狂乱の宴

豪華絢爛ごうかけんらんな室内装飾、

会場には着飾った大勢の人々が集い、

甘美な音色が奏でられ、

高揚を掻き立てる刺激的な芳香、

テーブルには最高級の酒と料理が並ぶ。


イベントホール並みの広さがある会場に

仕掛けられた非日常的な空間演出。

いかにも大型豪華客船の名に相応しい。


ここに居るのはまさに人生における勝者、

選ばれた人間なのだという誇り、自尊心。

参加した人は誰しもそう思っていたであろう。


参加者は全員、

身元が分からないように目元を仮面で隠しているが、

それは同時に己の理性に蓋をする目隠しでもある。


単独男性、単独女性、そしてパートナーを同伴したカップル、

ここでのパートナーは恋人や夫婦という通常の意味ではなく、

性的嗜好を同じくする変態という意味であるが。



華やかできらびやかに見えるこの空間は、

色欲と食欲をはじめとする

強欲が、人間の欲望が満ち溢れ、

欺瞞ぎまんと虚栄心が火花を散らし、

他者とのマウント合戦を行った結果、

それに勝利した者の優越感、傲慢、自意識、

敗れた者の嫉妬や羨望、怨嗟、煩悩などなど、

そうした悪魔が喜びそうな感情の坩堝るつぼと化している。


そういう意味では

悪魔の宴と呼ぶには相応しい。


身なりや服装、所有物などをひけらかし、

相手に勝った負けたと内面で戦い、

他者の所有物を羨ましく思い欲しがる、

分かり易い程に欲望しかない世界。

当然所有物にはパートナーの女も男も

奴隷すらも含まれる。


そしてここに居る人間はみな

誰もが羨むような新しい所有物が欲しくて仕方ない。

今回は美しい奴隷ということなのだろうが、

その対象にされて攫われてまったのが人魚の娘達。



ここは悪魔のブロイラーなのだ。

人間を喜ばせて丸々と太らせ、

利用出来る間は利用して、用済みになれば

絶望の淵に追い込んで、餌とする。


悪魔達は舌なめずりしながら、

人間達の負の感情が食べ頃になるのを

待ち侘びているに過ぎない。


「ああ、早くこいつらの絶望を食っちまいたいね」


今会場に集まっている数百人分の餌を前に

ウズウズしている下級悪魔。


「気が早ええよ

まだまだ利用するのはこれからだっつうの」


この船に乗っている主催者側のスタッフ、

正装をして実にスマートに接客しているが、

その大半が人間に変装している下級悪魔であり

残りは今回仲介役を行ったマフィア、

シンジゲートの構成員である。


人間達の前では完璧なサービスを提供しているが

裏ではついつい本音が漏れてしまう。


そしてここに招待されている人間達は

これが悪魔が主催する狂乱の宴であることを知らない。


-


新たな参加者がこの会場に入った瞬間、

その場の空気が一変、

誰もが息を呑んでしばし見入った後、

どよめきが起こる。


この華やかで煌びやかな空間の中で

段違いの輝き、オーラを放つ美しい女。


目隠しをされているが、

その顔ですら美しいと思わせる美貌。


そらに手錠で両手を拘束され、

細く長い伸びた首には

首輪をはめられチェーンで繋がれている。


そのチェーンをリードとして握っているのは、

仮面で目元を隠しているが、

一目で若者であると分かる青年。


この空間でマウント合戦に勝って、

優越感に浸って満足していた者達が

一瞬で敗者に成り下がり、

羨望の眼差し向けているのが分かる。



いつもと同じライダーススーツではあるが

その体にぴったりと密着し

ボディラインが丸見えで

理想的なスリーサイズからなる

見事な曲線が浮き彫りに。


胸元まで下ろされた

チャックから見える豊満な胸の谷間、

かかとの高いヒールが

すらっと長く伸びた足をより一層際立たせている。


その場に居るすべての雄が

男の象徴をたぎらせているのは間違いない、

リードを握っている若者を除いては。


そこに居るだけで強力な淫催効果を放つ

レジェンド級のサキュバスなので

これも仕方ないと言えば仕方ない。



男、女に関わらずみな、ずっと見惚れており、

その女が歩くヒールのコツコツという音だけが

静まり返った空間に響き渡る。


若者がリードを引っ張ると女はよろけ、

前を歩くご主人様の肩にぶつかる。


「……も、申し訳ありません、ご主人様……」


体をびくっとさせた後、震えながら、

消え入りそうなか弱い声で詫びる女。


「おや、これはいけませんね、

こんな衆人環視、みなさまが見ている前で、

そんな粗相そそうをするだなんて……」


「……お、お許しください、

……どうか、お許し下さい、ご主人様……」


身を震わせ、か細い声で許しを請い続ける。


「これは、後でたっぷりと、

お仕置きが必要ですかね」


その光景を見ていた衆人達、男、女も関係なく

加虐心がこの上なく掻き立てられていた。

ここはそうした性的嗜好を持つ者達

いわゆる変態の集まりなのだ。



辛抱たまらなくなったのか、

我慢し切れなくなった初老の紳士が

主従ペアに駆け寄って声を掛ける。


「これはまた、

素晴らしい奴隷をお持ちですなあ」


「いやぁ、彼女にもそろそろ飽きて来たので、

オークションに出そうか、迷っておりましてね」


「っ!」


予想外の返答に、千載一遇の好機と思ったのか、

興奮で鼻息を荒くした初老の紳士がフライングする。


「な、なんと、もったいないことを

もし売るのであれば、是非、私にお譲りください

もちろん億以上を出させていただきますよ」


その様子を見ていた他の男達も

欲望丸出しで集まりはじめる。


「いや、私なら二億は出せる!」


「では私は、三億出そう!」


「五億だっ!」


まるで競り、即売会、競売会、

緊急オークションが開催されているかのような有様。


その浅ましさにムッとした若者はつい思わず

口を突いて出た言葉で言い返してしまう。


「そんな、金で買おうなんて、

彼女に失礼じゃあないですか」


人身売買のオークションに来ている

下衆げすい大金持ちの子息という設定なのに

その一言はすべてを台無しにしかねない痛恨のミス。


しかし周りの人間はそれを聞いてどよめいた。


流れ的に発言の区切りを勝手に思い込みで解釈したのだ。


『そんな金で、買おうなんて、

彼女に失礼じゃあないですか』


そう聞き間違えたらしい、

雰囲気というのは恐ろしいものだ。


そこで自分のミスに気付いた若者は

慌ててその流れに乗っかって行く。


「今や日本のプロスポーツ選手ですら

年俸五億を超える時代ですよ?


彼女の生涯が

たった五億というのはどうなんですかね?」


そう言われて歯軋りをする周囲の男達。


遠巻きにじっと見つめていた男女は失笑した。

だがそれはさっきまで偉そうに勝者面をして

高飛車に自分達を見下していた男達が、

こんな若僧にコケにされおとされて

ザマアミロという感情の嘲笑に近い。


 ――あぁ、俺やっぱり人間嫌いになりそう


美しい奴隷を連れた若者

は内心ずっとそう思っていた。


-


「世間知らずな貴族のバカ息子みたいで

いい演技だったじゃないか、慎さん」


会場を後にして、二人きりになると、

愛倫アイリンが小声でそう囁いた。


「こんな設定とか台本入ります?

潜入捜査だって言うのに

メチャメチャ目立ってるじゃないですか」


「この船の隅々まで見るなら

これが一番手っ取り早いと思ってね


どうせ潜入するなら

堂々と悪魔にとって最高の客になればいいのさ、

慎さんがね」


潜入捜査で客船に乗り込んだ愛倫アイリンと慎之介、

会場で見せた奴隷とご主人様は当然演技となる。


愛倫アイリンがしている目隠しも、

首輪も手錠も、武器の時と同様に

自身の生命エネルギーから生成したものであり、

目隠し越しでも目はハッキリ見えている。


むしろ目隠しは愛倫アイリンの顔を隠すためのもの。

愛倫アイリンの顔を知っている者が

悪魔の中にいるかもしれない、

その対策のためにしていたのだ。


「船の中で感じる限りでは、

ここに居るのはどいつも下級悪魔みたいだね。


人間に成りすましてはいるが、

スタッフの約七割ぐらいが悪魔か、

ざっと見積っても千近くはいるかね」


下級とは言えそれだけの数の悪魔が、

先遣隊として既にこちらにやって来ている、

その事実に慎之介は愕然とする。


-


愛倫アイリンさんのポリシー的に

こういうの絶対やらないと思ってたんですけどね」


慎之介は意外だった、

奴隷制度を忌み嫌う愛倫アイリン

真似事とは言え、奴隷になるとは

思ってもみなかったのだ。


「何を言ってるんだい、慎さん

あたしはいつだって慎さんの愛の奴隷だよ」


「こんな時にそういうの

もう本当にいいですから」


「そりゃ、あたしだって千年生きてるけど、

男にこんなことさせたのははじめてだよ


慎さんだったらいいかなって、

慎さんがはじめての男なんだよ?


まぁ、あたしも

千年生きて丸くなって来たのかね

プレイなら、こういうのもいいかなと思ってね、

プレイなら」


何度もプレイを強調する愛倫アイリン


「丸くなってM女っておかしくないですか?

むしろ尖りまくってるじゃないですか」


「それにしても

慎さんから命令される感じも悪くなかったね、

あたしゃゾクゾクしちまったよ」


「千年経ってはじめて、

新しい性癖に目醒めちまいそうだよ、あたしは」


「千年も目醒めてなかった性癖なら

そのままずっと寝かせといてくださいよっ」


「そんなこと言って、慎さんだって

まんざらでもなかったんだろ?


堂々としてまるで別人のようだったじゃあないか」


「え、いや、あの、その……

まぁプレイなら」


慎之介のような人間ですら

それなりに刺激的に思ってしまう、

人間のごうというのは深い。


だが愛倫アイリンも、行き過ぎなければ、

そうした人間の業は嫌いではない、

むしろ好きだろう。

これまでそうした人間の業と共に生きて来たのが

サキュバスなのだから。



「ところで、慎さんだったら、

あたしにいくらの値段を付けるんだい?」


また愛倫がポリシーに反するようなことを言い出す。


「そんなこと出来ませんよ、愛倫アイリンさんは

お金で変えられるようなものじゃありません、

プライスレスです」


「そう言ってくれると思っていたよ」


「今のはそう言わせたかっただけですよね?」


愛倫アイリンは時々、何度も愛を確かめたがる

面倒な女のようなことをする。


恋愛経験の無い慎之介には

それがよく分かっていなかったが、

なんとなく、愛倫アイリンにも

可愛いところがあるのだなぐらいには思う。


-


愛倫アイリンの目論見通り、

悪魔は慎之介を超優良潜在顧客として認識した。


これまでの活躍で

移民局でそれなりに権限も貰え、

いい感じの位置にいると思われがちな慎之介だが、

まだまだ新米の若手。


移民局自体が国の組織である以上、

公務員のようなものであり、安月給なのは間違いない。

公務員は年功序列に厳しいのだ。


こんな社交界みたいな場所、

少し前の言い方ならばハイソサエティ、

今風に言うならばセレブ達の集いには

おそらく一生縁がなかっただろう。


この船に居る者達は人間も悪魔も

当然そんなことは知らない、

そのため、状況から判断して

ここで一番価値のある顧客と

悪魔に認定されたという訳だ。


それは一重に愛倫アイリンの価値ということで間違いない。


妖艶な絶世の美女を奴隷にしている青年、

この船で誰よりも価値がある所有物を持っている者、

そのことだけで慎之介にははくが付き、

彼のステータスをてっぺんへと押し上げたのだ。


この狭い船の中はそうした価値基準で成り立っており、

愛倫アイリンはそのことをよく分かっていた。

これはレジェンド級サキュバスの

愛倫アイリンにしか出来ない作戦だろう。


ただ一つ愛倫アイリンにとっても意外だったのは、

慎之介の演技が上手く、

アドリブも天才的だったことだろうか。






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