

少々事が荒っぽ過ぎやしないかとも思う。


そんなことを考える慎之介をよそに

愛倫アイリンはとっとと準備をはじめていた。


-


両手を握り、その長い手を頭上に突き出す。


それまで愛倫アイリンが身に纏っていた

青白く燃え盛るオーラが

これまで以上により一層の輝きを増し、

船の天井を突き破って

遥か天空へと伸びて行く。


ぽっかり空いた天井の穴からは

夜空に浮かぶ美しい満月と

きらめく数多あまたの星々が見える。


  ――そうか、ここは日本ではなかった

  夜空の星がこんなにも綺麗に見える


動けずに倒れている慎之介は

こんな時でも夜空の美しさに、

今目の当たりにしている幻想的な光景の美しさに

感動してしまっている。


天高く昇る青白いオーラは

まるで夜空の月と星々と

愛倫アイリンを繋ぐ光の柱のようだ。


これから行われるのは

これまでの中でも最大級の破壊だというのに、

夜空と青白いオーラが織り成す神秘的な光景に

心が洗われるかのような清々しさすら覚える。


  ――美しい……

  まるで女神のようじゃないか


愛倫アイリンは天高く突き出した両手を

ゆっくりと静かに前方へと振り下ろした。


巨大霊剣スピリチュアルソード


まるで天空から振り下ろされたかのような

青白く輝く巨大な霊剣は静かに

船もろともゲートを真っ二つに切り裂いた。


-


崩れ落ちる船内、倒れている慎之介は

蝙蝠の羽根でしっかりと守られている。


ゲートの破壊を確認すると愛倫アイリン

すぐに倒れている慎之介を抱きかかえ

そのまま天空へと急上昇して行った。


上空から沈み行く船を見つめる二人。


なんだかんだ言っていたが、

結局最後まで船内に残って待機していたリリアンは

二人の邪魔をしないように

少し離れて飛んで行くことにする。


  ――もしかしてあたし

  残っていた意味全くなかったのでは……



満点の星空、美しく輝く月、

空を飛んでいることもあって

まるで宇宙にでもいるかのような感覚。


無限に広がる壮大な宇宙を感じると同時に、

密着している愛倫アイリンの肌とぬくもりを感じる慎之介。


広大な宇宙の中で

圧倒的にちっぽけな個である自分、

そして人間の最小結合単位である個との密着。


この世界のマクロとミクロを

今この瞬間一身に感じている。

言葉ではとても言い表せない感情が

慎之介の中に込み上げて来て、

心が激しく揺さぶられ、

いつの間にか涙を流していた。


「綺麗だね、慎さん」


愛倫アイリンもまた

似たようなことを思っているのかもしれない。


「でも異世界の夜空は

もっと綺麗だったんじゃないんですか?

空気とかも綺麗そうですし」


「そうなのかもしれないけどね、

でもあたしは慎さんと一緒に二人で見る

この世界の夜空が好きだよ」


千年も生きて来たレジェンド級サキュバスのくせに

愛倫アイリンはやはり時々少女のようなことを言う。

そして慎之介はそんな彼女に

思わず胸をキュンとさせてしまっている。



「なんか申し訳ないです……

ずっと抱きかかえてもらっていて……

重くないですか?」


「何を言ってるんだい、慎さんは

あたしの慎さんへの愛はもっともっと重いんだよ」


「それ、深い、の間違いですよね?

むしろそうじゃないと自分ものすごくコワいんですけど」


確かに愛が深いと重いでは、

似ているようで全然違う、メンヘラ的な意味で。



「あの海に沈んだゲートからは

もう悪魔が出てくることはないんでしょうか?」


念のために改めて慎之介は

愛倫アイリンに確認してみた。


「明日、もう一度

調べてみる必要はあるだろうけど、

手応えはあったから、

おそらくは大丈夫じゃないかね


それにもしまだゲートが生きていたとしても

悪魔は海中がそれ程得意ではないしね、

あれをまた使うことはないだろうね」


存在するにあたって

人間との関係性が前提とされている者達、

サキュバスもそうであるし、

悪魔もそれにあたるのだが、

そうした者達は

あまりに人間世界と縁遠い場所、

生活環境とかけ離れたところでは

存在することすら出来ない。

だから深海にも宇宙にも

悪魔が出現したという例は過去に一度もない。


隠している訳ではないのだが、

愛倫アイリンはそのことを

慎之介にまだちゃんと話せないでいた。


それは慎之介のことだからきっと

サキュバスや悪魔のことに対しても

何か重荷を背負ってしまうのではないか、

そう思っていたからだ。

これ以上慎之介に

余計なものを背負わせたくはない、

それもまた愛倫アイリンの優しさであり

愛なのかもしれない。



しばらくして日本の領海に入ると

そこにもまた星が広がっていた。

それは空にということではなく、

海の上にきらめく星々だった。


漁村の船、民間船団、海上保安庁の巡視艇、

そこに居るのは三人の帰りをずっと待っていた人々、

おおよそ百隻近くの船が

ライトを点けて海上をともしている。


人魚の娘達をはじめとして

種族を問わず救出された者達、

協力してくれた忍軍や有翼人の救出部隊、

魚人族と漁村の年寄り達、

そしてサキュバスの仲間達、

みなが笑顔で愛倫アイリン達に手を振っている。


おそらく全員無事だったのだろう。

誰か一人が欠けてしまっていても暗い顔となって、

この笑顔は達成出来なかっただろうと考えると

まるで奇跡のような笑顔だ。


それは愛倫アイリンが命を賭けて守った笑顔。


そこは、戦いに明け暮れるのではなく、

命ある者達が寄り添い

互いに助け合って、喜びを分かち合う世界。


異世界で愛倫アイリンが果たせなかった

願い、夢、希望……


その笑顔の一つ一つが愛倫アイリンにとっては

この世界での大切な希望の星に他ならなかった。






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