忍び寄る影

病室のベッドで寝ている美しい女、

酸素マスクをして目を閉じ眠り続けている。


おそらくもう二度と

彼女が目を覚ますことはないだろう。


これが先程まで大暴れしていた生き霊の

本体である肉体とは

とても愛倫アイリンには思えぬ程に

穏やかな安らぎに満ちた顔で眠っている。


「このはもう

助からないのかい?」


その顔に暗い影を落とした愛倫アイリン

目の前にいる看護師に問うた。


その看護師は医療スタッフの衣装というよりは

修道女のような衣装を身に纏っている。


「……はい

機能障害を起こしている患部は

ヒーリングでも治せるのですが、

根本的な原因となる病原体、ウィルスは

私達の力でもどうにも出来ません」


彼女は愛倫アイリンと共に

異世界から移民して来たプリーストであり、

現在は看護師としてこの病院で働いている。


「患部をヒーリングで治しても

すぐに他の患部が障害を起こして、

延々とそれを繰り返すばかり、

それもやがていずれは限界が来るでしょう……」


政府は異世界からの移民者達の

人権を保障していたが、

世間一般からの偏見や

社会的弱者の扱いはまだ根強く、

仕事を探すのも難しい者達、

こちらの人間社会に溶け込めない者達も大勢いた。


だがそんな中でも、

ほぼ百パーセントの就職率を誇り、

いち早くこちらの人間社会に溶け込んでいたのが

彼女のようにヒーリングの術を使える者達だった。


この病院でも三名のプリーストが採用されており、

いい人材がいれば更に雇用したいと

病院経営者からの意向があるぐらいに、

人間社会から重宝されている。


「そうかい……

病原体ウィルスを一つの生命だとするならば、

あんた達のヒーリングは肉体を修復するものであって

命を奪うものではないかならね、

効かないと言うのは

当然の話なのかもしれないね」


愛倫アイリンの表情は憂いを浮かべていた。


-


愛倫アイリンが見た眠り続ける彼女の記憶。


簡単に言ってしまえば、

いつの時代でもどこででも見られた

悪い男に騙された馬鹿な女、

と括られてしまうのだろう。


だがそれで済ませてしまうには

少々タチが悪くもあった、

少なくとも愛倫アイリンが怒るぐらいには。



女は三年前に高校を卒業し

東京の大学に進学する為に上京して来た。


人も少ないような田舎で育った純朴な少女は

垢抜けていない田舎娘ではあったが

間違いなく美少女でもあった。


まだ何も知らない田舎育ちの少女に

次々と言い寄る男達。


はじめは怖がって拒絶していた少女だったが、

やがて一人の男と交際をはじめる。


今風なノリが軽くて面白い、

お洒落でセンスがあって都会的、

純朴な少女からすれば

そういうところが新鮮で

男性の魅力と勘違いをしたのかもしれない。


交際を経て行く中で

相手に夢中になって行き、

本気で愛するようになってしまった少女は

男の本性に気づくこともなく、純潔も捧げ、

純朴さを失いすっかり都会の女になって行く。



だがやはり案の定、

相手はたちの悪い遊び人で

少女ともただの遊びに過ぎず、

他にも複数の女と交際していた。


少女が自分に本気になると、

嫉妬したり束縛しようとしたり、

今度はそうした少女の行為が

面倒で疎ましくなって来る。


それからしばらく

少女の肉体を飽きるまで堪能した後に

飽きたので捨てるということに。


ここまでであれば

男を見る目がない田舎娘が

都会で悪い男に騙されて

弄ばれた挙句に捨てられてという、

こちらの人間世界でも異世界でもよくある

馬鹿な女の話として

愛倫アイリンも済ませただろう。



しかしここから先が、それまでとは異なり

大きく一線を越えてしまっていた。


あまりにしつこく追い掛け続けて来る女に

いい加減にうんざり、辟易とした男は、

遊び人の仲間達を使って女を襲わせたのだ。


それは立派な輪姦レイプであり、

男女の痴情のもつれ、その範疇、領域を

大きく逸脱してまっているではないか。


そしてそれは愛倫アイリンが憎む

性犯罪に他ならない。


彼女の霊体を通して見た恐怖と

耐え難い苦痛、屈辱、そして絶望、

愛する男に売られたことを知った

女の悲しみ、怒りと憎しみ、恨み、

それをその身に感じた愛倫アイリンの苛立ちは

簡単に収まるものではなかった。


行き過ぎた正義を振りかざすあの天使達に

魂を抜かれてしまえばいいのに

とすら愛倫アイリンは思う。



さらに女の悲劇はこれだけでは終わらなかった。


何日にも渡り男達の凌辱を受けた女は

その場で命こそは取られなかったものの、

脅迫用にその時の有様を動画に撮られ、

その後も男達の都合のいい様に使われる。


それに耐え切れなくなった女が拒むようになると

男達は動画をネット上に流し拡散させた。


数年前に上京して来たばかりの純朴な少女は

わずか数年で社会的に抹殺されてしまったと言える。


そしてさらに数か月後、女は突然倒れ、

この病院に運ばれ、感染症にかかっていることが判明、

おそらくは男達から性的暴行を受けた際に

感染したのだろうと診断される。



愛倫アイリン達が元々住んでいた世界、

力が支配する異世界において

力が弱い女達は、その人権などを全く無視されて

奴隷のようなひどい扱いを受けることは

よくあることであり、

愛倫アイリンもこうした女の悲劇は

よく知るものであったが、

それでも胸が痛まない筈がなかった。


だからこそ性犯罪を未然に防ごうなどという

戯言ざれごとをやっていると言ってもいい。


愛倫アイリンは男女が共に等しく扱われ、性別すらも超え、

人間の権利が保障されるこちらの世界に

希望と人間の可能性を見出しているのだ。


人間を愛する者として――。


-


愛倫アイリンには腑に落ちないことがあった。


彼女の怨念、憎悪の深さは理解したが、

それにしてもだ、こちらの普通の人間、

一般女性が一人であれだけの霊力を

行使することが出来るのか?


あれではまるで渋谷駅周辺、その一角に

突如として竜巻、トルネードが発生したようなものだ。


そもそもあの生き霊は

石化能力を使うことが出来るのか?

その点もずっと気になっていた。


「ここ一週間ぐらいの間に、

彼女に何か変わったことはなかったかい?」


愛倫アイリンは目の前に居る

看護師のプリーストに再び問う。


「ちょうど、そのことで

お話をしなくてはいけないことがありまして……」


プリーストは真剣な目で

愛倫アイリンの目を見つめる。


「余計な混乱を招かないように

信頼出来る人だけに

お話ししようと思っていたんです……」



「あれは、

石化事件が起こる前の晩だったと思います


その日は夜勤で

深夜に病室を巡回していたのですが、

私がこの病室に入ると、

カーテンが風でなびいていたんです


窓は閉めていた筈なのに

おかしいなと思いながら病室に入ると

月明りに照らされて

ベッドの脇に人のような影が見えました


その影は私に気づくと

すっと窓から外に消えて行ったのですが」


この段階で既に愛倫アイリンには

嫌な予感しかしない。


胸がさわつくこの感覚、

この後に続く話の内容、

直感的にそれを理解してしまっていた。


「……あれは、

間違いなく『悪魔』です、

あそらくは下級の悪魔だと思いますが」


天を仰ぎ自らの手で顔を覆う愛倫アイリン


今日は何というロクでもない日なのであろうか。


「あんたが言うんだから、間違いないんだろけど、

あたしとしては間違いであって欲しいもんだよ」


しかし目の前のプリーストは

彼女の信仰の誇りにかけて断言する。


「ええ、聖職者でもある私が

悪魔を間違える筈はありません」


 ――ついにあいつ等が

 こっちの世界にやって来たのかい


だが確かにこれで

すべての辻褄つじつまは合う。


彼女が渋谷で見せた強大な霊力も

生き霊であるにも関わらず

男を石化させたその能力も

悪魔が事前に力を分け与えていたのであれば、

合点がてんは行く。



こちらの世界では絶対に、この先の生涯二度と

悪魔に関わりたくないと愛倫アイリンは思っていた。


愛倫アイリンは同じ魔族でありながら、

悪魔のことは好きではない、

ハッキリ言ってしまえば嫌いだ。


過去に何度か悪魔に煮え湯を飲まされたから、

というのも理由の一つではある。


サキュバスが人間の愛を、まあ性愛ではあるが、

人間から吸収して生きているのと同様、

悪魔は人間の恐怖、絶望、悲しみ、恨みなどなど

おおよそすべての負の感情を食らって

自らの力としている。

そういう点では対極の方向性でありながら

非常によく似た存在と言えなくはない。


しかしあれだけの強大な力を持ちながら、

遥かに弱い人間を必要以上にビビらせて、

喜び悦に浸っているあたりが

愛倫アイリン的にはどうにも気に入らない。

ただの弱い者イジメにしか見えないのだ。


 ――あんた達だって人間がいなくなれば

 おそらくは存在出来ないだろうに



プリーストから提供された悪魔の情報、

これを踏まえて思考する愛倫アイリン


悪魔は当然ながら

こちらの世界への移民を認められてはいない。

しかし今回の事件から考えても

間違いなく裏ルートで密かに、そして着実に

人間社会へと既に入り込んで来ているだろう。


今回の石化事件、

悪魔に怨念を利用された女の生き霊が

犯人ということになるのか。


現時点でその悪魔をこれ以上追うことは

おそらくは不可能だろう、

下級とは言え狡猾な悪魔が

この程度のことをするのに

手掛かりを残しているとは到底思えない。


悪魔の動機はハッキリしていないが、

今回それを追求したところで

大した意味はないだろう。


それは人間に「なぜ家畜の肉を食うのか?」

と聞くようなものなのだから。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る