サキュバスは、神の濡れ衣を晴らす
死因のない死体
恐怖に顔を歪め、
何者からか逃げている人間の男。
人通りがない夜の街に
駆けて行く男の足音だけが響き渡る。
確かに追われている筈なのに
その男以外他に足音はない。
息を切らせながら、
大通りから細い裏路地へと入り込む。
裏路地をひたすら走り回り、
後ろを確認しようと振り返ると、
それはまだ宙を舞い
後をしっかり追って来ていた。
「逃げようたって、無駄だよっ」
気味の悪い薄ら笑いを浮かべ、
人間の男を空から追跡する者。
逃げ回る男であったが、
前方には宙を浮く者の仲間が
先回りをして待ち構えていた。
慌てて角を曲がり進路を変えるが、
そこにもやはり
追跡者の仲間が待ち伏せしている。
さらに方向を変える逃亡者の男だったが、
やがて行き止まりへと追い込まれ
前方を高いビルの壁に阻まれる、
もう先へと進む道はない。
「や、やめろっ、
やめてくれっ!」
恐怖に震える男。
「お前みたいな腐った魂の持ち主を
生かしておくなんて
どうかしてるぜっ、この世界はよぉ」
その時、人間の男を
追い回していた三つの影、
その背後から別の声がする。
「やめろっ!」
その者は全身にローブを纏い
フードを深く被り顔を隠している。
「お前達っ、こんなことをして
どうしようと言うんだっ」
三人組は振り返る。
「ちっ、またお前かっ、
いい加減しつこいんだよっ」
「俺達の邪魔をすんじゃねぇっ」
「何、言ってやがんだっ、
てめぇがまともに仕事しねぇから、
俺達がこうやって、ドグサレ野郎を
殺処分してやってんじゃねぇかっ」
背後から現れた
ローブの男は言う。
「それは本来の
我々の役目ではないはずっ」
「何、言ってやがんだっ、てめぇは
こんな腐った魂の人間をよっ、庇うなんて
てめぇも頭いかれてんじゃあねぇのか?
えっ?おいっ?」
「構うことはねぇ、
あいつも一緒にやっちまえ」
三人組の内二人は
ローブの男に向かい、
リーダー格の残り一人は
追っていた人間の男に襲い掛かった。
-
翌早朝、三人組に追われていた男は
貧民街の路上で死体となって発見される。
現場では既に警官達による
現場検証が行われており、
周囲には立ち入り禁止の
規制テープが貼られていた。
「警部、やはり、
今回もこれまでと同様、
外傷は一切見られません。
司法解剖に回して
結果を待たないと断定は出来ませんが、
おそらく今回もまた
謎の突然死ではないでしょうか」
部下である刑事の報告を、
トレードマークである
ちょび髭を触りながら
黙って聞いている警部。
トレンチコートを着た痩身で、
目がギョロっとしている
チョビ髭の中年男性、
本人はダンディズムを気取って
身だしなみに気を遣っており
お洒落にもこだわっていたが、
それ故に嫌味なインテリキャラ風に
他人から思われることが多い。
「ふむ、もしそうだとしたら、
これでもう五人目かね」
ここ最近相次いで、
路上で謎の突然死を遂げた遺体が
発見されており、
警察関係者は頭を悩ませていた。
謎の突然死が
どれぐらい謎なのかというと、
これはもう人間には
理解出来ないレベルの謎と言っていい。
――死因がない
誰かに殺された他殺
もしくは自ら死んだ自殺であれば
当然外傷なり毒物反応なり、
それなりの痕跡が残っている筈だが、
そうしたものは一切ない。
病死であってもそれなりに体内に
死因となるべき痕跡が残る筈なのだが、
そうしたものも全く見られない。
司法解剖を行ってみても、
死んだ原因が一切分からないし、
死に至った形跡すらも残っておらず、
肉体的には健康体そのもの。
ある日突然機能が停止して
体が動かなくなったので、
これは死んでいることになります、
そういったレベルに近い。
そうしたオカルトじみた話であるのだから、
サキュバスの
協力要請があっても
なんら不思議ではなかった。
-
「移民局の、
身分証を見せ、
現場検証が行われている
立ち入り禁止区域に入って行く慎之介。
その傍らにはライダースーツ姿の
舐めまわすように見つめる大泉警部。
「君、なんだね?
このエロいご婦人は」
ダンディを気取る警部だが、
所々端々に本音が漏れてしまっている。
「こちらは協力者のサキュバス、
その言葉を聞き、
警部は慎之介を睨む。
「……君かね、
美女のサキュバスを愛人にしていると噂の
移民局の若僧というのは」
「けしからんっ、
まったくもって
うらやま、けしからんっ」
「い、いえ、誤解です、
自分達は決して
そのような関係では……」
「いいじゃあないか、慎さん、
あたし達はもう
そういう仲も同然なんだから」
面白がって慎之介の腕に抱き着く
そのライダースーツの胸元から
垣間見える豊満な胸が慎之介の肘に
ぐりぐり押し付けられている。
「
そんな
言われては困りますっ」
志を同じくして、
全然知らない人から見れば
エロ目的としか思われず、
初めて会う人とはほぼ毎回
このくだりから入ることになる。
この二人で言い合いをしている様も
他の人から見れば
二人でイチャコラしているようにしか見えず、
警部のようにお叱りを受けることも多い。
「けしからんなっ!
まったくもって
うらやま、けしからんっ!」
-
「しかし、これはまた、
随分と腐った魂の持ち主だったようだね、
見事にドス黒く変色しちまってるよ」
まだ現場検証中であったが、
特別に中に入って遺体を見せてもらう
慎之介と
遺体に微かに残った魂の絞り
残留思念を見た
開口一番に発した言葉がそれだった。
人間の目には見ることが出来ないものが、
異世界の者達には見えることがある。
同様に
分からないことが
現場には多数残されていた。
「これはやはり
最近連続して起こっている
謎の突然死ということになりますか?」
連続突然死に何かしら異世界の者達が
関わっていると考えた慎之介は、
そうした異世界の者にしか分からないことを
調べてもらうために
「おそらく、間違いないだろうね」
「これだけ腐って変色しちまってるんだ、
この人間は随分と他人から
恨みを買ってるんじゃあないかね」
「恨みですか……」
顎に手を当て考え込む慎之介。
「もしかして、
呪術とか呪詛的なものを使った
犯行でしょうか?」
「いや、それはないよ、慎さん」
その問いに対し首を横に振る
「呪術とか呪詛ってのは、結果として
呪った相手を殺すことにはなるんだけどね、
その過程や死因ってのは
ちゃんとあるものなのさ
呪った結果、心臓発作を起こして死ぬ、
呪った結果、事故に遭って死ぬ、
て具合にね
つまり死ぬに至った原因、
死因になるトリガーはちゃんとあるんだよ
しかし、今回の連続突然死は
その死に至るまでのプロセスがないと来ている
こんな突然
魂を抜かれたような死に方は
しないものなのさ」
――やはり、魂を抜かれたのか?
最初にこの話を聞いた時から、
死因に思い当たる節が
幾歳月を生きた
こんな死に方をするのは
魂を抜かれた時ぐらいにしか見たことがない。
つまり被害者は
犯人によって魂を
「降霊術師でも呼んで、
何が起こったのか聞けたら
話は早いんだけどね」
「い、いや、
さすがに事件の捜査に
降霊術師というのは、
まだ認められていなくてですね……」
突然とんでもないことを言い出す
戸惑う慎之介。
「そ、そうなのかい?」
「じゃあ、仕方ないね、
まぁ、あの手を使うとするかね」
-
「……まったくもって、
うらやま、けしからんことこの上ない……
最近の若者の性の乱れと来たら……」
霊的捜査を行っている二人を尻目に
大泉警部はまだ一人でぶつぶつと
お小言を続けていた。
「ちょっと、あんた」
ドキッとする警部。
「な、なんですかな、エロいご婦人」
紳士を気取ろうとしても
ついつい本音が出てしまっている。
「あんたの体を
貸して欲しいんだけど、ねぇ」
色めき立つ警部。
「な、なんとっ!」
興奮して鼻息が荒い。
「そ、そうでしょうともっ!
そうではないかと
思っておったのですっ!
あんな若僧なんかよりも
我輩のような大人の魅力溢れる男こそが
あなたのようなエロいご婦人には
相応しいというものです!」
勘違いに歓喜して
取り乱している警部だったが、
ここは大人の魅力
余裕を見せようと
「オホン」と咳払いをして
落着いた素振りを取り繕う。
「し、仕方がありませんなぁ、
いいでしょう、
いくらでも我輩の体をお使いなさい
我輩の体でいくらでも
貴女を慰めて差し上げましょう
きっとあなたも
我輩の男としての逞しさに
大満足されることでしょう」
「まぁ、それじゃぁ、
事前の了承はいただいたということで、
遠慮なく使わせていただくかね」
間髪入れずに
手で掬い上げて持っている
遺体に残っていた残留思念を
警部の体の中に押し込んだ。
早い話が、被害者の残留思念の依代、
憑依される降霊術師役を
警部の肉体にやってもうらおうという訳だ。
それまでエロい妄想をしていた警部、
別人格が憑依して一転、
目の色と顔つきが変貌する。
「た、頼むっ、
た、助けてくれっ、
俺はまだ死にたくねぇっ」
現場に留まっていた
わずかな残留思念は、
まだ自分が死んだことを
自覚していないらしい。
「残念だけどね、
あんたはもう死んじまってるんだ、
人間の肉体としてはね」
魂の欠片を諭す。
「一体ここで
何があったんだい?」
「あ、あいつ等が、
突然、俺を、襲って来やがったんだ……
し、死神だ、
あ、あいつ等は、死神だ、
死神に違いない……」
――死神か
死した者を迎えに来る存在、
人間の魂を肉体から切り離して
命を奪う悪しき存在として
一般的には認識されているが、
そもそもは魂の管理者であり
死せる人間の魂が迷わぬように
正しく冥府に導くという役割を持っている。
確かに死神であれば
肉体に痕跡を残すことなしに、
魂だけを肉体から切り離し
人間の命を奪うことが出来る、
今回の突然連続死の犯人として
これ程有力な存在はいないだろう。
とは言え
どうにも腑に落ちない。
――あいつ等、ねぇ……
仮にもその名に『神』を冠する者達が
たかが人間一人を寄ってたかって
私刑にするものだろうか、
しかしそこで残留思念はついえ、
それ以上の有益な情報は得られなかった。
「……は?
……我輩は一体何を?」
大泉警部が我に返ると
その時ちょうど警部の携帯が鳴った。
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